3-38:エルフの里(12)
自動的に発動したザイオンの魔法障壁が、亜空間の圧縮に抗った。
自分の作った魔法が跳ね返ってきたことに衝撃を受けたザイオンだったが、比較的冷静に周囲の状況を眺めていた。
「ザイオン様!」
ルファンジアが黒い人型に背を向け、こちらに駆け寄ってくる姿が見えた。
複製された亜空間の内側から、しかも魔法障壁越しに見ているせいか、視界が少し白っぽい。
「どうなってるの?!」
アメリアがザイオンの肩に手をかけようとしたが、やはり素通りした。
まるで幽霊にでもなったかのようだと、ザイオンは思う。
「これは、私が投げた魔法砲弾のせい?」
アメリアは一瞬、泣きそうな表情を見せた。
今のザイオンの魔力量ならそう簡単には圧殺されないが、先日死に戻ったばかりだ。
アメリアが不安になるのも仕方がない。
ふいにザイオンは、信じがたい感情が自分の中にあることを知る。
普段は冷静なアメリアが心配そうな表情をすればするほど、胸の内に温かさが生まれていた。
(歪んでるな)
自嘲し、ザイオンは気を引き締める。
駆け寄ってくるルファンジアのずっと向こうに、黒い人影を斬り付けるマクシミリアンが見えた。
分裂してやり過ごそうとした影の一部が、逃げ遅れた。
触れた部分の黒い線が、溶けるように消えた。
(やっぱりそういうことか)
人型に見せているが、あれは集合体だ。
だが、1つの意思で統率されている。
マクシミリアンを避けながら、黒い影は形を大きく変えた。
尖った黒い槍が、宙を跳ねた。
狙われたのはアメリアだ。
咄嗟にルファンジアがアメリアの前に出て、魔法障壁を展開した。
弾かれ、形の崩れた黒い影を追って、マクシミリアンが大きく飛ぶ。
黒剣が叩き付けられた。
今度も触れた部分だけが、ザラリとした黒い粒子となって、消えていった。
残った大部分の影を、マクシミリアンとルファンジアがそれぞれ別方向から追い詰めようとする。
不定型な影は一瞬早く、彼らの間をすり抜けた。
「酸素は大丈夫? 意識ははっきりしている?」
アメリアは、自分が攻撃されたことには臆した様子も見せず、ザイオンを気遣う。
亜空間はザイオンを押し潰そうと、絶え間なく圧力をかけ続けていた。
だが、魔法砲弾に魔力を充填したのはザイオンであり、その量はザイオンの魔力量に及ばない。
発動した魔法が付与された魔力を使い果たすまで稼働したとしても、ザイオンを圧殺できるわけがないのだ。
「まさか、出る方法がないとかじゃないわよね?」
アメリアの声が不安に揺れた。
そろそろ潮時だ。
『§ ¶転送{対象:俺;転送先:親空間;} §』
ザイオンは短く詠唱した。
複製した空間なので、元の空間が戦闘用の亜空間であろうと通常空間であろうと、指定は『親空間』ですむ。
ザイオンが脱出した途端──と言っても、座標は同じだが──亜空間は中身を失って、あっという間に消滅した。
使い残された魔力が、ザイオンの足元で一瞬魔法陣の形に光った後、空間に溶け込んでいった。
ザイオンを囲んでいた光の歪みが消え、アメリアと、振り返ったルファンジアがほっとした表情を見せる。
「作る時には当然、脱出方法についても検討するからな」
と、ザイオンは嘯いてみせる。
「空間魔法を使える者はそう多くない。突破できるのは俺ぐらいだろう」
「そんなに簡単に出られるのなら、さっさと出なさいよ!」
アメリアは怒っていた。
「何をのんびりしていたの?」
「ちょっと考えていたんだ」
ザイオンは言い訳した。
心配されるのが心地良くて、などとは言えない。
「あいつの正体と倒し方について」
