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二進法原初魔法  作者: lukecat
第三部:探索
171/207

3-32:エルフの里(6)

 魔法障壁は、対象者に有害な攻撃を弾く設定だ。

 水に濡れる程度の軽微なできごとは、防いではくれない。


『§ ¶環境制御{要素: 風; 量:2 ; 温度:60; 風速:20; 時間:600; 対象:俺;} §』


 しばらくの間ザイオンは橋の欄干に持たれて、魔法で身体を乾かしていた。

 ずぶ濡れで、とても惨めな気分だった。


 肩から掛けたベルトに留めている魔法書にも水がかかったが、古びた装丁には龍紅玉製のプレートが嵌め込まれている。そこに刻まれた魔法が魔法書本体を守っており、問題はなさそうだ。


 マクシミリアンは大型犬のように髪を振って、水滴をそこら中に飛ばしていた。


「やめろ。こっちに飛ばすな!」


 仕方なくザイオンは、マクシミリアンに対しても詠唱した。


『§ ¶環境制御{要素: 風; 量:2 ; 温度:60; 風速:20; 時間:600; 対象:マクシミリアン;} §』


「おおぉ」

 頭の上から吹く暖かい風を面白がって、マクシミリアンはくるくると回った。

 アッシュブロンドの髪がフワフワと揺れている。


「いいわね、それ」

 アメリアはザイオンの傍らに立って、吹いてくる温風に手を差し伸べた。

「手を起点にしなくても、風を発生させられるのね?」


「対象を自分にして、方向を指定すればいいだけだ。対象指定を省略したら、初期状態で自分の利き手が起点になる」

 彼女の顔を見ずに、ザイオンは説明した。

 川に落ちたところを見られるなんて、格好が悪い。


「帰ったら、詳しく教えてくれる?」

 微笑みかけるアメリアを、ザイオンは振り返った。

 彼女は本気で知りたいのか。

 それとも、濡れて不機嫌な自分を慰めてくれようとしているのか。


「ああ。……帰ったらな」

 ザイオンはふたたび目を逸らす。

 子どもっぽいこの気持ちは、何だろうか。

 失敗した自分が許せない。

 面白くない。

 プライドが傷ついた、ということだ。


(案外つまらない男なんだな、俺は)


