第8章:退却戦の殿(しんがり)
1. 蛆虫たちの休息(緩和と淀み)
ラ・イルという名の理不尽な暴威が通り過ぎた後、トマスとウィルが所属していた前衛部隊は、文字通りの「頭を潰された蛇」となった。
部隊長は兜ごと頭を粉砕され、指揮系統は完全に崩壊した。生き残った数十名の兵士たちは、他部隊に再編されることもなく、軍の末端で遊撃隊(という名の体裁の良い雑兵の群れ)として、ただ本隊の最後尾をあてもなく付いて回るだけの存在に成り下がっていた。
フランドルの空は相変わらず鉛色で、いつ止むとも知れない細かい氷雨が、野営地の泥をひたすらに捏ね回している。
「若様。見てくだせえ、こいつを」
泥に半分沈んだ倒木の陰で、ウィルがニヤニヤと笑いながら何かを掲げてみせた。
死体から剥ぎ取ったと思われる、小ぶりなショートボウ(短弓)と、矢羽の揃っていない数本の矢だった。
「ロングボウ(長弓)みたいに訓練はいらねえし、弦も張りっぱなしでいける。何より、あの化け物どもと剣を交えずに、逃げる背中からプスリとやれる。これこそ、この泥沼を一番賢く生き延びる魔法の杖ですぜ」
「……卑怯者の道具だ。騎士の持つものじゃない」
トマスは、泥で汚れた自分のロンデル・ダガーを砥石で擦りながら、吐き捨てるように言った。
だが、その言葉に以前ほどの熱はない。トマス自身、剣を交えて名誉ある戦いをするという幻想が、すでに粉々に打ち砕かれていることを自覚していたからだ。ウィルは鼻で笑い、拾い集めた矢の先をナイフで削って鋭くし始めた。彼にとって、戦争とはいかに楽をして今日のパンにありつくかという、ただの悪辣な労働に過ぎない。
「若様も、そろそろ重てえ剣なんか捨てて、こういう利口なやり方を覚えた方がいい。あんな指揮官もいねえ烏合の衆の中で、まともに槍を構えたところで、真っ先に馬の餌食になるだけだ」
ウィルの言葉は正しかった。
今の彼らには、守るべき陣形も、背中を預ける上官もいない。軍全体から見れば、彼らはただの「数合わせの肉」だった。
2. 泥濘のプライド(緊張の胎動)
「おいおい、見ろよ。頭を潰されて行き場を失った、哀れな野良犬どもじゃないか」
その声は、トマスの苛立ちの導火線に、正確に火をつけた。
声の主は、少し離れた天幕の前に立つ男だった。名前はたしか、サー・レジナルド。トマスと同じく下級貴族の三男坊だが、本隊の輜重護衛という安全な後方に配置され、鎧には泥一つ跳ねていない。彼の背後には、屈強な二人の古参兵が控えている。
「部隊長がラ・イルに頭をカチ割られたんだってな? お前らもさっさと逃げ帰ればよかったものを。指揮官のいない遊撃隊なんて、次の戦ではただの肉壁だぞ」
レジナルドは下品に笑いながら、手元のワイン袋を呷った。
トマスは砥石の手を止め、ギリッと奥歯を噛み締めた。反論できない自分が口惜しかった。だが、トマスの理性を完全に吹き飛ばしたのは、レジナルドの口から出た嘲笑ではなかった。
「ほら、お前もこの野良犬どもを笑ってやれ。昨晩はあんなに良い声で鳴いていたじゃないか」
レジナルドが天幕の中から乱暴に引きずり出してきたのは、小柄な人影だった。
粗末な麻の貫頭衣。泥に汚れた白い肌。藁のように絡みついた髪。
トマスとウィルが、初陣の夜に銅貨三枚で抱いたあの「農奴の娘」だった。
娘の首には、犬のように太い縄が巻かれていた。彼女の虚ろな目は、レジナルドの嘲笑にも、周囲の兵士たちの下卑た視線にも、何の感情も示していない。ただ、冷たい雨に打たれながら、焦点の合わない目でトマスの方をぼんやりと見ていた。
トマスの脳裏に、あの夜の強烈な記憶がフラッシュバックした。