ザイオンは黒い人型を指さした。
「……正体?」
アメリアが、黒い人型の方を振り返る。
マクシミリアンが黒剣を手に、黒い人影を赤い檻の間際まで追い詰めていた。
ユラユラと揺れている影に向かって、ルファンジアが片手を翳し、詠唱を始める。
『§ ¶環境制御{要素:火;量:8;温度:900;時間:20;} §』
詠唱が終わるのを待たずに、影が形を崩し、大きく上へと伸びた。
二人の頭の上を越して、逆方向へ飛ぼうとする黒く長い影を、マクシミリアンが剣を高く上げて阻止する。
影は鋭角で曲がり、稲妻のようにルファンジアの足元をすり抜けた。
「待てぃ!」
マクシミリアンは、鬼ごっこでもしているかのように楽しそうだ。
大きな剣をぶんぶん振り回して、追い詰める。
影は攻撃を躱すたびに、崩れて人の形を失っていった。
「あれは単体じゃなくて集合体だから、魔法が効きにくいんだ。蟻や蜂と同じだな」
ザイオンは生まれ育った王城で、しつこく離宮に侵入してきた蟻の集団を思い出していた。
「蟻は、まるでその集団が1つの生き物であるかのような動きを見せる。それなのに、一匹ずつ退治するしかない、厄介な連中だ」
「確かに」
アメリアが頷く。
「あの人型は蟻と同じで、個体に見えて実は超個体だということね」
「実体は小さな線の集合体だから、単体を標的にする魔法を使っても、あの塊全体には効果がない。せいぜいあの中の小さな一匹をやっつけられるだけだ」
「……それで砲弾の魔法がうまく発動しなかったんだわ」
アメリアは、足元に落ちていた龍紅玉の塊を拾い上げた。
魔力を失って、今は透明に近い。
「それで、どうするの?」
「対象を複数指定した魔法を使おうと思うんだが」
ザイオンは、やや自信のない口調になる。
「あの黒い線は、人型モンスターの一種だと思うか?」
「線というよりは、管よね。目も口もないけれど、この罠に召喚されてきた異形の化け物だから、サムシングフェイルドのはずよ」
地を這って、ルファンジアやマクシミリアンから逃げる敵を、アメリアはじっと見た。
「元は神経とか、血管じゃないかしら」
「やっぱりアメリアは頼りになるな」
煽てるような口調になったせいか、アメリアは少し睨むような目でザイオンを見上げた。
本気で言ったんだけれどな、と思いながら、ザイオンは黒い人影に向き直る。
彼は、さっきルファンジアが唱えていた詠唱を流用することにした。
『§ ¶環境制御{要素:火;量:8;温度:900;時間:20;対象:この空間の全.サムシングフェイルド;} §』
対象を指定しての詠唱なので、この空間にいる限り逃げ場はない。
人型に戻ろうとしていた黒い影も、追随していた地を這う影も、一斉に炎を上げて燃えだした。
アメリアの言う通り、あの黒い線は、一本一本が『サムシングフェイルド』で間違いないようだ。
「……あーあ」
マクシミリアンが残念そうな声を上げ、剣を引いた。
燃え尽きた黒い線が灰となって、地面に落ちていく。
ルファンジアも足を止めて、元は黒い人型だった燃えかすを眺める。
全てが燃え尽きた頃、空の色が変わった。
景色も一変した。
オレンジ色になりかけた光が、傾斜した岩場を照らし出している。
これが本物の山頂なのだろう。
周囲には、夕焼けの光を受けた山々が見えた。
岩場は半ば緑に囲まれている。
それほど広くはなく、中央に人の背丈ほどの白っぽい石碑がある。
亜空間から戻された四人は全員、石碑の傍に立っていた。
ザイオンは石碑に刻まれた文字を眺めたが、風雨に削られていて、判読できない。
その石碑の上に、小さな金属が落ちてきた。
