3-28:エルフの里(2)
庵を辞したザイオンが外に出てみると、大気はますます冷え込んでいた。
建物の中は魔法によって温度調節がされていたのだろう。
そのコードが、ふと気になった。
¶環境制御{要素: 熱量; 温度: 23±3; 対象: この建物の気体;}
組み方はいろいろとあるが、こんなところか。
消費する魔力量は、建物内の気体量と外気温との差に左右される。この庵程度なら、さっき天井辺りで見た龍紅玉で一ヶ月は賄える──
(職業病か?)
ザイオンは疲れた頭を振って、ジャケットのポケットに両手を突っ込んだ。
王国では雪が積もっている時期だ。冷気の中彼は、少し猫背になりながら、集落の中央辺りにある来賓用宿舎へと急いだ。
里の外からやってくる客のために建てられた宿舎には、一階に広い食堂と厨房があった。
宿泊用の個室は二階だ。
宿舎の扉を開けると、ここでも環境制御魔法が効いているらしく、暖かい空気に包まれた。
中から賑やかな話し声が聞こえてくる。
食堂には、数人用の卓が並んでいた。
そのうちの一つにアメリアとルファンジアがいる。
その周囲の卓で葡萄について語っているのは、十人近いエルフたちだ。
「この山は、日当たりが良くて葡萄がよく育つんだ」
「冬が寒いことも、条件の一つさ」
「魔法で害獣を寄せ付けないように守っている。夜も魔力を絶やさないように、交代制になっているんだ」
「これは赤、こっちは白。それから、ロゼ。こっちはジュース」
アメリアの隣に座って瓶を並べ、作り方の違いを熱心に説いているのは男性のエルフだ。
「だから『葡萄ジュース輸送機』なのね」
アメリアの応答は、微妙にかみ合っていない。
小さめの目鼻立ちが可愛い、若い女性で、しかも所作が美しい。
そんなアメリアが物珍しいに違いない。
エルフたちは興味深そうに彼女を眺めている。
特に、隣に座ったエルフ。
初めて会った女性に対して距離を詰めすぎじゃないのかとザイオンは苦言を呈したくなるが、王国風の古い考え方だと気づいてやめた。
「『葡萄ジュース輸送機』というのは正式名称じゃない。俺たちが勝手にそう呼んでるだけだ」
近づきながら、ザイオンがそう声をかけると、エルフたちが一斉に顔を上げて彼を見た。
ザイオンを認めたエルフたちの視線に、悲嘆が混じり始める。
彼らもエリクシャナと同じように、自分を通して母シャルシャを見ているに違いないとザイオンは思った。
「ザイオン様」
ルファンジアが悲しげに微笑んだ。
「……エリクシャナ様は、何か言っておられましたか?」
「一緒にコーン茶を飲んだだけだ」
ザイオンは土産に貰った茶葉入りの小袋を、ポケットから少し出して見せた。
「美味しいと言ったら、くれた。淹れ方はわかるか?」
「もちろんです」
ルファンジアが頷く。
「……それでは、私たちはこれで」
彼らの会話を見守っていたエルフたちは、一人ずつ礼儀正しく別れの挨拶をして、食堂を出ていった。
アメリアは彼らに手を振っている。
「おやすみ」
妙に機嫌がいい。
と思ったら、彼女は不思議なことを言い出した。
「……勝手に呼んでいたのだとしても、もうあの子は自分のことを『葡萄ジュース輸送機』だと思い込んでいるわね」
ザイオンはマジマジと彼女を見つめる。
(は? あの子?)
「だって」
と、アメリアは空中を指さすような仕草をする。
「ザイオン、空間魔法で収納する時に『葡萄ジュース輸送機』って指定しているでしょう?」
「それは……その通りだが」
人が決める正式名称が何か、ということよりも重要なのは、コード魔法で定義する時に一意であるかどうかだ。
「それで魔法が働くのはね、この『葡萄ジュース輸送機』くんが自分のことを、『葡萄ジュース輸送機』だと思い込んでいるからなのよ」
アメリアが何を言おうとしているのか、ザイオンにはわからなかった。
彼女は、食卓の上にあった瓶に手を伸ばす。
グラスに瓶を傾けたアメリアは、数滴だけ零れ落ちる様子を不思議そうに眺める。
「変だわ」
と、彼女は呟いた。
「誰が飲んだのかしら?」
どうやらアメリアは、相当飲んだらしいとザイオンは気づいた。
彼女が別の酒瓶を手に取ったので、ザイオンは黙ってそれを取り上げ、食卓に置いた。
「葡萄酒は主食です!」
ルファンジアが立ち上がると、高らかにグラスを揚げて、宣言する。
「王国の小麦が途絶えても、私たちには葡萄酒があります」
お前もか、ルファンジア。
「もう寝た方がいい」
そう促すと、アメリアは素直に頷いた。
「あら?」
立ち上がった彼女は、真っ直ぐ歩けないことに気づいて、立ち止まる。
「私、酔ってるみたいよ?」
「……知ってる」
ザイオンは、よろめいた彼女に手を差し伸べた。
「それではおやすみなさい、ザイオン様」
ルファンジアが、手に空のグラスを大切そうに抱えて、食堂を出ていった。
アメリアを支えながら歩いている途中、ザイオンは何かを踏んだ。
弾力のあるその感触は、生き物だった。
驚いた彼は、アメリアを抱えて後ろに下がった。
見ると、大きな食卓の下に半ば入り込むようにして、床に毛布が落ちている。
その端からはみ出ているのは、銀色の髪だ。
毛布は丸い膨らみを帯び、規則正しく上下していた。
「ああ」
アメリアが、ザイオンにしがみ付きながら、ふと笑いを漏らす。
「一口で寝ちゃった人」
見なかったことにして、ザイオンはそのままアメリアを彼女の部屋まで送り届けた。
***
エルフ専用の宿舎では、環境制御魔法でお湯を生成する前提らしく、シャワーには配管が繋がっていなかった。
まだ上手く魔法が使えないアメリアのために、ザイオンはシャワー用の貯水槽にお湯を入れてやった。
「あとは栓を捻れば出てくる。なんて親切なんだろうな、俺は」
「そうね。ご親切にどうもありがとうザイオン様」
アメリアはフラフラしつつ、扉を閉めて彼を追い出した。
割り当てられた部屋に戻ったザイオンは、自分もシャワーを浴びることにした。
『§ ¶環境制御{要素: 水; 量: 自動算出(対象.最大); 温度:40; 対象:この貯水槽;} § 』
アメリアに教えた通り、栓を捻ってシャワーを浴びた。
乾燥には、要素を風とした環境制御魔法を使った。
彼は用意されていた寝間着に着替えたが、ベッドに入ってもすぐには眠れなかった。
一〇分ほどゴロゴロと転がってから、起き上がる。
一階に下りると、誰もいなくなった食堂にマクシミリアンがまだ寝ていた。
マクシミリアンは、アルコールに弱い。
好奇心で葡萄酒を一口飲んですぐ、眠りに落ちたのだろう。
「おい。こんなところで寝るな」
髪を掴んでグラグラと揺さぶったら、目が開いて、紫紺の瞳がザイオンを見上げた。
「……あにうえ」
寝惚けた声が呼ぶ。
「抱っこ」
ザイオンは銀髪から手を放すと、マクシミリアンの身体をゴロゴロと転がし、毛布を巻き付けて簀巻きにした。
「タスケテ」
蓑虫のような姿で苦しげに蠢いている弟をそのままに、再び自室に戻る。
今度はすぐに眠りに落ちることができた。
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