死の恐怖に震えながら、獣のようにすがりついた彼女の乳房の温もり。泥と汗の匂い。この狂った戦場で、唯一トマスが「生」を実感できたあの体温が、今、不快な小男の手によって泥水のように踏みにじられている。
「……手を離せ」
トマスの口から、地を這うような低い声が漏れた。
ウィルがハッとしてトマスを見た。
「若様、やめとけ! あいつの後ろにいるのは歴戦の傭兵だ、俺たちじゃ……」
「手を離せと言っているんだ、この豚野郎がッ!!」
トマスは、泥を蹴り立てて立ち上がった。
それは騎士道からの義憤ではない。もっとドロドロとした、自身の惨めさを誤魔化すための八つ当たりであり、あの夜の「自分だけの聖域」を汚されたことへの、動物的な独占欲の暴走だった。
3. 愚かなる突進と破砕音(破裂)
「なんだと? 豚だと?」
レジナルドの顔から笑いが消えた。彼は顎で背後の古参兵に合図を送る。
トマスは完全に血に上っていた。腰のロングソードを抜き放ち、泥を跳ね上げながらレジナルドに向かって突進する。
だが、怒りに任せた大振りの剣術など、戦場を生き抜いてきたプロフェッショナルには児戯に等しかった。
トマスが剣を振り下ろそうとした瞬間。
古参兵の一人が、ぬらりとトマスの懐に滑り込んだ。トマスの視界から敵が消えた。
次の瞬間、トマスの右腕の手首を、万力のような力で掴み取られる。
「素人が。腕の筋を読まれてるんだよ」
古参兵が低く呟いた。
男はトマスの右腕を掴んだまま、自身の体を反転させ、トマスの脇の下に肩を潜り込ませた。そして、トマスの腕を背中側へ向けて、体重を乗せて思い切りねじり上げた。
ゴキァッ!!
肉と軟骨が限界を超えて引き千切れる、生々しく不快な破砕音。
「アァァァァァァッ!!?」
トマスの口から、人間とは思えない絶叫が弾け飛んだ。
右肩の関節が完全に外れ、骨の先端が筋肉の袋を突き破らんばかりに隆起している。肩甲骨の裏側に、焼け火箸を十本同時に突き立てられたような激痛が、脳髄を白く焼き尽くした。
指先から力が抜け、ロングソードが泥の上にボトリと落ちる。
「若様ッ!!」
ウィルがショートボウを投げ捨て、泥の中を転がるように飛び出してきた。
古参兵はトマスを泥の中に蹴り倒すと、見下すように鼻を鳴らした。トマスは右腕を不自然な方向に投げ出したまま、泥水の中でエビのように体を丸め、泡を吹いて痙攣していた。
「申し訳ねえ! 申し訳ねえ、旦那様方!」
ウィルは泥の中に両手をつき、額を地面に擦り付けて叫んだ。
「この馬鹿は、カビた麦を食ってから頭がおかしくなっちまったんでさ! これに免じて、どうか命ばかりは!」
ウィルは懐から、あのフランス貴族から奪ったなけなしの銀貨を一枚取り出し、レジナルドの足元に投げ出した。
レジナルドは銀貨を拾い上げ、泥まみれのトマスに冷たい視線を落とした。
「……チッ。狂犬の相手をして怪我でもしたら馬鹿馬鹿しい。おい、行くぞ」
レジナルドは娘の縄を引くと、古参兵を引き連れて天幕の奥へと消えていった。娘は最後まで、泥の中で悶え苦しむトマスに何の表情も向けなかった。
「……この、大馬鹿野郎が!!」
ウィルはトマスの胸倉を掴み、泥の中で思い切り平手打ちを食らわせた。
「あの娘が何だってんだ! あんたのその安いプライドのせいで、俺たち二人とも首を撥ねられるところだったんだぞ!!」
「アァッ……痛ぇ……腕が、腕がもげる……!」
トマスは涙と鼻水を垂流し、ただひたすらに自身の肩を押さえて嗚咽していた。
ウィルは舌打ちをすると、トマスの背後に回り込んだ。
「歯ァ食いしばれ。入れるぞ」
