3-39:エルフの里(13)
「私は、シャルシャ様の守り役でした」
帰路、ルファンジアは途切れ途切れに説明した。
「五十年近く前の話です。共和国はまだ国としての歴史が浅く、整備しなくてはならない制度や法律がたくさんありました。直系のエリクシャナ様は四種族会議に参加されることが多く、里を留守にされがちでした。その間、私を中心に、里の皆でシャルシャ様のお世話をしておりました」
ザイオンは数個の魔導灯を浮かせて、夜の山道を歩きやすいように照らし出していた。
ルファンジアの左側をアメリアが歩き、その後ろにいるのがザイオンとマクシミリアンだ。気づけば、葡萄ジュース輸送機の座席と同じ順で歩いていた。
「シャルシャ様は、活発で、外遊びが大好きで……」
ザイオンを振り返って、ルファンジアは微笑みながら目を潤ませた。
「風で舞う葉っぱを追いかけたり、木登りをしたり、あっという間にどこかへ走っていってしまうので、追いかける大人の体力がもたないほどでした」
「ザイオンにそっくりだったのでしょう?」
アメリアに問われて、ルファンジアは彼女に頷いて見せた。
「少し癖のある黒髪も、顔立ちも金色の瞳もそっくりで……でもまだ、ご自身の名前も言えないぐらいに、お小さくて」
山道は、ところどころ水が溢れていて、下に向かって流れていた。
道というよりは、浅い沢だ。
ザイオンの右隣を歩いているマクシミリアンの姿が、たまに見当たらなくなる。
どこへ行ったのかと探していると、丸々と太った鳥の首を握り締めて、木から飛び降りてきた。
背中に重い黒剣リタヌルを背負っているのに、よくもあんなに動けるものだ。
「外遊びをした後は、お昼寝をするのが日課でした。でないと、夜には疲れてしまって、ご機嫌が悪くなるのです。ある日の午後、いつものように寝かしつけたシャルシャ様を起こしに行くと……」
ルファンジアは、しばらく沈黙したあとで、ようやく言葉を繋いだ。
「どこにも、いらっしゃらなくて」
震える息を吐いて、彼女は更に続けた。
「ヴィニシエルの里に住む全てのエルフで捜索しましたが、見つかりませんでした。防御用の結界を調べると、ほんの一瞬だけ途切れた記録がありました。外部から、ごく小さな力で同時に膨大な回数、干渉されたのです。処理が停滞したその一瞬のうちに、良からぬ者が入り込んだのでしょう」
マクシミリアンは何度も山の闇の中に姿を消しては、帰ってきた。
そのたびに、ベルトに下げた獲物の数が増えていく。
今日の夜こそは肉を食べる。
そんな決意が、マクシミリアンの表情に現れていた。
(調理は誰がするんだ? 自分でできるのか?)
ザイオンには、そう尋ねる気力がなかった。
歩き回って疲れていたし、考えなくてはならないことが多すぎた。
あの黒い人型の化け物は、どうしてコードを書き換えることができたのか。
その答えがわからないうちは、安易に強力な攻撃魔法を放つわけにはいかない。今日のようにしっぺ返しを喰らうからだ。
「私は、死を持って償いたいと、エリクシャナ様に申し上げました」
ルファンジアは泣くような声で告白した。
「でも、エリクシャナ様は」
大きな切り株と、水の流れを避けて、滑りやすく急な坂をゆっくりした足取りで下りている間、ルファンジアの言葉は途切れた。
「エリクシャナ様は、シャルシャ様を一緒に探して欲しい、と仰いました。死んで簡単に終わらせるよりも、難しいかもしれないけれど生きて、シャルシャ様の居場所を突き止めて欲しい、と。守り役という大きな責務を果たせなかった私を、責めるようなことは一言も仰いませんでした」
足元を流れる水の量が増えた。
坂を下りきったところで、流れる水は川に合流していた。
目を輝かせて、マクシミリアンは川に向かおうとする。
ザイオンはマクシミリアンの襟元を掴んで、止めた。
「魚……」
「魚はいない。家に帰った」
「ええぇ」
「お前が勝手に魔法陣を壊したから、こんなに遅くなったんだ。諦めろ」
そのまま、四人は川の流れを下流へと辿る。
やがて、来る時に見た橋に行き着いた。
橋を渡って、今度は対岸の山道を登り始めた。
***
ヴィニシエルの里まで戻ってくると、ザイオンは鍵をルファンジアに預けた。
今は自分の手元にあっても仕方がないものだ。
「この鍵で本当に首輪の解除ができるかどうか調べます」
ルファンジアは、毅然とした様子でそう言った。
隷属の首輪は、ザイオンの母親にはめられたもの以外にも存在する。
火竜の卵をカウザン第一拠点に運んだのは、隷属の首輪をはめられた使役魔獣だった。
まずはその首輪から試すことになるのだろう。
ルファンジアは鍵を持って、エリクシャナの住む庵へと報告に向かった。
ザイオンたちが宿舎に戻ると、一階の食堂には豆料理メインの夕食が用意されていた。
頭が付いたままの小さな焼き魚もある。
食事の前に座ったザイオンは、疲労感に襲われた。