 ザイオンは、川や橋を行ったり来たりしているルファンジアに視線を向けた。

 彼女は空間の境目を調べていた。


 問題の山を囲む空間は、山の部分だけ切り落とす形で繋がっているようだ。

 橋を渡り、境目を通り抜けたルファンジアの姿が消える。

 そのすぐあとに引き返してきて、何も無い場所から出現した彼女は、屈み込んで、木製の橋の表面に真っ直ぐな線を焼きつけた。

 高温の火でさっと一直線に炙るだけの魔法だ。


 川の中に並ぶ飛び石も調べ、石の上に焼き印を増やしていく。

 マクシミリアンが面白がって、印を飛び越えたり戻ったりし始めた。

 その姿が、消えたり現れたりする。


 ルファンジアは、彼の動きを目視しながら、境界線の延長を探した。

 やがて彼女は、木や茂みの中に隠された魔法陣を見つけた。

 魔法陣の後ろに隠されているのは、色を偽装された龍紅玉だ。

 一つではなく、いくつもあった。


「どれも探知用ですね」

 魔法陣のコード魔法を調べたルファンジアが告げた。

「どこかに罠の本体があるはずです」


 身体を乾かし終わった後、マクシミリアンが木の枝をナイフで伐採し、蜘蛛の巣を蹴散らして山肌に道を拓いた。

「お前も役に立つことがあるんだな」

 ザイオンがそう言うと、嬉しそうな顔をしている。

 貶めているのに、マクシミリアンはその微妙な意味合いを理解していない。

 アメリアがチラリと、咎めるようにザイオンを見た。


「凄く助かったわ! さすがは王子ね」

 彼女は精一杯背伸びして、マクシミリアンの頭を撫でた。

 マクシミリアンは、ますます得意げになった。


 魔力充填を頼まれた時、アメリアの手が髪に触れた一瞬をザイオンは思い出した。

 ザイオンは母親を亡くして以来、誰かに頭を撫でられたことなどない。

 だからあの時、今のマクシミリアンと同じように喜んでしまったのだろう。


「ここで一旦セーブしましょう」

 アメリアに促されて、ザイオンは状態保存魔法を詠唱する。

 データ保存完了の合図として、アレシャトの啓示音が頭上に響いた。

 ルファンジアが恭しく胸に手を当てた。


(俺も、役に立ってるよな?)