「やめろ、待っ――」
ウィルがトマスの右腕を掴み、自身の膝をトマスの背中に当てて、強引に骨をあるべき場所へと押し込んだ。
ゴクンッという嫌な音とともに、トマスの意識は激痛のあまり完全にブラックアウトした。
4. 破滅の角笛(極限の緊張)
翌朝。
フランドルの大地は、前日以上の最悪のコンディションだった。雨は土砂降りとなり、視界は数十メートル先も見えない。
トマスは荷馬車の下で目を覚ました。右肩から指先にかけて、鉛のような重さと、脈打つような激痛が残っている。指先を動かすことはできるが、腕を肩より上に上げることは不可能だった。剣を振るうなど、到底無理な話だ。
「……おい、ウィル。俺は……」
トマスが声をかけようとした、まさにその時だった。
プォォォォォォォォォォッ!!
イングランド軍の陣地全体に、血を吐くような切羽詰まった角笛の音が鳴り響いた。
それは、進軍の合図ではない。
敵襲、しかも軍全体への「退却(あるいは総崩れ)」を知らせる、破滅の音だった。
「……パテーだ。パテーの村の方角から、フランス軍の重騎兵が突っ込んできやがった!!」
血相を変えたウィルが、ショートボウを握りしめたまま駆け込んできた。
パテーの戦い。
後に百年戦争におけるイングランド軍最大の惨敗と語り継がれるその会戦は、完全にイングランド軍の虚を突く形で始まっていた。
ロングボウ部隊が防御用の杭を打ち込む前に、フランス軍の先鋒――ジャンヌ・ダルクに率いられ、狂信的な士気を持ったラ・イルらの重騎兵部隊――が、嵐のように陣形を蹂躙したのだ。
「若様、立て! 逃げるぞ!! 前線はもう完全に崩壊してる!!」
周囲からは、パニックに陥った兵士たちの絶叫と、馬の嘶き、そしてテントが引き裂かれる音が響き渡っていた。
逃げようとしたトマスたちの前に、馬に乗った将校が泥を跳ね上げて立ち塞がった。
「貴様ら遊撃隊は、ここに残れ!! 後方部隊(本隊)が森へ撤退するまでの時間を稼げ!! 逃げる者はその場で斬る!!」
「ふざけんな! 俺たちを肉の盾にする気か!!」
ウィルが吠えたが、将校は剣を振りかざし、逃げようとした別の雑兵の背中を容赦なく斬り捨てた。
「王の命令だ! 死守せよ!!」
将校はそれだけ叫ぶと、自分はさっさと馬首を返して後方へと逃げ去っていった。
残されたのは、指揮官も陣形もなく、ただ死を待つためだけにその場に縫い止められた、数十人の哀れな遊撃隊たちだけだった。
「クソッ……クソッ!! イングランドの豚どもめ!!」
ウィルが狂ったように泥を蹴り上げる。
地響きが近づいてきた。
雨のカーテンを引き裂いて、フランス軍の銀色の重甲冑を着込んだ騎兵たちが、巨大な槍を構えて突進してくるのが見えた。
5. 殿の地獄(混沌と殺戮)
それは、戦闘と呼べる代物ではなかった。
巨大な鉄の塊(重騎兵)による、歩兵への一方的な蹂躙だった。
「アァァァッ!!」
トマスの目の前で、味方の兵士が馬上槍に胸を貫かれ、そのまま数メートルも宙を飛んで泥に叩きつけられた。槍が折れる乾いた音が、断末魔の悲鳴をかき消す。
騎兵が通り過ぎた後には、四肢を千切られ、腸を撒き散らした肉の塊だけが残される。
「若様! 伏せろ!!」
ウィルの叫びと同時に、トマスは本能的に泥の中へと身を投げ出した。頭上を巨大な軍馬の腹が通り過ぎていく。馬の蹄が巻き上げた泥が、顔面を強打する。
トマスは起き上がり、左手だけで不器用にダガーを引き抜いた。右腕はダラリと垂れ下がったままだ。
落馬したフランス兵が、メイスを振りかぶってトマスに迫る。
(くそっ……腕が……上がらない!!)