チャリンと音を立てて跳ね、地面に落ちたのは、金色の鍵だ。
見下ろしたアメリアが、息を飲んだ。
「なんだ?」
ザイオンは屈み込んで、鍵を拾った。
親指で隠れてしまうほどの小さな鍵だ。
以前取得した紫色の珠のように、消える様子はない。
「罠を突破した報酬か?」
ザイオンの後ろから、ルファンジアが覗き込んだ。
「これが座標の基準点となっていた『マスターキー』でしょうか?」
「そうね……多分」
アメリアは言葉を押さえ込むように、片方のこぶしを唇に当てていた。
何か言いかけて、言葉を飲み込んだように見える。
「宝箱を開ける鍵?」
黒剣リタヌルを担いだマクシミリアンが、期待を込めて尋ねた。
「違うわ」
アメリアは首を振る。
彼女はザイオンたちにじっと見つめられて、観念したようだった。
「確実な話ではないのだけれど」
いつものように、アメリアはそう前置きした。
「おそらく『隷属の首輪』を解除する鍵だと思う」
ルファンジアがすぐ後ろで、小さく声を漏らした。
ザイオンはもう一度、手の中の鍵を見た。
とても小さな、何の変哲もない鍵だ。
母親の、最期の姿が思い出された。
苦しげに両手で首輪を掻きむしり、外そうとしていた。
長い黒髪が乱れ、悲鳴を上げることもできずに、苦しんでいた母。
「これがあれば……母さんは、死なずにすんだのか?」
鍵を握り込むと、ザイオンはそっと膝を突いた。
「母さんが、この国に帰ってきて、この鍵を手に入れてさえいれば、助かったかもしれないのか」
急に憎しみが湧いてきて、ザイオンの思考を曇らせる。
「──なのに、あいつは母さんを王城から出さなかった。約束を守らずに、自分のそばに縛り付けて、死なせた。何が父親だ。あんな奴」
心の中で何度も繰り返してきた呪詛が、口をついて出る。
子どもっぽい恨み言だ。
自分でもわかっていて、止められなかった。
ザイオンは必死に、感情を抑え込んだ。
「ここに来るのが、あまりにも遅過ぎた。もっと早く来ていれば──」
「それは違うわ」
アメリアがザイオンの目の前に跪いた。
彼女は、彼の肩に手を掛けて言い聞かせるように言う。
「この山に入れなくなったのは、昨年の秋という話だったでしょう? つまり『禁断の魔術師』が鍵をここに隠したのは、つい最近よ」
それでも、あの時母を救えた方法がここにあるじゃないか、という気持ちが消えない。
もしかしたら、まだ間に合うのではないか──そんな有り得ない考えが一瞬だけ頭をよぎった。
悲嘆が、胸の内を満たし始める。
手の中にある小さな鍵。
その重量があまりにも軽すぎて──こんなものに、母の命が握られていたのかと思うと──
「あの魔術師には悪意しかなかった。人の気持ちを弄ぶつもりで、この場所に隠したのよ。その思惑通りになるなんて、悔しくない?」
ザイオンは、アメリアの強い意志を宿した瞳を見つめた。
「禁断の魔術師は……」
ルファンジアが、震える声で言う。
「解除する鍵を隠したから、探せと言いました。エリクシャナ様に見つけさせて、もう手遅れだと嘲笑うつもりだったのでしょう──だから」
涙を堪えながら、彼女は続けた。
「あの男の思い通りにはなりません。絶対に」
ザイオンは、ゆっくりと自分を取り戻し始める。
「……そうだな」
思惑通りになるのが悔しい、というよりは、今更どうしようもないのだという事実が、ゆっくりと胸の奥に浸透していく。
この鍵は、ただの鍵だ。
今となっては。
「帰ろう」
彼は立ち上がった。
周囲は随分暗くなってきていた。
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