無理もない。
山を下り、洞窟の中に飛ばされて歩き回り、走って、縦穴の奇妙な仕掛けを上り──
(ルファンジアに、飛行用の術式について訊くのを忘れたな)
それよりも先に確認しなくてはいけない問題がある。
コード魔法の書き換えについてだ。
山道を歩きながら考え続けたが、疲れた頭では答えに辿り付けなかった。
ザイオンは、ルファンジアが以前言った言葉を、なるべく正確に思い出そうとした。
『権限とは、アレシャトから私たちエルフ族に与えられた、その血統に含まれる鍵だと言い伝えられています』
それがこの世界で、エルフ族にしか魔法が使えない理由だ。
詠唱であろうとコードで書き表した術式であろうと、術者の権限の元、魔法が発動する。
要するに権限とは、本人確認のようなものなんだろう。
『血統によって権限が異なり、使える魔法が違います』
権限の違う魔法のコードを書き換えようとすれば、元の権限は失われる。
特に古代エルフ族直系の血統であるザイオンの権限は最高位のはずだから、書き換えてもう一度権限を付与するなんて、できるわけがない。
腕を軽く叩かれて、ザイオンは顔を上げた。
「大丈夫?」
ザイオンの左腕を軽く突いたのは、正面の座席に座ったアメリアだ。
さっきから声をかけられていたらしいと、彼は気づく。
隣で食事をしていたはずのマクシミリアンは、いなくなっていた。
ザイオンはフォークを握ったまま、食事の途中で動作を止めていた。
「王子なら、厨房に行ったわよ。鳥を捌くんですって。できるのかしら?」
「ああ」
ザイオンは、豆をいくつかフォークで突き刺して、口に放り込んだ。
「共和国に来たばかりの頃は、野営でよくやっていたからな。捌くところまでは自分でできるはずだ」
そして、続きを考える。
このまま放置できることじゃない。
書き換えられた魔法砲弾を受けたのが、今回は自分だったから脱出できた。
けれど他の誰かだったら、あのまま亜空間に圧殺されてしまっていた。
(俺の作った魔法術式で、誰かが死ぬ……?)
考えただけで気分が悪くなる。
ザイオンは、フォークで魚を分解し始めた。
なんて食べにくいんだ。
マクシミリアンがどうやって食べたのかと疑問に思いながら、隣の席に目をやると、皿は空っぽだ。
「あいつ……骨だけじゃなく、頭まで齧ったのか?」
ザイオンは呆れた。
「別におかしくはないわよ?」
そう応じたのはアメリアだ。
「シシャモをちょっと大きくしたぐらいの小魚だもの。頭の骨は硬かったけれど、歯が丈夫ならこれぐらいは普通よ」
彼女の皿も綺麗で、骨の一本も残っていない。
シシャモ、というのはどうやら前世の用語らしい。
どんなものかは知らないが、骨ごと喰らうとは信じがたい。
「野蛮人共め」
思ったことをそのまま口にしてしまう癖は、治しようがなかった。
それで嫌われるのなら、仕方がない。
ザイオンは丁寧に身だけを分離して、魚の形をそのまま残した。
食事を終えたアメリアは葡萄ジュースを飲みながら、骨格標本のようになった魚に、信じられない、と言いたげな視線を向けている。
(もしかして、俺が食べ終えるのを待っていてくれたのか)
そんな気遣いを見せてくれた女性が、これまでにいただろうか。
ザイオンの記憶は、十代の頃に付き合ったパン屋の娘まで遡った。同時に、手痛い失恋の記憶まで蘇ってきた。
(あの頃の俺は傲慢で、容姿の優れた自分を、そうでない相手が好いてくれるのは当たり前だなどと思い込んでいて──)
自己嫌悪と共に始まった、どうでもいい内省をザイオンは追い払った。
やがて食事を終えたザイオンは、フォークを置いた。
アメリアがコップに注いでくれたジュースを飲みながら、彼女を窺う。
「なあ……」
「何?」
聞き返すアメリアの声は、やや冷たく響いた。
さっき野蛮人呼ばわりしたのを怒っているのかもしれない。
怯まずに、ザイオンは続ける。
「今日、魔法砲弾に刻んだ魔法が書き換えられて、俺に発動したのを見たよな?」
「……ええ」
アメリアは、ポケットに入れてある空の魔法砲弾を上からそっと押さえた。
「なぜ、あの黒い化け物は、俺のコード魔法を書き換えることができたんだと思う?」
「よくわからないわ」
アメリアの答えは、早過ぎた。
彼女は、いつもならもっと考えてから答えるはずだ。
一瞬の沈黙があった。
こちらを見たアメリアの表情は、迷っているようにも見えた。
「知っておかないと、今後誰かが、俺の魔法で死ぬかもしれない」
そうザイオンが言うと、アメリアは小さく息をついた。
「……確かにそうね」
彼女は声をひそめて告げた。
「私も、考えていたの。可能性があるとしたら……禁断の魔術師の源流が、貴方と同じ古代エルフ族王家にあるせいかもしれないわ」
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