トマスはダガーを突き出そうとしたが、バランスを崩して泥に足を取られた。
フランス兵のメイスが、無情にもトマスの胸当て(ボイルド・レザー)を粉砕した。
「ガハッ……!!」
肺の空気が全て弾き出され、トマスは仰向けに泥の海へと吹き飛んだ。
肋骨にひびが入る鈍い痛みが走る。口の中に、泥と血の味が広がった。
空が見える。灰色の、絶望的な空。
フランス兵が、トマスに止めを刺すために悠然と歩み寄ってくる。男の顔が、兜の隙間から見えた。冷酷な、作業をこなすだけの目だ。
(ここで……死ぬのか。あんな下らないプライドで腕を壊して……こんなゴミみたいな泥の中で……)
トマスが目を閉じた瞬間。
シュッ! という鋭い風切り音とともに、フランス兵の顔面の中央――兜の眼窩の隙間に、一本の短い矢が深々と突き刺さった。
「グガァッ!?」
男は顔面に矢を生やしたまま、断末魔の痙攣を起こしてトマスの横に倒れ込んだ。
泥を這うようにして、ウィルが駆け寄ってくる。彼の手には、弦が震えているショートボウが握られていた。
「立て!! この役立たずのクソ貴族が!! ここで死なれてたまるかよ!!」
6. 泥まみれの救済(大狂乱の逃走)
「無理だ……足が……動かない……」
トマスは泥の中で咳き込みながら、血を吐き出した。右腕は完全に機能せず、呼吸をするたびに割れた肋骨が肺を突き刺す。もはや立ち上がる気力すら残っていなかった。
「ふざけんじゃねえ! あんたが死んだら、誰が俺に給金を払うんだ!! あの銀貨はまだ半分しか貰ってねえんだぞ!!」
ウィルはショートボウを投げ捨てると、トマスの胸倉――鎖帷子と革鎧の襟首――を両手でガッチリと掴んだ。
「歯ァ食いしばれ!! 舌を噛み切っても知らねえぞ!!」
ウィルは、体重がおよそ自分の倍近くある重装のトマスを、泥の海の中、強引に引きずり始めた。
「グアァァァッ!! 痛ぇ!! 肩が、肩が外れる!!」
「外れてるんだよ最初から!! 喚くな!!」
それは、地獄の釜の底を這いずるような光景だった。
周囲では、イングランド兵が次々と虐殺されている。矢が雨のように降り注ぎ、馬の蹄が泥と肉を捏ね回す。その阿鼻叫喚の狂宴のど真ん中で、小柄な従者が、半死半生の主をズルズルと引きずって、後方の森へと向かって決死の後退を続けていた。
泥がトマスの兜の中に入り込み、目と口を塞ぐ。
ウィルの腕の筋肉が悲鳴を上げ、血管が浮き出ているのが見えた。彼の顔は泥と汗と涙でぐしゃぐしゃになりながらも、決してトマスの襟首を離そうとはしなかった。
「どけェッ! 邪魔だ!!」
逃げ惑う味方の兵士がウィルにぶつかるが、ウィルは噛みつくような勢いでその兵士を蹴り飛ばし、ひたすらに泥を掻き分けた。
フランス軍の追撃が背後に迫る。騎兵の馬上槍が、二人の数メートル横を駆け抜けた兵士を背中から串刺しにした。血の飛沫がウィルの顔を赤く染める。
ウィルの息は完全に上がり、喉からヒューヒューという異常な音が漏れ始めていた。彼の足の裏の布はとうにすり切れ、泥の中の石や折れた剣の刃でズタズタに切り裂かれているはずだ。
それでも、彼は止まらない。
「なんで……」
トマスは、泥水に溺れかけながら、朦朧とする意識の中で呟いた。
