3-36:エルフの里(10)
縦穴は釣り鐘型で、上に行けば行くほど直径が小さくなっていた。
木の階段は壁の途中までしかない。
上り詰めたザイオンたち四人から見えるのは、感知式の魔法で動き始めたらしい二枚の板と、一つの四角い箱だ。
ザイオンはうんざりしながら、宙に浮いているその二枚の板と、箱を観察した。
二枚の板は、十字を描く形で動いていた。
一枚はザイオンたちのいる階段の近くまでやってきては、奥へと移動する動きを繰り返している。
もう一枚は左右方向に行ったり来たりしており、中央付近で、奥に移動する板の下を、直角に交差しながらくぐり抜ける。
真四角の木箱は右奥辺りで、昇降機のように上ったり下りたりしていた──グルグルと自転しながら。
この3つの物体が示唆する意味は、明白だ。
板を飛び移って、回転している箱に乗り、上に行けということだ。
ザイオンは下を覗いた。
地面ははるか下にある。
王城の壁よりも高い。
この高さから落ちたとして、魔法障壁が消費する魔力はどれぐらいだろう?
「誰だか知らんが、こんな仕掛けが作れるのなら、どうして宙に浮く階段にしなかったんだ?」
ザイオンは怒りを言葉にした。
「アレシャトの試練よ」
アメリアは無表情でそう告げた。
「アレシャトはこういう遊びが大好きだから、この世界を作ったの。ドキドキワクワクするでしょう? ……これが本物のゲームだったとしたら」
「アレシャトの試練……」
ザイオンの後ろで、ルファンジアが胸に手を当てる。
「それなら是非とも、ご意向に従ってこの試練を乗り越えなくてはなりませんね!」
アメリアは粗末な階段の一番上で、板と箱の動きを注視した後、すぐ後ろにいるマクシミリアンを振り返った。
「まず、あの板に乗るのよ」
アメリアは、足元まで滑るように移動してきた板を指さした。
「それから、そのまましばらく待って」
彼女の指が、引き返して、奥へと離れていく板をずっと追った。
「もう一枚の板が交差した瞬間に、乗り移る」
板と板の間には、落差があった。
奥へ移動する板の下を、左に移動する板がくぐり抜けた瞬間、アメリアの指は放物線を描いた。
透明な人がそこにいるかのように、アメリアは左へ移動する板を指さす。
「そのまま、また少し待って……」
左右移動の板は、左端に到着すると、引き返して右側へ──箱の方へと移動し始める。
回転する箱は、左右移動の板が到達する頃に、飛び移れそうな位置にまで下りて来る。
アメリアの指が再び動いた。
透明な人物は、今度は箱に飛び乗った。
「あの箱に乗ったら、動きに合わせて歩いて、落ちないようにしてね」
アメリアは、マクシミリアンに微笑んだ。
「あとは、箱が上に行ったら、穴の外に飛び降りるの。できそう?」
「簡単だね」
マクシミリアンが微笑み返す。
ザイオンは、胃に穴が開きそうな痛みを感じた。
少しでも足を踏み外したら地面に叩き付けられるのに、マクシミリアンは、そんなことは絶対に起こり得ないと思っているようだ。
魔法障壁に加わる衝撃が、ブレスレットに付加した魔力では対処し切れないほど大きかったら?
「じゃあ、私がやってみせるから。後を付いてきて」
アメリアは、チラリとザイオンを見た。
貴方にはできるかしら、と挑戦するような目付きだったが、ザイオンはそれどころではない。
(やってみせるから、だと? どうしてそんなに自信満々なんだ?)
万一彼女が落ちた時、自分も一緒に落ちてその身体を受け止めれば、ザイオンの魔法障壁が効力を発揮して助かるだろう。
だが、空中で受け止めるなどということが、自分にできるとは思えない。
(アメリアの魔法障壁が保てば良いが)
ザイオンのそんな気持ちも知らずに、アメリアは近付いてきた前後移動の板にひょいと飛び乗った。
(落ちるなよ!)
ザイオンは思わず、声をかけそうになる。
遠ざかっていくアメリア。
彼女は真剣に、左右移動の板を見守っている。
その板が、アメリアのいる板の下をくぐり抜けた時、彼女は足を踏み出した。
飛ぶ、というよりは、落ちる、という表現が当てはまる動きで、彼女はやってのけた。
ザイオンは、自分が息を止めて見守っていたことに気づいた。
アメリアの乗った左右移動の板が、いったん回転する箱から離れる方向──左へと流れていく。
アメリアは、マクシミリアンに手を振った。
前後移動の板が、奥まで行った後引き返して、階段のそばまで迫ってきていた。
マクシミリアンがその板に飛び乗る頃には、アメリアを乗せた左右移動の板は向きを変え、木箱の方へ向かって行った。
左右移動の板が右奥へ到達したところで、アメリアは、下りて来た木箱に向かって飛んだ。
ザイオンは目を覆いたくなる。
アメリアは、無事に木箱へと飛び移ることができた。
回転する木箱は、大人一人が上を歩けるほどの大きさがある。
ゆっくりとした自転に合わせて、アメリアが歩いた。
アメリアを乗せた木箱が上昇して行き、彼女の姿が見えなくなっていく。
「わあ」
気の抜けた声に、ザイオンは、マクシミリアンの方を見た。
左右移動の板に乗り損ねたらしい。
板の縁に片手でぶら下がったまま、左へ運ばれていくマクシミリアンの姿が見えた。
もう一方の手には、黒剣を持っている。
「アメリアを見ていたら、ちょっと失敗しちゃった」
「さっさと上がれ、この馬鹿! 剣は捨ててしまえ!」
ザイオンは、目もくらみそうな怒りを感じていた。
思わず背後の岩壁を拳で殴り、反動で身体がふらつく。
(落ちる……!)
