02:あの下手さが良かったのに
【人物紹介】
ユージーン:
コルディナ編主人公。元ルグウィン公爵家嫡男。
クロエ:
ユージーンの妹。
本編第一部『悪役令嬢は退場しました』主人公。元ルグウィン公爵家の公爵令嬢。日本からの転生者。コミュ障気味だが最近は改善。
[エルフの里コルディナの住人]
オルド:コルディナの里に住むエルフ一家の息子。果樹園の管理人。
イリス:オルドの母。
[主人公サイド]
ザイオン:
この世界の元になったゲーム『闇より出でて光を求め』第三作目の主人公。元の性格設定は『誰にも心を開かない孤高の冷徹王子様』だったがキャラ崩壊中。
マクシミリアン:
ザイオンの腹違いの弟でザイオン大好き。幼名マクシー。
アメリア:
カラドカス公爵家三女。スピンオフ『モブ令嬢はお邪魔な王子を殺したい』の主役。前世ではサーバー会社の社畜で重度のゲーマー。
ルキルス:
ユージーンの同級生。ザイオンに多額の借金をしている。
[エルフ長老議会サイド]
マイロディス:
エルフ長老議会の意向で、ユージーンとクロエをコルディナの里に連れてきたエルフ。
ルファンジア:
ザイオンの母であるシャルシャの元守り役。王国人排斥派だったが、ザイオンの身辺に王国出身者の存在を許していることで、長老議会からザイオンの側役を解かれた。
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農作業員は宿舎の二階に寝泊まりするが、食事は母屋にある広い食堂まで来なければならない。
オルドとその両親、そしてユージーンとクロエ兄妹が、食事時になると母屋に集まった。
母屋は正方形の木造で、ユージーンは王国ではこのような建物を見た覚えがない。
正面から見える窓には全て、冬の外気を遮断するための鎧戸が下ろされていた。
引き戸を開けて入ると、明るい魔導灯火の下、真っ先に目につくのは広い食堂の中央にある大きな柱だ。
大きな木が生えていた場所に屋根と壁を取り付けて、家の形にしたらしい。
柱の表面は磨かれて光沢を帯び、天井に近い部分には時計があった。
王国の時計には必ず振り子がついていたが、この時計にはない。
文字盤は、五時頃であることを示していた。
柱の真ん中辺りには、複雑な同心円状の魔法陣が刻まれた円形のプレートがある。
魔法陣の後ろにある赤い台座は、おそらく魔力を供給する龍紅玉だろう。
龍紅玉は赤い色が抜けて、かなりくすんで見えた。
部屋の奥から出てきたのは、オルドの母親、イリスだ。
「ご苦労様! 外は寒かっただろう?」
ユージーンとクロエを見て彼女は相好を崩した。
「いえ、そんなには……」
控えめに答えようとするユージーンを遮って、イリスが続ける。
「お湯を入れておいたからそこで手を洗ってね!」
母屋の入ってすぐの場所には手洗い場があった。
イリスは丸みのある小柄な身体をせかせかと動かして、固形石けんの置き場や蛇口を指さして見せながら、早口で喋った。
「お皿を用意しておくから、手を洗ったら奥においで」
イリスは部屋の奥へ引き返して行く。
手洗い場の蛇口の上に、貯水槽があった。
イリスの言った通り、貯水槽からは湯気が立っている。
彼女が魔法でお湯を生成したのだろう。
クロエは蛇口を捻りながら、呟いた。
「我が手に蔓延る塵芥を、聖なる飛沫にて洗い流せ……!」
「クロエは難しい言葉が好きだね」
相変わらずな妹に、ユージーンは小さく笑った。
魔法関連の話題が出た時に多い気がする。
クロエは濡らした石けんを兄に手渡した。
「魔法詠唱の練習よ。私がエルフ族になったら、ありきたりな台詞じゃなくて、もっと格好いい詠唱を使う予定だから」
それが可能なのか、魔法の仕組みを知らないユージーンにはわからなかった。
「エルフになった後のことを、しっかり考えているんだな。僕は、エルフ族になったら……」
ユージーンは石けんの泡を洗い流しながら、呟いた。
妹がエルフ族になることを選ぶのなら、自分もなりたい。彼にとってはそれだけのことだ。
その後何をするか、具体的に考えたことはなかった。
(どんな魔法が使えるようになるんだろう?)
