エピローグ:コルディナ
カウザン第一拠点から荷車で一日ほど北上した先に、エルフの里、コルディナはあった。
やや標高の高い盆地に、なだらかな丘が連なっている。
日当たりの良い斜面に広がるのは、広い果樹園だ。
冬の季節を迎え、今は収穫期のただ中だった。
木に上って枝に足をかけ、身体を安定させたクロエは、実の一つを剪定バサミで枝から切り離す。
そして、ヘタのそばで余分な枝を切り落とすと、肩から下げた籠に入れた。
果実は日本の温州ミカンに似ている。
彼女は手を伸ばし、同じ作業を、別の実にも繰り返した。
頭上では時々、鳥の甲高い鳴き声が響いた。
果樹園を覆っている結界に入れず、文句を言っているようにも聞こえた。
侵入を許せば、収穫を待っている果実は嘴で突かれて商品価値を失うだろう。
エルフたちは結界を保つために、持てる魔力を結界用の龍紅玉に常時充填していた。
だが、里に住むエルフたちの魔力は低く、人数も少ないため、いざという時に結界が十分に機能する保証はない。
そう言われて、クロエは武器を持参していた。
背中に負ったままだと動きにくいので、いつでも飛び降りて構えられるように、木の根元に置いてある。
ザイオンに譲ってもらった『闇より出でし暴虐の暗黒棍』改め、天穿つ飛翔棍。
もっと良い武器に買い換えるつもりでいたが、手に馴染んだ今は手放せなくなった逸品である。
隣の木ではユージーンが枝にまたがっていた。
ここに到着したばかりの夜、ユージーンは体調を崩した。
けれど次の日からは、もう大丈夫だと言い張ってこの仕事をしている。
ユージーンの平気なふりは信用できない。
大丈夫と言いながら、朝には死体で転がっているかもしれない──
ザイオンが時を戻したために無かったことになったが、クロエは、死んだ兄を見つけたあの朝のことを忘れることができない。
彼女は兄の様子を疑り深い目でチェックした。
二人とも、少しダサいが分厚い服を着ている。
日除け用に被いの付いた帽子も被っているので、見た目だけなら立派な農作業員だ。
ユージーンは真剣な顔で、丁寧にミカンを一つずつ収穫している。
その一生懸命な様子は、とても幸せそうに見えた。
クロエは表情を緩ませた。
自然豊かな緑が囲う清浄な空気に、ユージーンは癒やされているのかもしれない。
クロエは実を一つハサミで切り離すと、柔らかい底部に指を差し入れて皮を剥いた。
ジューシーな実を二口で食べ終わる。
そんな大口を開けて食べるなんて、それでも元公爵令嬢なのか、と嘲笑う脳内ザイオンの声を無視し、皮を木の根元を狙って投げた。
いくらでも食べていいことになっているが、今日はこれでせいぜい十個目だ。
ミカンばかり二十も三十も食べられるわけがない。
皮はそのまま木の下に落としていいらしい。
腐った後は肥料になるのだろう。
隣で、ユージーンが一瞬だけ手を止めて、西の空を眺めた。
空は、夕焼けになりかけていた。
あかね色の雲が神秘的に光って、神々しいほどだ。
クロエは、音もなく変化していく空の色に目をやった。
彼女の脳裏で、静かな旋律が流れ始める。
二度と聴くことのできない前世の曲、『亡き王女のためのパヴァーヌ』だ。
果樹園にはオレンジ色の光が差しているせいで、まるで燃えているように見える。
見渡す限りの木々にはミカンが残っていた。
当分ここでの収穫作業は終わりそうにない。
コルディナでは冬に入ってから、働き手が激減していた。
人型モンスター討伐という名目で、エルフ族の長老議会が兵に取ったせいだ。
ユージーンとクロエは、その穴を埋めるための要員だった。
空の色が深い藍色へと沈む頃、車輪の音が丘を登ってきた。
収穫用の大きな台車を押しながら現れたエルフの男は、モンスターの毛皮で作った深紅の服を着て、同じ色のブーツを履いていた。
彼は果樹園の管理人、オルドだ。
やや厳つい顔つきをしていて、緑の髪を短く刈り込んでいるので、尖った耳が目立つ。
「いつまでやってる」
オルドは怒った口調で言う。
「暗くなったら、さっさと帰って来いと言っただろうが」
ユージーンは、そのキツい物言いに一瞬肩を揺らした。
「もう少しで、この区画が終わりそうなんです……」
そう言って、木にまだ残っていたミカンを急いで収穫する。
「そんなことを言っていたらいつまで経っても終わんねぇ。また倒れるつもりか?」
オルドは、収穫したミカンで一杯になった木箱を積んである場所へ行くと、台車に積み込み始めた。
果樹園までの道程で、病み上がりのユージーンは荷車に酔った。
御者役のエルフは防御用の結界を張っていたが、荷車の揺れまでは考慮しなかったのだ。
食事を摂る元気もなく、到着した時のユージーンは、まともに歩ける状態ではなかった。
こんな病人を寄こすとは、とオルドは送り届けてきたエルフに食ってかかった。
このままだと、収穫前に実が腐って落ちてしまう。
村の働き手を戻せ、とオルドは怒鳴りつけていたが、相手のエルフは『長老議会の意向ですので』と返すだけだった。
仕方なくオルドはユージーンたちの部屋を用意し、以来ぶっきらぼうな態度を崩さない。
だが、食事を用意し、ダサいが暖かい服を押しつけてきた彼は、ユージーンたちに敵意はなさそうだった。
「引き上げるぞ!」
オルドに強く言われて、仕方なく木から下りたユージーンは、持っていた籠の中身を台車の上の木箱に入れる。
多分ユージーンは、このままだと収穫前に実が腐って落ちてしまう、というオルドの言葉を気にしているのだろう。
そんなことになれば、それは体力が無くて満足に働けなかった自分のせいだと、兄は考えるに違いない。
丘の上に広がる果樹園をクロエは見渡す。
(早くマクシミリアンのところに帰りたい。けれど──)
無邪気な笑みを浮かべる彼を思い浮かべ、クロエは寂しくて仕方がなくなる。
(このままユージーンを置いて、ひとりで帰るわけにはいかないの。ごめんね……)
クロエは木から下りると、飛翔棍を拾った。
そして兄と同じように、収穫したミカンを籠から木箱に移した。
オルドは手際良く、全ての木箱をヒモで台車に固定していく。
「早く帰らないと、メシが冷める」
台車を押して歩き始めたオルドの後を、ユージーンとクロエがついていく。
車輪が時々派手な音を立てて、小石を跳ね飛ばした。
クロエを見て、ユージーンはほんの少し悲しそうに、微笑んだ。
オルドの、冷たそうに見えて親切なところ、ザイオンに少し似てるよね──ユージーンの表情から、そんな気持ちが読み取れた。
クロエもまた、切ない笑みを返した。
これにて第三部終了です。
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