プロローグ
見上げるほど大きな草食竜が、荷車を牽きながら坂をゆっくりと登っていく。
薄緑色の硬い皮膚を持つ草食竜シゲラには、角のような硬い突起が頭部に三本あった。
頭部の三本の突起に繋がれた手綱は、御者台へ伸びている。
手綱を握り、御者台に座っているのはエルフ族のラヴィだ。
緑色の長い髪を三つ編みにして、背中に垂らしている。髪を伸ばしているのは、魔力は髪に宿るという古い迷信を信じているからだ。面長の顔は、緊張のあまり血の気がない。
見開いた目で、彼は周囲を窺った。
収穫物を近隣の拠点に運んだ帰りで、保冷された荷車には、拠点で手に入れた肉や酒、調味料、乳製品が積まれていた。
高い位置にある御者台から草食竜越しに、果樹の連なりとコルディナの集落が見える。
あと三十分ほどかかるだろうが、日が完全に暮れる前には着きそうだと目測して、ラヴィは安堵の息を吐いた。
すぐ後ろの荷車には、拳大の龍紅玉が嵌め込まれている。
保冷用魔法陣に魔力を供給し続けて、元々紅色だった龍紅玉は、ほとんど色を失って透明に近い。
人型モンスターと呼ばれる怪物が地下深くから出現するようになって、龍紅玉の採掘は止まり、値上がりし続けている。
魔力を充填すれば使えるが、普通のエルフには負担が大きい。
このところの魔力不足問題を、ラヴィは腹立たしく思い返した。
原因の一端は、エルフ族長老議会にある。
怪物退治を理由に、魔力量の多い傍系エルフは、真っ先に長老議会の命により駆り出されてしまった。
続いて、働き手の多くが長老議会の作った軍に召し上げられた。
今は残ったエルフたちで魔力をやりくりして、灯りや水の確保、果樹園の結界を維持し続けている。
荷車の魔法障壁も、魔力を節約するために停止させているので、大きな獣や怪物に不意打ちされたら咄嗟には身を守れない。
ラヴィは不安でたまらなかった。
長い耳を神経質に動かしながら、彼は警戒を続けた。
夕焼けの残照が道を照らしていた。
集落までの、土を固めてある道を見通したラヴィは、点々と、何かが落ちていることに気づいた。
鳥の死骸だ。
無造作に引き裂かれたものが散乱している。
頭部だけのもの、翼の根元に千切れた肉が少しだけ残っているものもある。
一つ二つなら、野生動物が食事をした痕跡だろうと気にも留めなかったはずだ。
だが道だけではなく、左右にある木や茂みにも、何十もの翼や頭がばらばらに引っ掛かり、羽毛が飛び散っている。
この数は異常だ。
巨大な化け物がたくさんの鳥を食い散らかし、頭部や翼を千切って捨てたように見える。
ラヴィは青ざめた。
「ネア!」
身を乗り出し、滅多に使わない鞭を使った。
尻を叩かれた草食竜ネアは、短い唸りを上げて、わずかに歩みを速めた。
早く帰って皆に報せなければと、ラヴィは鞭を振るう。
そのたびに草食竜は、少しだけ駆けては、すぐに元の速さに戻った。
バサバサと、後方から何かが飛んでくるような音が聞こえた。
恐ろしくて、何度も唾を飲み込んだ。
ラヴィは、気のせいだと思い込もうとした。
だが音は確かに迫ってきて、いくつも、重なって聞こえた。
ギシギシ、バサバサと、風を切りながら追いついてくる。
何かが一瞬、視界の隅を掠めた。
大きくはないが、たくさんいる──
(鳥か? 蝙蝠か……?)
人の声に似たものが、頭上から幾つも降ってきた。
「ダレだ?」
「ダレ?」
「誰ダ?」
反射的に、ラヴィは背後を振り返った。
人間の生首のようなものが幾つも、空中を飛んでいる。
首の後ろで羽ばたいているのは、コウモリのような羽根だ。
目の前の光景が信じられず、ラヴィは後ろを見たまま固まった。
(気持ち悪い……これが、鳥たちを食い散らかした犯人か?)
ふいに、生首の一匹が群れを離れ、彼に向かってきた。
大きく開かれた人間そっくりの口の中に、鋭い牙が見えた。
ラヴィは咄嗟に、向かってきた生首を手にした鞭で打とうとした。
鞭が空を切る。
さっと引いた一匹の後ろから、他の生首が次々に迫ってくる。
ラヴィは恐ろしさのあまり、無我夢中で鞭を振り回した。
鞭をかいくぐった一匹が、彼の手にかじりつく。
痛みのあまり、彼は悲鳴を上げた。
その声に驚いたのか、あるいは怪物に気づいたのか、大きな草食竜が地響きを立てて走る速度を上げた。
荷車は大きく上下左右に激しく揺れながら、エルフの里コルディナを目指した。
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