3-37:エルフの里(11)
ザイオンは一度目、木箱に乗り損なった。
必要な時に必要な距離を飛ばなくてはならないのに、見極めようとしているうちに見送ってしまったのだ。
惨めな気持ちで彼は、板の上に乗ったまま木箱から遠ざかった。
ルファンジアのように風を生じさせて飛んでみようかとも思ったが、下を見ると、地面があまりにも遠い。
死ぬ事はないだろうが、この緊急時に、即席で作った術式で試行錯誤する時間は無いな、と諦めた。
ルファンジアのように飛ぶためには、複数の術式を組み合わせる必要がありそうだ。
どうやって実現しているのかと仕組みを考えているうちに、二度目の機会も危うく逃しそうになる。
その結果、再び近づいてきた木箱に乗り移った時、彼は足を滑らせた。
自転する木箱の動きを事前によく見て、把握しておくべきだった。
『§ ¶環境制御{要素:風;} §』
魔法を詠唱して身体を浮かせた。
省略した値は全て初期値で、強くもなく弱くもない風圧を操って木箱の上に留まる。
木箱は、ゆっくりと角度を変えていった。
斜めになった側面を歩き続けて、角が最上部になったら乗り越える、その繰り返しだ。
慣れたら、難しいことではない。
ただ、初めてだと戸惑う。
しかもこの高さだ。
アメリアやマクシミリアンは初見で、軽々とこなしているように見えた。
(慌てるな)
自分に言い聞かせる。
(魔法障壁があるから落ちても死なない。ただ、最初からやり直すだけだ)
歩きながら、ちらりと頭上を見上げると、穴から見える空が真っ赤だ。
それが夕焼けの色でないことに、ザイオンは気づいた。
(空間転送か……?)
おそらく、マクシミリアンがあの魔法陣を破壊した時に、異空間へ送られたのだろう。
洞窟からこの縦穴まで、全てが戦闘用に作られた別空間だったのだ。
『ここは、よく知っているマップ……ゲームの舞台だったの』
とアメリアは言った。
あれは、前世で経験して知っている場所だ、という意味だ。
だからあそこに隙間があることを知っていた。
(この仕掛けを軽々とこなせたのも、そういうことか──)
頭上から、重量のある音が響いてきた。
マクシミリアンの振るう黒剣の立てる音だと気づいたのは、かけ声も聞こえてきたからだ。
「よっ……と」
ドーン。
「そぅれっ」
ズドーン。
かけ声は間延びしているが、マクシミリアンが一撃では葬れない相手がいる、ということだ。その相手こそ、アメリアが悲鳴を上げた原因であり、ルファンジアが文字通り飛んで駆け付けた理由だとザイオンは気づいた。
いったい何者だ……などと考えている暇は無かった。
木箱は穴を出る直前の位置で、下がり始めた。
ザイオンは急いで魔法で風を生じさせて、縦穴の外に出た。
驚いたことに、彼が通り抜けた途端、足元に開いていた穴は埋まった。
水面が凍り付くかのように境界の色が変わって、赤茶けた土と岩だらけの地面に変わる。
一度出ると引き返せない『仕様』なのだろう。
彼は広い平地に降り立っていた。
どの方向にも、頭上にも、赤い網目模様の檻がある。
まるで赤い虚空に浮かんでいるようなこの場所が、アメリアがさっき言った『山頂』らしい。
「ザイオン!」
正面から駆け寄りながら、アメリアが叫んだ。
「後ろ!」
空気を切り裂く音がした。
振り向きざま、ザイオンは突き進んで来た黒く鋭い先端を避けた。
危うく串刺しになるところだ。
(いや、避けなくても魔法障壁が発動したはずだな)
後ろに立っていたのは、全身を黒いローブで隠した大柄な男だった。
襲って来た鋭利な武器が、するするとローブの中に吸い込まれていく。
その隙を狙って、マクシミリアンが飛びかかった。
頭上から黒剣を一撃──真っ二つになるかと思われた。
だが、黒剣は空振りした。
一瞬で中身が消えたかのように、地面にローブが落ちた。
「また逃げられた!」
マクシミリアンが地に足を踏ん張って、黒剣リタヌルを構え直す。
ローブは、まるで生きているかのようにうねっている。
ルファンジアがマクシミリアンの前に出て、ローブに手を翳した。
