3-26:旅立ち(後)
クロエが治療院の病室に入ると、ユージーンが病衣を私服に着替え、荷物を纏めているところだった。
クロエを見て、彼は少し焦ったような表情を浮かべた。
「お兄様? 退院するの?」
クロエは驚いた。
毎日見舞いに来ているが、今日退院するなどという話は一度も出なかったからだ。
「クロエ……」
言い淀んだユージーンのそばには、一人のエルフがいた。
彼はローブでも軍服でもなく、普通の冬用コートを着ていた。
「おはようございます」
男は丁寧な口調で言って、微笑んで見せた。
エルフ族特有の整った顔立ちと緑色の髪。若く見えるのも共通している。
しかしこの男は、整い過ぎていて冷たい印象があった。
印象だけではない。
微笑みを浮かべてはいるが、こちらを見る金色の瞳には嫌悪があった。
(紫ローブと同じだ)
シャルシャ様を死に至らしめた王国人、と紫ローブは言った。
同じようにこのエルフも、王国人を嫌っているのだろう。
丁寧な口調はおそらく、嫌悪を隠すためのものだ。
「わたくしは、ユージーン様をお迎えするためにエルフ族長老議会から派遣された者です」
「長老議会……?」
クロエが警戒を強めていると、ユージーンがほんの一瞬気まずそうに俯いた後、顔を上げて切り出した。
「実はね、仕事を世話してもらったんだ」
ユージーンが努めて明るい声で続ける。
「もう元気になったのにここにいたら、医療費がかさんでしまうばかりだろう?」
医療費は、ザイオンがなんとかしてくれるはず──そう言いそうになってクロエは、気づいた。
ザイオンに頼ることが、当たり前になってしまっている。
だから、紫ローブにもあんなことを言われたのだ。
「でも、──今までの仕事は?」
ザイオンから頼まれて、続けてきた仕事がある。
わざわざ新しい仕事を見つけなくても、ここを出たらまた同じ仕事に戻れば良いはずだ。
「今までしていた仕事は、長老議会から派遣されているエルフ族の人たちで充分こなせるそうなんだ」
ユージーンは寂しそうな口調になった。
「……お兄様」
そんな話はザイオンからは聞いていない。
本当だとしたら、確かに次の仕事を探す必要はあるだろう。
けれどそれは、ザイオンに直接そう言われてからでもいいはずだ。
「それで、その代わりに長老議会から仕事を紹介してもらえることになったんだ。今日こちらの人に医療費を支払ってもらったから、とりあえずその分を借金として返さないといけない」
不安を隠して、説明を続ける兄。
どうやらユージーンは、医療費のことも仕事のことも、誰にも言わないで一人で解決しようとしているらしい、とクロエは気づいた。
「……待って」
クロエは傍に立つエルフを振り返る。
「お兄様は、病み上がりなのよ? すぐに働かせるつもり? 無茶だわ」
「大丈夫ですよ」
エルフは微笑んだ。
「仕事の内容は、エルフの里での農作物の収穫です。使役魔獣でもできる、簡単なお仕事ですよ」
その丁寧な言葉尻が、少し馬鹿にしているかのように響いて、クロエの癪に障る。
「医療費を支払ったのはエルフ族長老議会です。一生懸命働いて返金していただければ、またこの拠点まで戻って来られるでしょう」
手回しが良すぎる。
何かに巻き込まれていることは確かだけれど、どう対抗すれば良いのかクロエにはわからなかった。
「できるだけ早く帰れるようにするから」
そう言って兄が浮かべた寂しそうな笑みに、クロエは心を抉られる。
無理をしているに違いなかった。
「……私も行くわ。お兄様を一人で行かせるなんてできないもの」
長老議会とやらには、兄や自分が邪魔なのだということだけはわかった。
クロエは、彼らの思惑通りに動くことにした。
「お兄様の仕事を一緒に手伝う。そうすれば早く帰って来れるわよね?」
「クロエ……」
今度はユージーンが、驚いた顔になる。
「僕は大丈夫だから……」
「昨日からマクシミリアンもザイオンもいなくて」
クロエは背中に背負った武器を、軽く叩いた。
「しばらく帰ってこないみたいだから、一人で狩猟に行こうかと迷っていたところなの」
「人手はいくらでも必要ですので、大歓迎ですよ」
エルフはユージーンの荷物を手にして、移動し始めた。
「門の前に荷車を用意していますので、こちらへ」
先導され、クロエたちは慌ただしく治療院を出た。
マクシミリアンに伝言も残さずに家を出たこと、借金のこと、紫ローブの思惑、などなどがクロエの胸をざわつかせていたが、それよりも今、ユージーンを絶対に一人で行かせてはいけない、という思いを強くしていた。
どこに連れて行かれるとしても、マクシミリアンなら必ず自分を探しに来てくれる。
クロエはそう信じた。
(大好きよ、マックス──おやつがなくなっているのを見て、ショックを受けるかもしれないわね。ごめんね)
「クロエ」
ユージーンは拠点の門に向かって歩きながら、少し情けない表情をしている。
「僕は一人で大丈夫だから、家で待っていて」
「私がお兄様から離れたくないの」
クロエはユージーンの腕を掴む。
「お兄様がどこへ行こうと付いていくから」
「ありがとう」
ユージーンは泣きそうな顔をした。
「実は少し、不安だったんだ」
門の前には、言われた通り荷車が待っていた。
牽引しているのは、三本角を持つ草食竜シゲラだ。
革製の大きな轡をして、静かに頭を垂れている。
ユージーンは、狩猟用のフィールドにいる野生のシゲラしか知らないはずだ。
人に従順なシゲラが珍しいようで、興味深そうに見ていた。
門の前には二人の保安官がいた。
そのうちの一人、ハスキーに似た犬型獣人がユージーンが会釈した。顔見知りらしい。
荷車は、拠点に荷物を運んで来た後のようだった。
荷台には木箱が積まれ、微かに柑橘系の香りが残っている。
エルフの男がユージーンの荷物を載せ、クロエたちがその横に乗り込む。
やがて荷車は、エルフの里に向けて出発した。
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