3-27:エルフの里(1)
前話から一日戻って、二度目に探索に出た当日夜の話となります。(「3-24話:残機」の続きです)
その夜宿泊したエルフの里を、ルファンジアはヴィニシエルと呼んだ。
到着した時には日が落ちていたが、山々に囲まれた高地を丘状に覆う魔法障壁が薄く発光していて、全体が見渡せた。
整然と並んだ広い果樹の中心に、集落がある。
高度のせいか、気温は亜熱帯の大陸だとは思えないほど低かった。
魔法障壁は温度調整までは担っていないらしい。
範囲が広く、魔力消費量が跳ね上がるからだろう。
「こちらです」
ルファンジアが案内したその小さな家は、集落の中心部から外れた場所にあって、果樹に囲まれている。
他の家から離れてぽつんと建っている様は、世捨て人の庵のようにも見えた。
「……しばらく体調を崩されていて、心配しておりましたが、今は落ち着いておられます」
謀っただろう。
ザイオンは、そう言って詰りたい気分になる。
だが、ルファンジアの目がうっすらと潤んでいることに気づいてやめた。
「ザイオン様に会われたらきっと──もっと元気になられると思います。よろしくお願いします」
ニコリと笑いかけると、ルファンジアは小道を辿って、急ぎ足で戻っていく。
その向こうには木造の家々が建ち並び、窓から魔導灯らしい灯りが漏れていた。
アメリアは、ヴィニシエルへの一泊を組み込んだ上で、廃拠点の巡回計画を立てたのだろう。
ルファンジアが頼み込んだに違いない。
重い溜め息を吐いて、ザイオンは目の前の小屋に向き直った。
窓に灯りが見えている。
王国の王都に住んでいる頃は、他人の家の灯りを見ると胸の奥が痛くなったものだ。
自分はどの家にも属していない。
温かく迎えてくれる家族がいないと、僻んでいた。
(今はどうなんだ?)
自分が誰かを迎える立場になればいいと、思った。
洗濯と掃除をこなし、料理を作って、帰って来た奴らを迎える。
今、温かく迎えてくれる家族が現れたとしても、その考えは変わらない。
ザイオンは目の前の扉を見た。
王国式ならどこかにノッカーがあるが、木で作られた扉のどこにもそんなものは見当たらない。仕方なく彼は、扉を軽く叩く。
ほどなく開いた扉の向こうには、見知った顔があった。
母シャルシャと同じ目鼻立ちのエルフ。
エリクシャナだ。
「あら」
彼女は、穏やかに微笑んだ。
「ザイオン? ……よく来たわね。ここでは皆顔見知りだから、鍵はかけていないの。いきなり扉を開けていいのよ」
「こんばんは……」
殊勝に、ザイオンは挨拶をする。
顔が緊張で強ばっていた。
(俺って、こんなに外面が良かったっけ? 言われた通りに祖母に会いに来て、優等生な挨拶をして……)
そんなことを考えていた。
「どうぞ入って。食事は済んだの?」
エリクシャナが大きく扉を開く。
当たり前のようにそう尋ねたところをみると、廃拠点探索の途中でここに泊まる話は伝わっていたのだろう。
「はい。さっき、いろいろと頂きました」
ザイオンは、祖母にどう接して良いのかよくわからない。
敬語でいいのか?
「いろいろって?」
悪戯っぽい表情で、エリクシャナは尋ねた。
ザイオンより少し背が低く、目線が下にある。
「炒めた茸とか、……油漬けの茸とか、……刻んで卵と混ぜた茸とか、茹でた豆とかですね」
肉はどこ? という顔をしていたマクシミリアンを思い出しながら、ザイオンは答えた。
「エルフ族は、基本的には粗食なの」
エリクシャナはじっとザイオンの顔を見上げた。
「粗食なんて。……美味しかったです」
「お世辞も言うのね、貴方」
屈託なく笑ったエリクシャナは、一間しかない部屋の中央にある丸テーブルを示す。
「座って。飲み物を用意するわ」
天井の一番高いところに掛かった魔導灯が、部屋を明るく照らしていた。
魔力をたっぷりと含んだ色の濃い龍紅玉が見える。
丸テーブルに向かいかけて、ザイオンは一瞬足を止めた。
テーブルの向こう、部屋の左奥にはベッドがある。
その横には窓があって、窓に臨むように子ども用のベッドが置かれていた。
何も知らなければ、ただの古びたベッドだ。
けれど、エリクシャナが何十年もずっとそのままにして、幼い頃に拉致された我が子の帰りを待っていたのだと思えば、とても正視はできない。
「ハーブ茶と、コーン茶と、お酒と、ミルクがあるけれど、どれがいいかしら?」
エリクシャナは扉を閉めると、ベッドとは逆方向にある小さなキッチンへ向かう。
「……手伝います」
『お客様』にはなりたくなかった。
ザイオンは彼女と一緒にキッチンに立った。
よく見ればエリクシャナは、以前会った時よりも痩せたようだ。
収納の扉に伸ばした手首が骨張っていた。
建国の英雄として尊敬を集める彼女だが、今は娘を失って、心痛で痩せ細った一人の母親だ。
ザイオンは後悔の念に襲われた。
数ヶ月前、第一拠点にエリクシャナが訪ねて来たあの日──ザイオンは逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
