3-20:リタヌル
輸送機が高度を落とすと、石壁に守られた建物群が眼下にはっきりと見えてきた。
崩れている様子もなく、比較的綺麗に保たれている。
南側にある門の内側に、開けた場所があった。
かつて人が住んでいた時、出入りする人や物資を検分するために使われていたのだろう。
彼らは、輸送機をその場所に降下させることにした。
前回の経験から、壁の内側にある罠はそれほど危険なものではないと思われた。
それよりも前回毒竜に襲われたように、着陸場所から廃拠点まで移動する途中のリスクの方が高そうだ。
圧縮された空気を下方向に噴出しながら、機体が高度を下げていく。
土埃が吹き上がって周囲を舞った。
圧縮空気を造り出していた魔法が停止し、機内は静かになった。
壁が不透明になり、外が見えなくなる。
ザイオンが隣を見ると、マクシミリアンはまだ寝ていた。
おい起きろ、と声をかける代わりに、ザイオンは手を伸ばして、剃り残しの髭を引っ張ってみる。
残念ながら長さが足りなくて、抜けなかった。
「痛い!」
マクシミリアンが飛び起きた。
そこまで痛くはなかったはずなのに、大げさな奴だ。
潤んだ目を向けてくる弟を無視して、ザイオンは立ち上がる。
先にアメリアが、機体の横に開いた扉から外に出ていた。
土埃は収まっていたが、空気はまだ埃っぽい。
機体の底と地面の段差を飛び降りたザイオンは、大きな門扉や門番小屋、広場に通じる道を見渡した。
アメリアは門扉の傍に立っていた。
彼女は扉が開かないことを確認している。
ザイオンがそばに行くと、振り返って尋ねてくる。
「開かないのは私たちが来たせいかしら? 扉の前に遺体がないから、犠牲になった人はいないみたいだけれど……」
もし誰かが死んでいたとしても、好奇心で廃拠点に入ったせいなんだから、自己責任じゃないか? とザイオンは思う。
だが、アメリアはそういう考え方をしないようだ。
ザイオンは当たり障りのない台詞を口にした。
「そうだな。人里からは離れているので、誰もここに廃拠点があるとは気づかなかったんだろう。良かったじゃないか」
着地前に見た周辺は、森ばかりが広がり、拠点もエルフの里も見えなかった。
「……そうね」
アメリアは少し遠い目をしている。
「他の廃拠点も、犠牲者が出ていなければいいんだけれど」
ザイオンは、魔法詠唱の声を聞いて振り返った。
ルファンジアが手を翳した先の壁に、隠されていたらしい魔法陣が黒々と姿を現す。
彼女は更に魔法を詠唱した。
『§ システム.術式解析(この魔法陣); §』
魔法陣の上に、光り輝く文字に埋め尽くされた巻物が浮かび上がった。
文字は一瞬、数字や記号の羅列に見えた。
だがザイオンが見直した時には、文字列は既に古代エルフ語へと変換されていた。
「ダンプ……」
アメリアが小さくこっそりと呟いた。
前世の用語だな、とザイオンは直感する。
ザイオンの視線に気づいたアメリアは付け加えた。
「中身を曝け出して処理する、みたいな……?」
曝け出されたコード魔法を調べ終わったルファンジアが告げる。
「……空間をねじ曲げて、入って来た者を閉じ込める魔法が焼き付けられています。魔法を使えない者にとっては致命的ですね」
ルファンジアが環境魔法で刻まれた魔法陣を燃やし、破壊した。
門の横の壁に、黒い焦げ跡だけが残った。
遅れて、マクシミリアンが輸送機から降りてきた。
腹に巻いている容れ物がさっきよりも膨らんでいるが──共有の食糧袋から何か盗ったに違いない──ザイオンは何も言わないことにした。
一昨日と同じように葡萄ジュース輸送機を亜空間に仕舞うと、彼らは広場に直行するのではなく、しばらく廃拠点内部を見て回った。
歩道には、色とりどりの石畳が規則正しく敷き詰められている。
無人の店、無人の住宅、埋められた井戸に、施設のような大きな建物。
どこにも最近人が生活していたような痕跡はない。
「とりあえずは大丈夫なようですが……」
ルファンジアは町並みへ疑うような視線を向ける。
特に何も見つけることはできず、彼らは中央にある広場に向かった。
「広場の真ん中に、黒いものが浮いている」
マクシミリアンの言葉に、アメリアはがっかりしたようだ。
「ソウルジェムじゃなさそうね」
その黒っぽい物体は比較的大きくて、ザイオンにも見えた。
魔導具のようだ。
「中ボスを倒して、手に入れてみましょうか」
アメリアはポケットの上から魔法砲弾の膨らみを撫でた。
ルファンジアを待機させて広場に入る直前、ザイオンは状態保存魔法を詠唱した。
『§ システム.状態保存("最新"); §』
いつものように、鈴を転がすような澄んだ音が頭上から響いた。
これで、万が一のことがあっても広場に閉じ込められる直前に戻って来られる。
ルファンジアが静かに、胸に手を当てて頭を垂れる姿が見えた。
三人が広場に足を踏み入れると、前回と同じ空間転送の罠が発動した。
この罠は、人数を数えているに違いなかった。
動いている者を感知し、それを標的と定める。
標的が全て、定められた領域に収まったら罠を起動──
ザイオンは無意識に頭の中で、その流れをコードとして組み立てている自分に気づいた。
