11:嵐の前
【人物紹介】
ユージーン:
コルディナ編主人公。元ルグウィン公爵家嫡男。
クロエ:
ユージーンの妹。
本編第一部『悪役令嬢は退場しました』主人公。元ルグウィン公爵家の公爵令嬢。日本からの転生者。コミュ障気味だが最近は改善。
[エルフの里コルディナの住人]
オルド:コルディナの里に住むエルフ一家の息子。果樹園の管理人。
ヴァン:オルドの父。武器は物干し竿。里長の相談役。
イリス:オルドの母。お喋りが好き。
ラヴィ:オルドの幼馴染み。里の物流担当見習い。指に深い傷を負う。
ミーナ:ラヴィの母。
レノ:ラヴィの父。里の物流担当。薄毛を気にして髪を頭頂で結んでいる。
ミツギ:オルドの家の裏手にある家に住んでいる幼いエルフの女の子
ポルル:ミツギの父。武器は鍋。
サリナ:ミツギの母
[主人公サイド]
ザイオン:
この世界の元になったゲーム『闇より出でて光を求め』第三作目の主人公。元の性格設定は『誰にも心を開かない孤高の冷徹王子様』だったがキャラ崩壊中。
マクシミリアン:
ザイオンの腹違いの弟でザイオン大好き。幼名マクシー。
アメリア:
カラドカス公爵家三女。スピンオフ『モブ令嬢はお邪魔な王子を殺したい』の主役。前世ではサーバー会社の社畜で重度のゲーマー。
ルキルス:
ユージーンの同級生。ザイオンに多額の借金をしている。
[エルフ長老議会サイド]
マイロディス:
エルフ長老議会の意向で、ユージーンとクロエをコルディナの里に連れてきたエルフ。
ルファンジア:
ザイオンの母であるシャルシャの元守り役。王国人排斥派だったが、ザイオンの身辺に王国出身者の存在を許していることで、長老議会からザイオンの側役を解かれた。
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「水生成の魔法さえ使えなくなっているとは」
治療を受けながら、マイロディスは悔しそうに呻いた。
傷口を洗ってやったイリスは、汚水の入ったボウルを持って、手洗い場の排水に流しに行った。
ユージーンが清潔な布で傷口を押さえて、水滴を拭き取る。
「魔力は、空気中に均等に広がっている」
マイロディスは、ユージーンに向かって説明を始めた。
「人の大きさと同じ空間が持つ魔力量は1。基準値であり、1マジックポイントとも呼ばれる。この用語は数千年昔から使われてきた古語で、意味は伝わっていない」
彼は話すことで痛みから気を逸らしているのだろうと思い、ユージーンは、黙って頷いた。
「エルフ族の場合、この魔力を体内で圧縮して保持できる」
無冠のエルフ、と言いかけて、マイロディスは言い直した。
「普通のエルフ族が保持できる上限魔力は約100マジックポイントだ。使った魔力を回復する速度は個人の資質や体調によって異なるが、600から900数える程度の時間で1マジックポイント、回復する」
イリスは食卓には戻って来ず、柱の裏側に向かった。
ユージーンが彼女に視線をやると、ニッコリと笑って、二階へと消えて行った。
それは、『あとはよろしくね』という意味に取れた。
仕方なくユージーンはイリスの使っていた椅子に座った。
(大丈夫。イリスを手伝っていたから、見よう見まねでなんとかなる)
ユージーンは表情を引き締めた。
彼は皿の上にある、ねっとりとした緑色の薬をスプーンにすくった。
イリスは、小さく切った布をいくつも食卓に並べたままにしていた。
ユージーンは、その布の一つに、薄く薬を塗って、マイロディスの傷ついた手の甲にあてがった。
頭を庇っていた彼の両手には、噛み付かれた痕がたくさんあった。
布をあてただけでは剥がれて落ちてしまうので、上から包帯を巻いて布を固定しなくてはならない。
ユージーンは病院で見た通りに、包帯の端を引き裂いて二股にし、互いに逆方向へ回して結んだ。
クロエが時々手を出して、支えてくれた。
マイロディスは、全ての傷に対して処置が終わるのを待ちながら、まるで学校の先生のように問いを出した。
「普通のエルフ族は、魔力量の上限がおよそ100マジックポイントだ。使い果たした後は、魔力量が回復するのを待たなければ魔法は使えない。炎の攻撃魔法一発の魔力消費が30マジックポイントだったとして、敵を倒すのに4発必要だとしたら、どういう戦いが適切だと思う?」
クロエは、彼に視線さえ向けず、答える気はなさそうだ。
ユージーンは暗算した。
「3発撃って、数時間隠れたあと、もう一発撃つ……?」
「外れだ」
マイロディスは慈愛に満ちた笑みを見せた。