考え込んだユージーンの手を取って、クロエがハンカチで水滴を拭う。
彼女は一瞬、不思議そうな顔をしてユージーンの左手首を見た。
「ありがとう」
ユージーンはさり気なく手を引いた。
彼は、特徴的な香りに気づく。
「そのハンカチって、僕の名前が刺繍されてた……?」
ユージーンが初めて友人のルキルスと一緒に買い物に出た日、クロエはハンカチを持たせてくれた。
そのハンカチには、アロマの香りが焚きしめられていた。
謎の模様が妹の手による刺繍だとわかった時、そのあまりの下手さと愛らしさが、ユージーンを暗い思考から救い出したことを思い出す。
「刺繍はね、ザイオンが洗濯をした時、『暗号か?』って嗤ったので解いちゃった」
クロエは本気で悔しがっていた。
なので、あの下手さが良かったのに、とは言えなかった。
「アメリアがそのうち墨汁を作るって言ってたから、それで名前を書いて渡すわね」
墨汁って何……と口にする前に、クロエはユージーンを引っ張って、部屋の奥へ向かった。
部屋の奥には暖炉があり、薪が赤く熾っていた。
パチパチと火が爆ぜる音がする。
暖炉の前には食卓があって、食事が並んでいた。
ザイオンの家で食卓を囲んだ思い出が蘇って、ユージーンは寂しくてたまらなくなる。
(ルキルスは、帰ってきただろうか──)
手紙を書きたいが、設備の整っていた拠点とは違って、この里での郵便の出し方がわからない。折を見て、誰かに尋ねなくては、とユージーンは思った。
「さあ、ここに座って」
イリスの示した比較的暖炉に近い席に、クロエとユージーンは座る。
クロエは飛翔棍を床に置いた。
古い木製の椅子は背もたれの一部が欠け、脚の高さも揃っていなかった。
兄妹が相槌を打つ暇を与えず、イリスが言葉を続ける。
「飲み物はミカンジュースでいいかい? いくらでもあるからねぇ。毎日飲んでいると、掌が真っ黄色になるんだよ。この里じゃ皆掌が黄色くてね。病気じゃないから、安心していいよ」
話しながら、イリスはカトラリーを二人に渡す。
食卓の古い天板は、ところどころ湿気を吸って膨らんでいた。
中央に並んでいるのは、料理を載せた幾つもの大皿だ。
イリスは取り皿に大量に盛り付けると、二人の前に置いた。
「あんたたち、いつも控えめだからねぇ。遠慮しちゃ駄目だよ。いっぱい食べな」
コルディナでの食事は、質素で健康的だった。
枝豆に煮豆、甘い豆、芋類、レンコンに似た歯ごたえの根菜、青い菜、小魚、酢で煮た小さな肉。
料理のジャンルはわからないけれど、油分が少なくて、病み上がりのユージーンにも負担の少ない食事のように思えた。
「ありがとう……」
ユージーンが礼を言い終わる前に、イリスは壁際に備え付けられた竈へと向かう。
「スープも温めているからね。ちょっと待ってな」
「いただきます」
クロエが、木製のスプーンとフォークで食べ始めた。
イリスが、スープの入ったボウルとパンをトレイに載せて運んでくる。
「ああ、ジュースを忘れていたよ!」
食卓にトレイを置いて、イリスは大きな独り言を呟くと、厨房へと引き返していった。
厨房と言っても部屋を分けているわけではなく、壁際に調理施設や食器棚が据え付けられているだけだ。
手に取ってみると、パンは少し固めだった。
薄味スープのベースは野菜で、具は刻まれた茸だ。
クロエがスープにパンを浸して食べ始めたので、ユージーンもそれを真似た。
イリスが運んで来たジュースは、大きな水差しの中で湯気を立てていた。
「コルディナは寒いから、少しだけ温めて飲むのが昔からの習わしなんだよ」
イリスがコップ二つを食卓に置いた時、戸が開いた。
入ってきたのはオルドだ。
ミカンの搬入と選別が終わったらしい。
クロエはジュースを二つのコップに注いだ。
