3-33:エルフの里(7)
逃げ込んだ洞窟は狭い一本道で、やや湾曲していた。
追って来る化け物たちから逃げ、ザイオンは奥へ奥へと走った。
だが、暗くて見えなかっただけで、その洞窟の天井にも同じ化け物が巣くっていた。
ザイオンが通り過ぎると、一斉に飛び立って追って来る。
数が増える一方だ。
突っ込んできた化け物たちが、魔法障壁によって弾かれ、仲間同士でぶつかり合いながら岩壁に激突する。
その鈍い響きが絶えず聞こえてきた。
(一度の詠唱で多く倒すには、対象を複数指定にする必要がある)
走りながら、ザイオンは思い出そうとした。
指定の方法はいくつかあったはずだ。
立ち止まって、今肩からかけている魔法書を、開いて読むことができれば──。
化け物の首が数匹、時間差で魔法障壁にぶつかってきた。
弾かれて、フラフラと落ちていく仲間と入れ替わりで、別の生首が飛んできて障壁にぶつかる。
間近で見ると、本物の人の首より一回り小さい。
人に似ているが人ではない。
行動を見ていると、知能が高いとも思えない。
その異形の存在に、ザイオンは耐え難い不気味さを感じて目を逸らす。
魔法障壁は今のところ、化け物の攻撃を全て防いでいた。
だがあまりにも数が多ければ、そのうちの何匹かは通り抜けてしまうかもしれない。
魔法障壁を支えるコード魔法の処理が、限界を超えてしまうからだ。
(早く何とかしないと──アメリアたちも同じ目に遭っているかもしれない)
ザイオンは記憶を頼りに、氷を針の形状にして降らせる魔法を詠唱した。
『§ ¶環境制御 {要素:氷; 形状:針; 量:10; 強度:10; 時間:10; 対象:全.サムシングフェイルド; } §』
だが、魔法は発動しなかった。
化け物たちが魔法障壁に激しく衝突しては弾かれる鈍い音が、響き続けた。
(なぜだ……?)
走りながらでは、考えがまとまらない。
仕方なくザイオンは足を止めた。
あっという間に追って来ていた化け物たちが追いついて、魔法障壁の向こう側を隙間なく埋め尽くす。
ザイオンは洞窟の壁に背を向け、後方に回り込まれないようにした。
背面の処理が不要になるだけ、障壁への負荷が減るはずだ。
焦る指で、魔法書の留め具を外して本を広げた。
対象の複数指定方法を解説したページを探す。
ポケットに手を入れた彼は、鉛筆がないことに気づく。
マクシミリアンに貸したままだった。
舌打ちし、ページの記述に爪で印を付ける。
***
複数指定の方法
対象: [範囲指定句 例:視界内の / この部屋の]全.種別名;
***
目の前では、魔法障壁の膜が光を放っていた。
その向こう側は、弾かれても諦めず障壁に向かって来る化け物たちでいっぱいだ。
右も左も、上を向いても、押し合いへし合いする変顔が密集している。
マクシミリアンなら笑い出すところだろう。
だが、灯りに照らされた顔はどれも憎々しげだ。
とても笑う気分にはなれない。
(焦るな。焦るから失敗する)
灯りが消えた。
指定の時間が過ぎたのだ。
魔法障壁がうっすらと光っているが、本を読めるほどではない。
もう一度詠唱して灯りを灯そうとするが、何度か言い間違えてしまった。
『§ ¶環境制御{要素:光;量:10;距離:1;時間:600;} §』
ようやく正確に詠唱して、その灯りの下で本を開き、爪で印を付けた部分の続きを読む。
注意事項:
対象の数に比例して、魔法消費が跳ね上がる。
対象が多すぎると、魔法の発動までに時間がかかる。または発動しない。
(多すぎたんだ──俺はさっき、何て唱えた……?)
