3-16:杞憂
冬の月一日、ザイオンはアメリアと久しぶりに会った。
八年以上──いや、九年近くぶりか。
その夜ザイオンは魔法のテキストを携えて彼女の部屋を訪ねたが、翌朝ユージーンの死を知って時を戻したために、そのやり取りは無かったことになった。
二度目の同じ夜は全く違う経過を辿り、ザイオンは結局魔法のテキストをアメリアに渡せていない。
母親の遺品である初心者用の魔法書と、城勤めをしながら『偶然』手に入れた魔法の入門書を、ザイオンは大事に保管していた。
後から手に入れた入門書は、違法に輸入された子ども向けの本だ。
当時、魔法の使えるエルフ族が王国に居たとは思えないので、好事家貴族がコレクションに加えようとでもしたのだろう。古代エルフ語すべてに現代語での読み方が書かれていて、アメリアに渡すならこの本の方が適していた。ただ装丁に若干の問題があるので、彼女は気に入らないかもしれない。
芋のミルク煮を作った日の夜、ザイオンは改めて本を渡すべく、アメリアの部屋の扉を叩いた。
「アメリア?」
声をかけると、中からバタバタと、慌てたような足音が聞こえてきた。
「ザイオン? ちょっと待ってて」
その言葉通り、ザイオンはしばらく待たされた。
ようやく扉を開けたアメリアは、シャワーを浴びたばかりらしくて、石けんの良い匂いがふわりと漂ってくる。
彼女は片手を茶色の長い髪に当てて、環境制御魔法で熱風を送って乾かしていた。
ということは、扉を叩いた時はまだ服を着ていなかったのかもしれない。
滑らかな背に、緩やかなウェーブを描く髪がかかる様をザイオンは思わず想像した。
今彼女が着ているのは、ルファンジアと同じ浅葱色の軍服だ。
せっかくの豊かな胸が硬い生地の下に隠れて、形が曖昧になってしまっている──ザイオンは慌てて視線を逸らせた。
「どうぞ」
アメリアが柔らかな微笑みを浮かべたので、ザイオンはほっとした。
無意識に、彼女の胸に向けてしまった視線は気取られなかったようだ。
ザイオンは紳士らしく、扉を完全には閉めず、少し隙間を残したままにして部屋に入った。
ほのかに木の香りが漂っているのは、家具が新しいからだ。
これまで空き部屋に家具はなかったが、最近人の出入りが多く、魔導具がよく売れて収入が激増したこともあり、ベッドや収納を買い足した。
外出時に護衛として後を付いてくるエルフ族も、龍紅玉に魔力を充填する役目のエルフ族も、東翼と西翼の空いた部屋に泊まり込んでいる。
天井では魔導灯が柔らかな光を放っていた。
窓にカーテンはないが、透過・不透過のコード魔法が魔法陣の形で刻まれているので、外からのぞき見られることはない。
石造りの床には柔らかなラグが敷かれている。
部屋の中はきちんと整理整頓され、清潔感があった。
クロエたちの部屋とは段違いだ。
(『これ可愛い~』で物を際限なく増やす連中をなんとかしなければ……)
今は関係ない雑念を、ザイオンは振り払う。
部屋の奥には木製ベッドがあった。
王国でなら、淑女の居室兼寝室を夜に訪問するなんて非常識な行為だが、共和国にそんな倫理観はない。
自由恋愛が当たり前の世界で、夜を誰と過ごしても咎められはしない。
たとえばこの場でアメリアと良い雰囲気になったとしても……
ザイオンは視線を天井に向け、魔導灯を点検するようなふりをしながら、振り払ったはずの雑念を呼び戻した。
(クロエたちの買った意味の無い小物の一つ一つが、俺の家の限られた空間の一部を専有するのだと言い聞かせないと……人参の形をしたランプのどこが可愛いのか、俺には一生わかりそうもないからな)
自分への牽制のために、扉の隙間をもっと大きくしておくべきだった。
アメリアは、窓際に置かれていた小さなテーブルを部屋の真ん中に移動させた。
丸、四角、三角を組み合わせた図柄のテーブルクロスは、あの夜と同じだ。
ザイオンは彼女を手伝って、テーブルの位置に椅子を運んだ。
アメリアと向かい合って座ったザイオンは、消えた夜と同じ会話を繰り返すことはしなかった。