なぜ娘を死なせてしまったのかと、責められるような気がしていたのだ。
けれど逃げ出せず──祖母はザイオンを抱き締めた。
そして、どうしても知りたいと請われて、ザイオンは母シャルシャの最期を彼女に話してしまった。
苦しい記憶を抱えるのは、自分一人で充分だったのに──
***
「素晴らしいわ」
エリクシャナは、お湯を注ぐザイオンの手つきを褒め称えた。
「一滴も跳ねたり零れたりしないのね? いつも私がやると、なぜかそこら中にお湯が零れるのよ」
「ゆっくり、丁寧にやれば誰でもこれくらいはできますよ」
ザイオンは湯飲みを二つ、小さなトレイに載せた。
「コーン茶は、こちらでは普通に飲まれているんですか?」
「ええ」
エリクシャナが、じっとザイオンを見つめている。
「コーンは、エルフ族の主食の一つだから」
言葉が止まる。
彼女の潤んだ目を、ザイオンは見下ろした。
その金色の瞳が自分を通して誰を見ているのか、ザイオンにはわかった。
トレイを抱えたままザイオンは、エリクシャナが再び話し出すのを待った。
「……子どもに食べさせるのは、裏ごしが大変だけれど」
思い出がエリクシャナの中をゆっくりと通り過ぎていくのがわかった。
しばらくして、まるで中断などしなかったかのように彼女は言葉を継いだ。
「以前は、たくさん栽培されていたのよ。今は輸入物の小麦に取って代わられそうだけれど」
トレイを運び、丸テーブルを挟んで向き合って座る。
「意外に美味しいですね」
コーン茶を飲んだザイオンが言った。
「意外に……?」
エリクシャナの明るい口調には、少しも陰が感じられない。
だが時々、会話に不自然な間が入る。
「どんな味を──」
おそらく彼女の思考には、幼い娘の思い出が付き纏っているのだろう。
かつてこの部屋にいた小さな残像を追うように、その視線が動いた。
「想像していたのかしら」
「コーンスープみたいな味がするのかと」
「それは、お茶ではないわね」
彼女の漏らす小さな笑い声に、かつて自分を呼んでくれた懐かしい声が重なる。
『ザイオン』
長い黒髪を風に巻き上げられ、束ねて振り返る母の姿を思い出した。
『そんなに走らなくても、私はどこにも行かないから』
その時に差し出された手と、今目の前で湯飲みを囲う手の爪が、良く似た形をしている。
ザイオンもまたエリクシャナを通して、母シャルシャを垣間見ていた。
それなのに、二人の話はシャルシャを素通りした。
「葡萄酒も蒸留酒もあるのだけれど、本当にコーン茶でいいの?」
「昔、酒のせいでいろいろと失敗したので、今は飲まないようにしています」
「まだ若いのに、年寄りみたいな言い方をするわね?」
「もう二十六です」
「ふふ」
母のことは、まるで触れると痛む深い傷のようだ。
うっかり手を触れてしまえば、剥がれかけた瘡蓋の下から止めどなく血が流れ出す──そんな予感にザイオンは怯えた。
「……もう、そんなに月日が経つのね」
エリクシャナの視線が、窓際のベッドに向けられた。
ザイオンは、暗い窓に反射する灯りを見つめる。
そのまま物思いに耽り、しばらくの間沈黙が続いた。
元気づけるなんて、できるわけがない。
このままでは共倒れだ、などとザイオンは考えていた。
「……どんな失敗を?」
「えっ?」
何を訊かれたのか一瞬理解できずに、ザイオンはエリクシャナを振り返る。
「お酒のせいで失敗したんでしょう?」
エリクシャナは悪戯っぽく瞳を揺らめかせた。
「それは」
顔を赤らめたザイオンを見て、エリクシャナは微笑んだ。
「朝起きたら、知らない女性が隣にいた──とか?」
「女性なら何の問題も……」
口を滑らせて、ザイオンはかっと身体が熱くなるのを感じる。
「いや、ええと」
「……まさか。男性だったの?」
「──どうだったかな? よく覚えていなくて」
「あら」
「とにかく、飲むたびにやらかすので、酒はやめました」
「一度だけじゃなかったのね」
面白がっている様子のエリクシャナを見返しながら、悲観的になりすぎたようだとザイオンは気づく。
彼女はザイオンが思うよりも強い女性らしい。
娘の最期の様子を知りたがったのは、その死を乗り越えるためだったのかもしれない。
今はまだ、完全に立ち直ってはいないとしても──
「一緒に来たというお嬢さんは、恋人?」
エリクシャナは再び、揺さぶりをかけてくる。
「彼女は──アメリアは、今のところ恋愛に興味はないみたいですね」
「振られた、ということ?」
「……まだ、そうと決まったわけでは」
何を言ってるんだ、俺。
人型モンスターの襲撃や時間の巻き戻し、死に戻りといった全てのできごとを庵の外に置き去りにして、他愛のない会話が続く。
魔導灯の下、この庵だけが世界であるかのように、静かな時が流れていった。
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