 ザイオンはチラリとアメリアを見た。

 アメリアはルファンジアの作業に気を取られていた。


 ルファンジアは、新たに見つけた魔法陣の上に屈み込んだところだ。

「どうやらこれが罠の本体のようです。龍紅玉に直接魔法陣を刻んでいます」

 彼女が魔法を詠唱すると同時に窓が現れて、数字と記号が流れる。

「ダンプ直後は16進法で、魔法で古代エルフ語に翻訳しているのね」


「……まるで裁縫のように、魔法を糸のように使って空間を縫い付けています」

「座標と座標を指定して、無理矢理隣り合わせているということ?」

 アメリアはルファンジアの説明を理解しようとしていた。


「座標の指定方法は? 基準点はどうやって決めているのかしら?」

 アメリアの質問に、ルファンジアは難しい表情になる。

「標的を"マスターキー"と指定し、そこを中心点として、距離を座標に使っています。山のどこかに、"マスターキー"と名付けられた物が存在するということですね」


「マスターというと」

 アメリアが、ザイオンを振り返った。

「スレーブと対の……?」

 彼女が口にしたのはおそらく、前世での用語だろう。その気遣わしげな表情にザイオンは気づく。

「何だ?」


「……何でもない」

 アメリアは視線を逸らした。

「ここには閉じ込めるような罠は見当たらないし、後回しでも大丈夫そうね。今日はこれで引き返しましょう」


 ザイオンはほっとした。

 今から帰れば、今日中に家に到着するかもしれない。


「これは壊さないの?」

 マクシミリアンが魔法陣を指してそう尋ねたのは、これまで廃拠点で見つけた魔法陣は全て破壊してきたからだ。


「山に入れないエルフたちにとっては不便なので、破壊しましょう」

 ルファンジアがそう促した。

「そうね……でも」

 アメリアは、迷うように言った。

「今でなくても……」


「僕が壊す」

 アメリアの考えがまとまるのを待たず、マクシミリアンは肩にかけていたベルトをずらして、留めていた黒剣リタヌルを外した。

「マクシミリアン」

 ザイオンが苦々しい気分で呼ぶ。

「勝手な行動をするな」


「待って、王子」

 アメリアが止めようと顔を上げた時には遅かった。

 黒剣は人型モンスター専用の魔導具で、鋭い刃を持つとは言い難い武器だが、その重量は鈍器並みだ。

 振り下ろされた一撃に、刻まれた魔法陣共々、龍紅玉が粉々になった。

「この馬鹿……」


 ザイオンの罵倒が終わるより先に、足元の地面が消えた。

 一瞬、ふわりとした浮遊感に襲われた。

 暗闇に包まれ、何も見えなくなる。


 すぐそばで、アメリアが息を飲んだ音が聞こえたような気がした。

 ザイオンは咄嗟に手を伸ばした。

 その手が、虚空を掴んだ。


 ザイオンは平衡感覚を失って、よろめいた。

 さっきまで、傾斜のある山肌に立っていたはずだ。

 なのに今足元にあるのは、固い感触のある平らな地面だ。


「アメリア!」

 まるで狭い場所にいるような反響に、ザイオンは気づいた。

「マクシー! ルファンジア!」


 答えはない。

 だが、完全な沈黙でもない。

 小さく囁き合うようなざわめきが、暗闇に満ちた。

 ギシギシと何かが擦れ合うような音が聞こえる。


『§ ¶環境制御{要素:光;量:10;距離:1;時間:600;} §』


 灯りを呼び出して、周囲を見渡した。

 初めは、自分がどこにいるのかわからなかった。

 周囲にあるのは、でこぼこした岩の壁だ。

 目の前に、石の壁で囲まれた道が続いている。

 彼の後ろも同様だ。


 洞窟のようだ。

 地下なのか、さっきいた山の中なのかはわからない。

 誰の姿もなく、そこに立っているのはザイオン一人だ。

 今まで廃拠点で何度も空間転送の罠を経験したが、分断されるのは初めてだった。


(あの罠本体の破壊が、空間転送の起動条件になっていたに違いない)

 アメリアたちも、この洞窟のどこかに飛ばされたのか、それとも自分一人が転送されたのか──


 キシ、キシと響き続けている音に、ザイオンは視線を上げた。

 天井に、不気味なものが見えた。

 逆さまになった人の顔だ。

 ザイオンは思わず後退った。


 まるでコウモリのように、人の首が逆さまの状態で並んでいた。

 男、女、老人。子ども。赤ん坊。

 彼らの瞳は大きく、灯りを反射していた。


「誰だ?」


 首たちの1つが、誰何した。

 その首の後ろから生えた小さな羽根が、ゆっくりと開かれ、再び閉じられた。

 羽根の擦れる音が、キシキシ、ギシギシと鳴る。

 コウモリ型の羽根の先には、小さな手がついている。

 その手は人間そっくりで、五本の指まであった。


 魔導灯の灯りが届く限りの洞窟の天井を、逆さまになった無数の生首が覆っていた。


 更に二、三歩、そっと後ろに下がったザイオンは、右手側に洞窟の分岐を見つけた。

 分岐した道の先はまっ暗で、どこに続いているかはわからない。


 生首の化け物は、羽根を大きく開き、羽ばたいた。

 飛び立つ前兆のように見えた。

 襲われても、魔法障壁が防いでくれるだろう。

 理屈ではわかっていた。

 だが──

 

「「「ダレダ?」」」

 生首の化け物たちが声を揃え、牙のある口を開く。

 そのうちの1つが、ふと天井から離れた。

 続いて、化け物たちが次々に飛び立った。


「誰ダ?」

「ダレ?」


 誰何というより、それは化け物が唯一話せる言葉のようだった。


「「「ダレだ?」」」


 たった1つの言葉が、無数に重なる。


 首の重さを持て余すように、大勢の化け物たちが不規則な上下運動を繰り返しながら飛んでくる。それほど速くはない。


(まとめて撃ち落とすにはどうしたらいい? 指輪に焼き付けた魔法は対象を『サムシングフェイルド』にしているから──)


 考えているうちに、化け物の一匹が間近にまで迫った。


 ザイオンは利き手を翳す。

 左人差し指に嵌めた指輪に魔力を流すと同時に、数値を詠唱した。

 針の形をした氷が降り注ぎ、化け物の魔法障壁が光った。

 だが、すぐに魔力切れを起こして、光が消える。

 障壁を失った化け物の本体を、幾つもの氷の針が貫く。


 単体の『サムシングフェイルド』を対象に指定してコード魔法を組んでいる以上、この方法では倒せるのは一匹だけだ。

 二匹目、三匹目と、ザイオンは同じ魔法で撃ち落とし続けた。


 仲間たちが地面に叩き付けられても、他の化け物たちは怯む様子を見せない。

 我先にぶつかり合いながら、生首たちがザイオンに向かってくる。

 キシ、キシと擦れる羽根の音と、誰だ、と尋ねる声が重なった。


 そのおぞましい光景に堪えきれず、ザイオンは衝動的に、右手に見える洞窟の分岐に向かって走り出していた。











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