3-25:旅立ち(前)
##クロエ視点
早朝に廃拠点探索に出たマクシミリアンたちは、その夜は帰ってこなかった。
アメリアが『できるだけ遠出して、他拠点や各地にあるエルフの里に逗留するかもしれない』と話していたから想定内だ。
「冒険の旅みたいね」
マクシミリアンが部屋から出る時、クロエはそう言って送り出した。
一緒に行きたかったが、治療院にいるユージーンが気掛かりだし、何よりも葡萄ジュース輸送機は四人乗りだ。
前世の軍用ヘリよりも小さい。
──考えまいとしたのに、小さな機体が、嵐に巻き込まれてヒラヒラと舞う様子が思い浮かんだ。
モンスター素材を利用した機体が、前世の飛行機やヘリに比べて頑丈なのかその逆なのか、専門家ではないクロエにはわからない。
(もしも空中で分解したら……?)
『大丈夫よ』
アメリアたちが初めて探索に出る日、心配そうな顔で見送るクロエに、アメリアは言った。
『主人公は死なないんだから』
アメリアのメタ発言は、その日事実となった。
三日前──廃拠点探索の初日、兄ユージーンを見舞った後、クロエは一人で買い物をしていた。
鈴が転がるような効果音が聞こえた後、気づけばまだ店に入る前で、買ったはずの商品は手元になかった。
ザイオンが死んで時間が巻き戻ったのだと、後でアメリアに教えられた。
この世界では『主人公』ザイオンは死に戻る。
他のみんなにはリセットブレスレットがある。
それでも願わずにはいられない。
(みんなが痛い思いをすることなく、無事に帰ってきますように)
今朝──マクシミリアンのいないベッドを見ながらクロエは、そう祈った。
身支度をしたクロエが階段を下りると、見慣れない光景が広がっていた。
先日ユージーンの見舞いに同行した傍系エルフのセレディオスが、いつもはザイオンが座っている席で朝食を取っている。
昨日ザイオンたちが早朝に出発する前、ルファンジアから「私が不在の間、自分の代理を務めます」と紹介された人物だ。
その口調が不承不承だったことを、クロエは思い出す。
セレディオスは、小柄な体と短い緑色の髪、そして彫りの深い目鼻が特徴的なエルフだ。
軍服姿のエルフたちとは違って、紫色のローブを着ているところを見ると、特別な立場にあるのかもしれない。
「お前たちは魔力の充填、お前は召喚獣の面倒をみろ」
通りがかったエルフ族数人に指示を与える声が聞こえた。
そんなことは出発前にルファンジアが割り振っているはずなのだが、エルフ族の人達は何も言わずに恭しく会釈して通り過ぎる。
次に小言の標的にされたのは、対面キッチンにいたアンドレアだ。
「全く嘆かわしい。傍系エルフの跡取りが、朝から獣の散歩とは。肉でも与えておけばいいんだ。そんなことに時間を割くなんて、馬鹿げている。そもそも召喚獣なのだから、用がない時は召喚を解くようにとザイオン様に進言するのがお前の役目だとは思わないのか」
アンドレアはヘラヘラと愛想笑いを浮かべている。
クロエは驚いた。
ルファンジアから紹介された時は、大人しい印象だったセレディオスが、突然別人に変貌したかのように見えた。
(いるよね、こういう人──)
強い人には弱く、弱い人には強い。
クロエの生物学的な父親である、ルグウィン公爵がそうだった。
王族を前にすると『非常に洗練されたお考えです』『なんと独創的でいらっしゃる』『あなたの存在そのものが、王国における最高傑作でございます』などと、前世でのAIかというぐらいに褒めそやしていた。
だが家族や使用人に対しては『お前の首から上が飾りでないことを証明してみろ』『私の許可なく空気を吸うな!』などと、人格や存在を否定するところから入る。
クロエが常に息を殺して暮らしていたあの日々から逃れてきて、まだ一年も経っていない。
彼女がいつものように食卓につこうとすると、セレディオスはジロリと睨み付けてきた。
「……ザイオン様は非常に情に厚い方のようだ。シャルシャ様を死に至らしめた王国人を、このように自由にさせているとは」
クロエは『おはよう』という挨拶を飲み込んだ。
ザイオンの母親が亡くなった責任が、王国にあるとかないとか、事情もよくわからずに意見を言うつもりはなかった。
ここはスルースキルを発動させるしかない。
(エルフだから見かけは若いけれど、中身はオッサンね! 貴様の髪に薄毛の呪いあれ!)