(目の前のことに集中しなくては)
アメリアとマクシミリアンが、上空を見上げていた。
赤い網に覆われた空から垂れる、一本の糸が見えた。
糸を伝って、馬車よりもはるかに大きな、蜘蛛に似た怪物が現れた。
八本の足は人間の生足にそっくりで、しゃがみ込むように折りたたまれている。スネには茶色い毛が生えていた。
それは地響きを立てて、石畳の地面に飛び降りた。
剛毛だらけの巨体を人の足が支えて、こちらに近付いてくる様は、見ていて気持ちが悪い。
頭部も蜘蛛に似ていたが、灰色の象皮のようなザラついた皮膚は、ところどころ裂けていて、中から眼球が覗いている。数えてみると、眼は七つあった。
「あれは男だな。すね毛が生えてるから」
マクシミリアンが剣を抜き、怪物に向けて突きつけた。
七つの眼が剣を見据え、蜘蛛の歩みが止まる。
「女の子でも、すね毛は生えると思うんだけれど」
アメリアが魔法砲弾を手にして、巨大な蜘蛛の方へ走り出す。
蜘蛛は足を器用に動かし、クルクルと方向転換して尖ったお尻をこちらに向けた。
糸を吐こうとしているようだ。
「うっそだぁ」
マクシミリアンが剣を構えてアメリアの後を追う。
「女の子にすね毛は生えない!」
嘘じゃ無いぞ、マクシミリアン。薄くてわかりにくいだけだ、などとザイオンは甘酸っぱい記憶を辿る。
蜘蛛のお尻から、糸が放たれた。
マクシミリアンが一瞬足を止める。
魔法障壁で防げるはずだが、本能的なものだろう。
アメリアは走り続けた。
彼女の魔法障壁が発動して、糸を弾いた。
アメリアはうっすら笑うと、マクシミリアンが気を取り直して攻撃を仕掛けるよりも先に、蜘蛛の化け物に向かって魔法砲弾を投げた。
魔法は、今度はうまく発動した。
蜘蛛の化け物が魔法障壁を光らせる。
その途端、化け物は捕らえられた──複製された空間の中に。
初めは蜘蛛と同じ大きさだった空間が、中身と共に縮小していく。
重圧に抗い、魔法障壁で必死に抵抗する化け物を、ザイオンは歩み寄りながら眺めた。
以前は捕捉した獲物に対して、多方面からの攻撃魔法をしかけたり、逆充填で魔力を奪ったりしたが、必要魔力を削ろうと試行錯誤していた時に、空間ごと圧縮して握り潰してしまえば簡単だと思い付いたのだ。
捕捉した直後に、空間ごと消し去ることができれば尚手間が省けるのだが。
小さくて黒い害虫で実験したところ、転送した虫が生きている場合、空間消去はできなかった。ウインドウが現れて、『領域は空ではありません』という意味の警告が表示されるのだ。
何らかの安全装置が働くのだろう。
それこそアメリアの言った掟、仕様というやつだ。
蜘蛛の化け物は魔法障壁を光らせ続けた。
だが、ついに光が消える。
目の前で、複製された空間が蜘蛛の化け物を潰し、役目を終えて消える様子をザイオンは見届けた。
空を覆っていた赤い網が消え、ルファンジアと葡萄ジュース輸送機の姿が広場の外に見える。
罠が解除され、通常空間に引き戻されたのだ。
「何もしてないのに終わっちゃった!?」
マクシミリアンは、明るい光の降り注ぐ石畳の広場に立って、剣を持ったまま困ったように両手を挙げた。
ガコン、と重い音を立てて広場中央に落ちたのは、黒くて大きな剣だ。
「リタヌルだわ」
広場の中央に駆け寄って拾い上げたアメリアの声には、失望の色があった。
剣の重さによろめいたアメリアは、それを地面に降ろした。
近寄ったザイオンは、その剣を覗き込んだ。
人の背中を覆うほどに長く、幅広い。
黒光りして、少し禍々しく見える。
「リタヌル?」
ザイオンにとっては、聞いたことのない言葉だ。
また前世の用語かと思ったら違ったようだ。
「リターン・トゥ・ヌルと言って、人型モンスターを魔法障壁ごと一太刀で消し去る、対サムシングフェイルド特化型の魔導武器よ」
「いいんじゃないか?」
これさえあれば魔法を使わなくてもいい、ということだ。
などというザイオンの考えは、アメリアとは真逆のようだった。
「こんな重い武器を持ち歩かなくても、ザイオンの魔法砲弾があれば済むことじゃない? 能力値上限を上げるアイテムが良かったのに……」
「……そうだな」
アメリアはその剣を、マクシミリアンに渡した。マクシミリアンは自分の長剣をベルト付きの鞘に戻すと、巨大な黒剣を嬉しそうに受け取った。
広場で黒剣リタヌルを素振りしたマクシミリアンは、重さをまるで感じていないようだった。
その後アメリアとルファンジアは広場に仕掛けられた罠を壊して回った。ザイオンと、黒剣を担いだマクシミリアンが彼女たちのあとを付いていく。
「僕、何もすることがないから、お菓子を食べていい?」
マクシミリアンが左手に巨大な魔導武器を持ち替え、右手だけでごそごそと、腹に巻き付けた袋の中を探り始めた。
「報告書を書かなくちゃいけないんでしょう? ちゃんと見てないと」
アメリアが、マクシミリアンの取り出した小さな包み紙を見上げて、軽く息を吐く。
「あー、そうだった」
と言いつつ、マクシミリアンは包み紙を外してキャンディーを口に放り込んだ。
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