「魔法砲弾及び魔法銃弾の欠陥は修正した。魔法の発動条件を複数にしたものに更新済みだ」
ザイオンがそう告げると、アメリアは興味をそそられた様子を見せる。
「……まだ一日しか経っていないのにどうやって? 何千もあったでしょう?」
「大元の魔法陣を改良した。つまり、修正したコード魔法を元になっている魔法陣に再度焼き付けた。必要な差分魔力はそれほど大きくなかったから発動に影響はないはずだ。できるだけ魔力を削ろうとしたために生じた欠陥だが」
ザイオンは、自分の失敗をさり気なく口にしようとして、気まずさに一瞬言葉を途切れさせた。
「……スラン師団長に確認したところ、被害は報告されていないようだ」
「ちょっと待って……?」
アメリアが興奮した様子を見せたので、ザイオンは一瞬失敗を責め立てられるのかと身構えた。確かに被害こそなかったが、あのカエルのような人型モンスターに魔法が発動せず、彼女を危険に晒してしまったのはザイオンの責任だ。
だがアメリアは、ザイオンの予想とは全く違うことを口にした。
「それはつまり……大元の魔法陣に配置したコード魔法が変われば、複製された魔法陣のコード魔法も自動的に置き換わるの? 両者は時空を超えて紐付いているということ?」
「……まあ、そういうことになるな」
少し考えてから、ザイオンは答えた。『魔法陣』は魔法の器に過ぎない。複製された魔法陣は、複製元の魔法陣からコード魔法を読み込む。それはアメリアの言う通り、自動的に置き換わると考えてもいい。
アメリアが立ち上がった。
「それは量子のもつれを利用したテレポーテーションみたいな……情報の遠隔転送?! つまり複製元と複製先の魔法陣が同期しているわけで……クラスの継承とか? 何らかのネットワークが存在しているとしか思えないけれど」
そこまで言って、アメリアは言葉を切った。
一瞬、探るような表情でザイオンを見る。
「……ごめんなさい、よくわからなくなってきた」
彼女は再び椅子に座って、興奮を抑えている様子だ。また、口を滑らせたとでも思っているのだろう。
「俺も学者じゃないから上手くは説明できないが」
ザイオンは、もつれた猟師だのテレなんとかだのという理解不能な言葉を無視した。
「魔法陣が円形をしているのは、常に信号を巡らせていて他の魔法陣との連携を取っているのだという説がある。お前の『紐付いている』という言葉はそういう意味だよな?」
アメリアが頷くのを確認してザイオンは続けた。
「本当のところは誰も理解していないんじゃないかと思う。魔法陣というのはそうやって使うものだということだけ覚えておけばいいさ」
「……そうね。その通りだわ」
長い息を吐き、上気した頬を押さえたアメリアは、どことなく恋する乙女を思わせた。
彼女の視線が、ザイオンの手元に落ちる。
「で、それは? この前の魔法書とは違うわよね?」
「あの本は、改めて魔法を学び直すために必要になったので、代わりを持ってきた」
ザイオンは、手に持っていた本をそっと机の上に載せる。
(アメリアはどんな反応を見せるだろうか……?)
それはザイオンにとって、緊張の一瞬だった。
『子どものための魔法教本』
と、題された表紙には、幾つもの焼き印が押されていた。
『押収品』
『禁書』
『王国騎士団』
「あら」
と、アメリアは呟いた。面白がっているような響きがある。
「どうしたの、これ?」
アメリアは本を手に取ってしみじみと見た後で、裏返す。
裏も背表紙も、同じ文言の焼き印がいくつも押されている。
「偶然手に入った」
ザイオンは冷たく突っぱねるような言い方をしたつもりだったが、力のない声になった。
「盗んだのね? やるじゃない」
アメリアが笑う。
盗みを咎められるかもしれない、というザイオンの心配はどうやら的外れだったようだ。
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