血がざっと引くほどの恐怖と共に、ザイオンは岩壁の凹凸に掴まって、階段の上で身体を立て直した。
「大丈夫?」
アメリアの声が、はるか上の方から響いた。
「平気!」
マクシミリアンが黒剣を板の上に一旦載せた後、両手で身体を引き上げた。
大雑把な動きで板に乗り直した時、黒剣がずり落ちそうになった。
「おっと」
マクシミリアンは身を乗り出して、剣を確保する。
ザイオンは怒鳴りそうになって、堪えた。
「よそ見しちゃ駄目よ?」
アメリアの声が、小さく聞こえてきた。そろそろ木箱が最高点に達する頃だろう。
(お前がな?!)
再び言葉を飲み込んで、ザイオンは階段の一番上まで上がった。
もうすぐ、前後に移動する板が足元まで迎えにくる。
宙に浮いて自動で移動している以外は、何の変哲もない木製の板だ。
そう見せているだけで、どこかに龍紅玉や魔法陣が仕込まれているに違いない。
マクシミリアンの乗った左右移動の板が左端で折り返し、木箱の上下する場所へ向かい始める。
この状況なのに弟は、ニコニコと笑っていた。
「楽しいね!」
「楽しくなんかねぇよ!」
ザイオンは声を抑えて言い返した。
右奥に、誰も乗っていない木箱が下りてくる。
アメリアは無事に外へ出られたようだ。
マクシミリアンの乗った板が、もうすぐ木箱の場所に到着する。
ザイオンの足元にも、前後移動の板が到達した。
そちらに飛び移る時、ヒヤリとした恐怖が背筋を走った。
すぐ後ろで見守っていたルファンジアが、小さく息を吐いたのが聞こえた。
動く足場の上の、手すりも何もない場所がどれほど心許ないかを、彼は思い知る。
大人一人が立てるほどの広さはあったが、よろめいて倒れたら、落ちるしかない。
十代の頃、側近になるための訓練の一環で、何時間も直立不動で待機させられた。
ただ立っているだけでも、かなり筋力を使う。
あの時の経験がなければ、ふらついて落ちたかもしれない。
ザイオンは前を向き、極力下を見ないようにした。
「また後でね!」
木箱に飛び乗ったマクシミリアンが手を振る。
左右移動の板が引き返し始めた。
今度はザイオンが、左右移動の板に飛び移らなくてはならない。
だが、上り始めた木箱が気になって見上げた。
マクシミリアンは、木箱の動きに応じて移動している。
どうやら無事に上っていきそうだ。
ザイオンは視線を下げて、近付いてくる左右移動の板を見つめた。
アメリアはさっき、飛んだりはせずに、ただ踏み出す動作だけで乗り移っていた。
確かに、飛んだりしたら位置がずれて、落ちてしまいそうだ。
ザイオンは下を通り抜けようとする左右移動の板に、アメリアを真似て落ちるように踏み出した。
万が一狙いがはずれて落ちた時の魔法術式を、ザイオンは考えた。
以前海の上で、船に乗り移った時に詠唱した、風を要素とする術式の値は、何だっただろうか。
──思い出そうとしているうちに、彼は無事左右移動の板の上に降り立った。
岩壁の階段では、ルファンジアが一番上まで移動していた。
彼女はザイオンに向かって、頷いて見せた。
ザイオンを乗せた左右移動の板は、ルファンジアの立つ階段から見て左へ遠ざかっていった。
マクシミリアンはその反対側の岩壁辺りを、木箱に乗って上昇し、やがて見えなくなった。
ふいに、アメリアの短い悲鳴が、かすかに響いた。
ザイオンが弾かれたように上を見上げるが、引き返して下りてくる木箱しか見えない。
「アメリア!」
声が届かないのか、返事はなかった。
「どうした!?」
「ザイオン様!」
声に振り向くと、階段の一番上で待機していたルファンジアが、ふわりと宙に身体を浮かせた。
彼女を中心に下向きの風が巻き起こり、周囲の空気を巻き込んでいる。
一旦落ち着いたはずの土埃がくるくると竜巻のように舞った。
ルファンジアは、通信用の魔導具に手をやって叫ぶ。
「緊急事態です! 一人でしか飛べませんので、先に行きますね!」
遠ざかりながら、彼女は付け加える。
「残念ですが、アレシャトの試練は諦めます!」
そして、あっという間に縦穴を上昇していった。
「……え?」
呆気にとられて、ザイオンはそのまま見送った。
(魔法で飛べたのか? じゃあどうして、一緒に階段を上ってきたんだ? 誰かが落ちたら、助けるつもりで見守っていた? それに『アレシャトの試練』というアメリアの言葉を真に受けていたのか?)
生真面目な彼女らしいが──
「……待て!」
遅れてザイオンは叫んだ。
「せめてその術式を教えていけ!」
彼の声は、風の音で打ち消されたようだ。
ルファンジアが戻ってくることはなかった。
一人残されたザイオンは、近づきつつある回転する木箱を、空しい気持ちで見つめた。
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