「答えは、『攻撃しない』だ。守りに徹して、傍系のエルフに攻撃を任せるんだ」
普通のエルフ族と傍系のエルフとの違いが、ユージーンにはよく分からなかった。
その言葉の意味から考えると、直系から枝分かれした家門で、王国で言えば貴族に当たる一族なのだろうか。
「傍系のエルフは、普通のエルフ族の5倍もの魔力量を持っているからね。使える魔法も多い」
マイロディスは、ふいに物憂げな表情になった。
「私の一族は音に関する魔法が得意で、魔導通信具を設計した。音によって伝えられる情報は、戦略上とても重要なものだ。それに、自分が誰かと常に繋がっているという感覚が安心をもたらしてくれる。失って初めて、自分が孤独だということに気づかされるよ……」
それは独り言に近い言葉だったので、ユージーンは相槌を打たなかった。
二階から下りてきたイリスが、カーテンやシーツ、毛布を皆に配り始めた。
今晩はここで寝なくてはならないのだとユージーンが思い当たったのはその時だ。
受け取ったエルフたちは、臨時の寝床を作り始めた。
外から聞こえる羽ばたきの音から、群がる人型モンスター数が更に増えたようだとわかった。
結界を保つための魔力が消費され、龍紅玉の色が褪せる。
オルドは充填にかかりきりになり、イリスとヴァンがそばで息子の様子を見守っていた。
「俺は大丈夫だから、休んでいて」
つっけんどんに言うオルドと、お前なんかに任せていて安心できるわけがないだろう、とぶっきらぼうに言い返すヴァン。
羨ましい気分で、ユージーンは家族の光景を見ていた。
暖炉の傍に陣取っているのはラヴィ一家だ。
三人は眠れない様子で、毛布の上に身体を起こし、小声で話し合っていた。
その話題は主に、厩舎にいる草食竜のことだ。ユージーンはルグウィン家で飼っていた馬、リリーのことを思い出して切ない気分になる。
エルフの女の子とその両親は、暖炉から離れた扉の傍に場所を確保していた。
眠っている娘、ミツギを間に挟んだポルルとサリナは、横にはならずに鍋をすぐそばに置き、警戒を続けていた。
治療の終わったマイロディスは、食卓の上に肘をついたまま考え込んでいて、動こうとしない。
クロエは、暖炉や食卓から離れた場所に、分厚いカーテンを畳んで敷いて簡易ベッドを二つ作った。居心地が良いとは言えないが、土間に直接寝るよりはましだ。
飛翔棍をすぐ横に置いたクロエは、カーテンの上に寝転がった。
「何があるかわからないから、今のうちに寝ちゃいましょう?」
そう言った次の瞬間には、クロエは眠りに落ちていた。
朝から働いて、戦って、多分体力の限界だったのだろう。
寄り添うように、隣に寝転がったユージーンは、妹の寝顔をじっと見ていた。
長い睫毛が、息をするたびに震えた。
肩辺りで切り揃えられた黒髪が、顔にかかっている。
そっと手を伸ばして、払ってやった。
それから、今日の農作業でユージーンが着ていた分厚い上着を、妹の上半身に掛けた。
彼女自身の上着を脚の上に載せようとして、ポケットの膨らみに気づいた。
中を確かめたら、ミカンが一個入っていた。
昼間あんなに食べていたのにまだ食べるつもりだったのかと、ユージーンは笑みを浮かべた。
死にたいと思った日々、妹の存在がユージーンを引き留めた。
こんな状況にいてさえ、彼女が笑ったり怒ったりして表情を見せてくれることが、嬉しい。
ルグウィン家で一緒に暮らしている時、妹は人形のようだった。
父の前で感情を見せたり、意見を言ったりしようものなら、怒鳴りつけられ、暴力を振るわれたからだ。
あの家では、『はい』以外の言葉は許されていなかった。
激怒し、唾を飛ばしながら大声で怒鳴り続けた父のことを、ユージーンは思い出した。
心の底に積もった汚い泥が、巻き上がって全体に広がった。
覚えておきたくない記憶ほど、隙を見せると繰り返し浮かんでくる。
目を閉じると、最も深い泥の下に沈んでいた記憶がユージーンを訪れた。
『貴方達……親子で! 犬畜生と同じね! なんて穢らわしい!』
母の罵り声が脳裏に響き続けた。
泥が更に広がり、ユージーンは不透明な闇へと沈み始める。
イリスはどうしてあんなに、息子に優しいんだろう。
オルドも両親に愛情をもって接している。
あんな家庭に生まれていたら……、などと想像を巡らせても無意味だということは、ユージーンにもわかっていた。
(僕には、妹がいるから大丈夫)
すぐ隣で、クロエの寝息が聞こえていた。
彼女の存在がユージーンの心を落ち着かせてくれた。
感謝しながら眠りに落ちようとした時、ユージーンの身体に暖かい布を掛けてくれた人がいた。
(誰──?)