『§ ¶環境制御{要素:火;量:8;温度:900;時間:20;} §』
落ちたローブの端が炎を上げた。
異様な臭いが鼻を突いた。
何かの肉が焼けるような──
(ただのローブじゃない……)
「……せっ!」
マクシミリアンが、黒剣リタヌルをローブに向けて振り上げた。
正確には、ローブの下に隠れていた何者かを狙っていた。
驚くべき速さで、潮が引くように、黒い影がローブの下からさっと後退する。
そして、離れた場所に集まって、上へとうずたかく伸びた。
それは、黒い網で人の形を作った。
異形の者。
その言葉がピタリと当てはまりそうな様子に、ザイオンは言葉を失って思わず見入る。
透過して、神経だけを透かし見ているかのような、立体化した人体が出現した。
マクシミリアンが、駆け寄って剣を振り下ろすが、黒い網でできた人体は横滑りして逃げた。
逃げた先で、黒い影がさらに集まって、黒く長い手足と胴体、そして顔を肉づけた。
収まりきらない黒いヒモが、身体の表面でうねっている。
顔部分が、小刻みに変形して場所を空けた。
目玉のようなものが2つ、チグハグな場所に覗く。
「全っ然!」
マクシミリアンが再び重い剣を振り回す。
薙いだと思った剣は、黒い男を素通りした。
よく見れば、剣が触れる直前に自ら分断して、剣を素通りさせている。
「当たらない!!」
マクシミリアンが何度黒剣を振りかぶっても同じだった。
こぼれ落ちた黒い線が1つ、黒剣に当たって、地面に届く前に消える。
ルファンジアが再び、黒い人型に手を翳した。
『§ ¶環境制御{要素:火;量:8;温度:900;時間:20;} §』
だが、詠唱が終わる前に人型は形を崩し、無数の黒い線に化けて移動する。
標的を失った魔法は不発となった。
黒い線が素早く地面を這って、離れた場所に集まった。
そして、元の人型に戻る。
それならばと、ザイオンが前に出た。
左薬指の指輪に魔力を流す。
あらかじめ組まれた魔法なら、詠唱よりも速いはずだった。
ルファンジアと同じ、火の魔法だ。
微かに、発動したような感触はあった。
だが黒い人型は燃え出すこともなく、ユラユラと揺れながらそこに立っている。
人型の黒い手がザイオンに向けられ、長く鋭く、形を変えた。
鋭いヤリのような先端が襲ってくる。
ザイオンは二度、三度と避けた。
魔法障壁に頼ればいいようなものだが、つい本能的に避けてしまう。
「このっ」
再びマクシミリアンが黒剣を打ち付ける。
地面に激しくぶつかり、その周囲に数本の黒い線が落ちて消える。
ザイオンはようやく、魔法が効かない理由に気づき始めた。
「ザイオン!」
アメリアが前に飛び出し、手に持っていた魔法砲弾を投げ付けた。
黒い人型の化け物は、ぐにゃりと形を崩し、渦のようになって砲弾を飲み込んだ。
魔法は発動しなかった。
「アメリア」
ザイオンは彼女の腕を引っぱって、人型から遠ざけた。
「あれは多分……」
蟻や蜂の集団に近い。
そう伝えようとした時、黒い人型の顔に、口が現れた。
歯も何もない、ただの穴だ。
中は真っ黒に見えた。
そこから打ち出された丸い物体が、ザイオンめがけて飛んだ。
ザイオンの魔法障壁が発動する。
だが、障壁がその物体を弾いた途端、ザイオンは微かな衝撃を感じた。
彼は信じられない思いで、足元に落ちた塊を見下ろした。
それはさっきアメリアが黒い人型に向かって投げた魔法砲弾だった。
僅かに歪んだ光が、ザイオンを閉じ込めていた。
複製された亜空間の中に転送されたのだと、ザイオンは気づいた。
本来なら人型モンスターに対して発動するはずの魔法が、ザイオンを捉えていた。
(俺の作ったコード魔法が書き換えられた……? そんなことが可能なのか?!)
「ザイオン!」
アメリアの伸ばした手は、ザイオンには触れない。
彼女は素通りした手を、信じられないと言いたげな表情で眺める。
亜空間の檻が、ザイオンを圧殺すべく縮み始めた。
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