少し零れたが、誰も文句を言わない。
天板の膨らみは、こうした積み重ねでできたものだとユージーンは気づいた。
(ザイオンなら何か言いそうなものだけれど)
クロエは、ユージーンと視線が合った途端へらりと笑った。
多分同じことを考えていたのだろう。
「お帰り。父さんは集落の会合に行ったまま、まだ帰ってこないんだよ」
イリスは皿を用意して、オルドの世話を焼き始める。
「この前、地響きがあって、少し揺れたでしょう? 里長と一緒に原因を調べているのかもしれないね。あまり遅いようなら、見に行ってくれないかい?」
「そのうち戻ってくるだろうさ」
ユージーンの正面に座ったオルドが煩わしそうに、大きな溜め息をつく。
彼は母親のお喋りがあまり好きではないようだ。
「そんなことより今日は、結界用の龍紅玉に魔力を充填しなきゃならない。俺一人じゃ全然足りないから、母さんも協力してくれ」
オルドは柱の魔法陣へ目をやった。
その後ろにある龍紅玉が、果樹園とこの家を守る結界を支えているらしい。
「あたしはもう空っぽに近いよ」
イリスがそう言うと、オルドが声を荒らげた。
「なんでだよ。使わないでおいてって今朝言っただろう?」
粛々と食事をするクロエとユージーンの前で、軽い口論が始まった。
「家事には魔力がたくさん必要なんだ」
「それがわかってるから、今日はなるべく使わないでって言ったんじゃないか。結界にも魔力が必要なのに、どうするんだよ。このままだと今晩にも魔力切れを起こすぞ?」
「ちょっとぐらい鳥や虫にやられたって構わないさ」
「俺は構うよ! せっかく育てた果実が出荷できなくなったら困る」
口論の合間に、オルドが食事を掻き込むので、時々声が籠もる。
彼も母親も真剣だが、ユージーンには微笑ましい親子関係に思えた。
信頼関係がないと、こうしたやり取りは成立しない。
「お隣のラヴィに頼んじゃ駄目かね?」
「あいつは今日、里の外へ納品に出てるから無理だよ。帰って来たとしても、魔力の残量は厳しいだろうな」
「裏のミツギちゃんのところに頼めないかしら」
「あとで行ってみるが……どこも手一杯だからな」
ユージーンは、色の褪せた龍紅玉を眺めた。
カウザン第一拠点で過ごしている間は、魔力不足が問題になったことなどなかった。
ザイオンもルファンジアも、十分な魔力量の持ち主だったからだ。それに、魔力のないユージーンにはよくわからないが、ザイオンが作ったブレスレットのリセット魔法は消費した魔力を上限まで戻してくれる、と聞いた。
(リセットブレスレットって、案外凄いものなのか。もしかしたら僕は、大変なことをしてしまったのかも……)
クロエが、じっとユージーンの左手首を見つめていた。
ユージーンはドキリとした。
今更引っ込めても、怪しまれるだろう。
長袖で、分厚い上着も着ていたが、とうとう気づかれてしまったようだ。
クロエは手を伸ばして、ユージーンの左袖を軽く捲った。
そこにあるはずの、ザイオンにもらった魔導具はなかった。
「……お兄様、ブレスレットはどうしたの?」
ユージーンは、渋々答える。
「あれは……」
気づかれないうちは、黙っておくつもりだったのに。
「借金の担保に、預けた」
「預けた?」
クロエの声が尖る。
「借金ということは、私たちをここに連れてきたあの男ね?」
長老議会から来たマイロディスという名のエルフが、ユージーンの医療費を払い、ユージーンに働いて返せと言ってここに連れてきた。
だが、大金を何の保証もなく貸す訳にはいかないと、担保として要求されたのが、ザイオンから渡されていたブレスレットだったのだ。
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