心の中で罵倒の言葉を並べ立てる一方でクロエは、最近ではすっかり薄れていたはずの、人への恐怖心を蘇らせていた。
表情を強ばらせていると、アンドレアが心配顔で近付いてきた。
「リンゴジュースにしますか?」
「ありがとう、アンドレア……」
クロエは、平常心を取り戻そうとした。
「……今日は食事は要らないわ」
こんな相手と一緒の食卓で食事をするなんて無理だ。
「わかりました」
礼儀正しく、まるで貴族に仕える執事のようにアンドレアは会釈した。
「ルファンジアから連絡はきた?」
「はい。今日も帰って来るのは難しいかもしれません」
「そっか」
連絡が来たのなら、無事ということだ。
クロエは安堵の溜め息をつく。
「ザイオン様の係累でもないくせに押しかけてきて棲み着き、当然のようにザイオン様と同じ食卓について、さすがは王国の貴族といったところか」
気づけば、目の前の紫ローブが嫌味を続けていた。
クロエは彼の名前についての記憶を放棄した。
覚えておいてやるほどの価値もない。
「王国の居候どもの存在が、我々エルフ族にとっては迷惑だといつになったら気づくのだろうな?」
嫌味長っ!
(押しかけてきたわけじゃなくて、私はザイオンに無理矢理にここに連れて来られたんだけれど)
それにクロエは居候ではなく、マクシミリアンと一緒に狩猟に出て、家計にお金を入れている。
「セレディオス様、コーヒーはいかがです?」
アンドレアがにこやかな笑みを浮かべる。
「ザイオン様直々に淹れ方を教わったので、美味しいですよ?」
「……もらおうか」
アンドレアは、彼の注意をクロエから逸らそうとしたらしい。
(そういえば最近、狩りには行けてない)
ユージーンが治療院に入ってからは、狩猟どころではなかった。
今の状況ではこの紫色のローブ男に言い返せない、とクロエは思う。
居候といわれれば、確かに居候だ。
(治療院に行った後、一人で行けそうな案件がないか掲示板を見に行こうかしら)
クロエはそう思い立った。
彼女は自室に戻って黒の革鎧に着替え、『闇より出でし暴虐の暗黒棍』をベルトで背中に留めた。それから、クローゼットの奥にしまい込んでいた無限収納バッグを取り出した。
ザイオンの作った魔導具だ。肩紐の部分が千切れてしばらく使っていなかったが、適当に括って肩に掛けた。
マクシミリアンのおやつ箱から、食べ損ねた朝ご飯代わりになりそうな菓子類を選んでバッグに詰め込む。
(ゴメンね、マックス、また買い足しておくから)
居間を通って玄関に向かうと、背後で尖った声が聞こえた。
「どこへ行く、アンドレア! 王国人に護衛など不要だぞ!」
おそらくアンドレアがクロエの後を付いて来ようとして、紫ローブに止められたのだろう。
「しかし、母上の言いつけで──」
「今はこの私がルファンジアの代行だ。長老議会の意向に逆らうつもりか?」
長老議会?
政治的な権力争いが勃発しているようだが、そんなものをこの家に持ち込むなんて理解不能だ。
言い争いを背中越しに聞きながら、クロエは居間の扉を閉めて玄関へと向かう。
(こちらから護衛を頼んだことは、一度だってないんだし)
追って来る気配から逃れるように、クロエは振り返らずに一人で家を出た。
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