眠くて、目を開けられず、そのまま寝てしまった。
***
「ユージーン」
マイロディスに揺さぶられて、ユージーンは目を覚ました。
「そろそろ限界のようだ。妹さんを起こして、準備しなさい」
マイロディスは、ユージーンの上から破れたコートを取った。
羽織りながら、マイロディスは暖炉の方へ行く。
寝起きで、何の準備なのか、とっさにはわからなかった。
身体を起こし、視線を巡らせる。
そこはオルドの家の母屋にある食堂で、昨晩は宿舎に戻れる状況ではなく、ここで寝たのだと思い出した。
ユージーンに上着を掛けてくれたのは、マイロディスだったらしい。
窓の鎧戸は閉じたままなので、外の様子は見えない。
柱の時計を見上げ、まだ夜明け前だとユージーンは知った。
暖炉のすぐ傍に、ラヴィ一家がいた。
毛布の上に身体を起こしている。
ずっと起きていたようだ。
マイロディスは彼らの横を回り込むと、暖炉の前にしゃがんだ。
「吊り金具は大して頑丈ではないな。一番に突破されるのはここだろう」
煙突を下から覗き込んだマイロディスの言葉を聞いて、ラヴィとその両親は不安そうに暖炉から距離を取り始めた。
オルドはまだ魔力充填を続けていたが、龍紅玉の色が薄い。
消費量に、充填の速度が全く追いついていない証拠だ。
それだけ多くの生首蝙蝠が結界の周囲に集まって、中に入ろうと足掻いているのだと思うと、ユージーンは不安を強くする。
『結界の向こうに、気持ち悪い生首がぎっしりと並んだりして』
クロエが冗談めかして言ったことが、今現実に起こっている。
不気味な羽ばたきの音が間断なく、外から聞こえていた。
ユージーンは、妹の頬をそっとつついた。
「クロエ」
彼女はすぐには反応を見せなかった。
ぐっすり寝ているところを起こすのは可哀想だが、仕方が無い。
「……僕の可愛い妹。起きて」
「これ以上の充填は時間の無駄です」
マイロディスがオルドに向けて言った。
振り返ったオルドは寝不足で疲れた顔をしていた。
「は? 勝手なことを言うなよ」
「結界用の龍紅玉が魔力を失ったら、どうなると思います?」
マイロディスは溜め息をついた。
「私は、ずっとそのことについて考えていました。奴らはおそらくここに興味を失って、他へ行きますよ。被害は村中に広がりますが、私たちが助かる確率は上がります」
「そううまく行けばいいが」
オルドの隣で、上着を敷いて寝転がっていたヴァンが身体を起こした。
「結界がなくなったら、全部ではないにしても、かなりの数が家の中になだれ込んで来るだろう」
「……その可能性もあります」
マイロディスは気の進まない様子で同意した。
「正直なところ、アレシャト神のご慈悲に縋るしかないでしょう」
「お兄様?」
クロエが目を覚まして、眠そうな顔で見上げた。
「そろそろ、結界が保たないって」
ユージーンが簡潔に説明すると、クロエはさっと飛翔棍を手にして立ち上がった。
少し、寝惚けているようだ。
「私がお兄様を守るわ! どこからでも来なさい!」
気勢を上げて、クロエは周囲を見渡す。
呆気にとられたマイロディスが、しばらく彼女を眺めてから、告げた。
「……まずは暖炉から来るだろうな」
合っているようでかみ合っていない会話に、ユージーンは思わず頬を緩めた。
キョトンとした顔で振り返った妹の表情が、とても可愛い、とユージーンは思う。
イリスも起き出して、厨房に向かっていた。
「結界はもう暫くうちの息子が支えてくれるだろうから」
彼女は厨房の収納からクッキーを出して、配り始めた。
「まずは腹ごしらえをして、運命の時を待とうじゃないか」
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