対象:全.サムシングフェイルド、それは、この世界の全てのサムシングフェイルドを対象にする、という意味になってしまったのではないだろうか。
発動しないわけだ。
(範囲を絞らないと。視界内の……だと、絞り過ぎてしまうな)
見えている化け物を排除しても、この洞窟内にいる他の化け物が前に出てくるだけだ。
もう少し範囲を広げないと、一度では終わらない。
ふいに、魔法障壁の光がすっと薄くなった。
攻撃の処理の多さに、停滞したのだ。
それはほんの一瞬だったが、ザイオンに冷や汗をかかせるには十分だった。
そのわずかな隙をついて、数匹の化け物が障壁を通り抜けた。
ザイオンは手に持っていた魔法書で、向かってきた化け物たちを次々に殴った。
魔法で強化された本は、鈍器の役割を十二分に果たした。
1つ、2つと生首の化け物を物理的に弾き飛ばす。
女の悲鳴のような、子どもの泣き声のような、人に擬態した声が響いた。
最後の一匹、若い男の首が魔法書をさっと掻い潜って左腕に噛みついた。
ジャケット越しに、尖った牙が食い込んだ。
ヒリつくような痛みと共に、魔力を吸われる不気味な感覚があった。
「てめ、この……!」
魔法書の角で何度も打ち付けて、怯んだところを手で引き剥がした。
髪の生えた頭を掴んで、地面に叩き付けた。
腕の傷口から血が溢れ、服を濡らしていく。
化け物の牙は思った以上に硬く、鋭かった。
革製のジャケットを着ていなければ、肉を噛み千切られていたかもしれない。
突然、右太ももに激しい鋭い痛みを感じた。
「なんだよ!?」
まだ一匹残っていたのだ。
罵り声を上げて、ザイオンは太ももに噛みついた頭を魔法書で殴った。
強い顎の力が、がっちりと食らいついている。
さっきと同様、魔力が失われていくのを感じた。
ザイオンは右手で狙いをつけ、左中指の指輪に魔力を流した。
『§ ¶電撃{10,2} §』
雷要素の魔法が発動する。『電撃』は指輪に焼き付けた関数の名前、引数で渡した数値は、強度と時間だ。
化け物は電流を浴びて、硬直した。
白目を剥き、地面に落ちた化け物の首を、ザイオンは足で蹴飛ばした。
老人のように見えるその首が転がった先で、仲間の化け物たちがさっと退いた。
首は、光を失った目で見上げてきた。
「痛ってえんだよ、クソが!」
ザイオンは怒鳴った。
肉を抉られたに違いない。
激痛に、ザイオンは身体を竦めた。
リセット魔法で元には戻せても、こうした痛みを忘れることは簡単にはできないだろう。
化け物たちが怯んだのは一瞬で、すぐにまた捨て身の突撃を繰り返し始め、魔法障壁が明滅する。
また襲われないうちにと、彼は急いで詠唱した。
『§ ¶環境制御 {要素:氷; 形状:針; 量:10; 強度:10; 時間:10; 対象:この洞窟内の全.サムシングフェイルド; } §』
さっきと同じコードだが、最後の対象部分だけが違う。
世界中のサムシングフェイルドではなく、この洞窟内のサムシングフェイルドを対象とした。
数値は、単体相手なら強すぎるほどの数値だ。
詠唱が終わった後も、生首の化け物たちは魔法障壁に向かってぶつかり続けていた。
(また不発か……?)
まだ指定の範囲が広すぎるのか。
噛み千切られた部分が酷く痛む。
ズボンから下に血が溢れて、ブーツを濡らした。
腕の傷も深いようで、袖口から血が垂れてきた。
ふいに、ザイオンは目眩を感じた。
身体を流れていた暖かい流れがふっと消えた。
魔力の大半が失われていた。
不発ではなく、遅延だったと知り、ほっとする。
針の形をした氷が、魔法障壁の向こう側に降り注ぎ始めた。
血が飛び散る。
「ダレダ?!」
首たちは悲痛な声で問い続けた。
およそ十数える間、鋭い氷の雨に晒された首の化け物が、次々に落下した。
ザイオンはふらりと体勢を崩しかけて、洞窟の壁に一瞬手を突いた。
だがすぐに真っ直ぐ立つ。
でこぼこした岩の表面は湿気ていて、虫が這っていても不思議ではないからだ。
(アメリアたちを探さないと──)
足元が、血でぬめっていた。
自分の血と、化け物たちの血だ。
地面には、死んだ首が山積みになっていた。
迂闊に進むと滑って、死骸の山に突っ込んでしまいそうだ。
(回復が先だな)
彼はジャケットの左袖を少し捲って、ブレスレットを露出させた。
ブレスレットは、腕から流れ出た血で汚れていた。
古代エルフ文字を手順通りに辿り、リセット魔法を発動させる。
腕と太ももに負った傷が消えた。
痛みがなくなって、ザイオンは安堵の息を吐く。
消費された魔力も、上限値まで戻ったはずだ。
彼は、ブレスレットに刻まれた古代エルフ文字を、さっきと別の順番でなぞる。
追跡魔法が起動し、ブレスレットのすぐ上に、光を放つ窓が現れた。
マクシミリアンを表す緑の輝点が、移動していた。
どうやら無事なようだ。
ルファンジアに渡しているのはブレスレットではなく単純なリセットリングなので、居場所はわからない。
アメリアは、身体に名前を刻む方法を受け入れなかった。だが彼女に渡してあるブレスレットで、位置を追跡できる。
表示された赤い輝点は、ここからは少し距離があった。
ザイオンはしばらく見守っていたが、アメリアのブレスレットは動かなかった。
(まさか──怪我でもしたのか? それとも……)
魔法障壁を突破され、化け物たちに体中食いつかれているアメリアの姿が、脳裏に浮かんだ。
地面に転がった化け物たちの死体を足で押し退けながら、ザイオンはアメリアのいる方向へと急ぎ始めた。
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