なんで、自分を置いて逃げない。自分を殺して銀貨を奪う方が、よほど利口じゃないか。
ウィルは泥を吐き出しながら、狂ったように叫び返した。
「うるせえ! 俺は農奴だ! 泥を這いずり回るのなんて、ガキの頃から慣れてんだよ!! あんたみたいな温室育ちの豚とは出来が違うんだ!!」
罵倒しながらも、その手は絶対にトマスを離さなかった。
それは、忠誠心などという綺麗事ではない。この血と泥と狂気に満ちたフランスの戦場で、ただ一人、背中を預け合い、同じ地獄の空気を吸った「共犯者」に対する、彼なりの究極の生への執着だった。
永遠とも思える引きずり回しの末。
二人の周囲から、突如として馬の蹄の音が消えた。
木々が密集し、騎兵が進入できない深い森の境界線――退却戦における唯一の安全地帯へと、彼らは転がり込んでいたのだ。
7. 生存の吐息(深い緩和)
ウィルの手が、ふっとトマスの襟首から離れた。
二人は森の冷たい腐葉土の上に、泥の塊のように並んで倒れ込んだ。
「……ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
肺が破裂しそうなほどの呼吸音だけが、静寂の森に響いていた。
遠くでは、まだ後続の遊撃隊が虐殺されている悲鳴が聞こえる。しかし、この鬱蒼とした森の奥までは、フランス兵も深追いはしてこないだろう。
トマスは、泥で開かなくなった目をなんとかこすり、隣で大の字に倒れているウィルを見た。
ウィルは全身泥だらけで、足からは血を流し、指先はトマスの鎧を引きずったせいで擦り切れ、爪が剥がれて血が滲んでいた。
「……ウィル……」
「……喋るな。息がくせえ」
ウィルは目を閉じたまま、かすれた声で悪態をついた。
「……死ぬかと思ったぜ、クソが。次にあんな馬鹿やったら、今度こそ銀貨だけ剥ぎ取って、あんたの喉をかっ切ってやるからな」
「……ああ。……すまなかった」
トマスが素直に謝罪を口にすると、ウィルは少し驚いたように片目を開け、それから鼻でフッと笑った。
「……腕は、まだくっついてますか、若様」
「ああ。……だが、当分剣は振れそうにない」
トマスは、ダラリと動かない右腕を見つめながら言った。
自身の中にあった「騎士」という概念は、今日、あの無意味な喧嘩と、この泥まみれの退却戦によって、完全に死滅した。
剣も握れない。一人で逃げることすらできない。ただの惨めな肉の塊。
それが、トマス・アシュボーンという男の現在地だった。
「なら、当分は俺のショートボウが頼りですね。……給金は倍、いや三倍もらいますよ」
ウィルが空を見上げたまま、悪戯っぽく笑った。
「……ああ。俺がまた銀貨を稼げるようになったら、必ず払う」
トマスもまた、顔を泥だらけにしたまま、自嘲気味に笑った。
森の冷たい雨が、二人の顔にこびりついた血と泥を、ゆっくりと洗い流していく。
惨めだった。何もかもを失った。
しかし、彼らの肺には、確かに冷たくて美味しい「生者の空気」が満ちていた。
パテーの戦いという歴史的な大敗北の裏側で、二匹の泥犬は、互いの悪臭を嗅ぎ合いながら、ただ「生き延びた」というその一つの事実だけを、噛みしめるように抱きしめていた。




