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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
11.葵暦200年 猩瑯の戦い

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12.蒼天は既に選んだ


「……。……くせん。……なあ、起きろって」


 体の上に心地良い重みを感じて峨鍈は覚醒する。体の上の重みは、ごそごそと峨鍈の体をまさぐっている。

 唇を啄まれて、峨鍈はゆっくりと瞼を開いた。

 目の前に蒼潤の顔がある。それが再び近付いて来て、唇を甘くまれる。


「伯旋、……したい」


 峨鍈は自分がいつ眠りについたのか分からなかった。

 だが、臥室の中が橙色の光に包まれているので、それなりに時が過ぎたのだと分かる。

 先に目覚めた蒼潤は峨鍈の体の上に乗って、峨鍈の体を弄んでいたようだ。すぐにでも蒼潤の求めに応じられそうだったので、引き寄せて口付けた。

 1刻ほどお互いにお互いを貪り、満足感を得ると、蒼潤が再び寝入ってしまった。

 その寝顔を眺めているうちに峨鍈も眠ってしまい、次に目覚めた時には朝陽の淡い光に包まれている。


 まもなくして蒼潤も目覚め、侍女を呼ぶと、湯を持って来させた。

 体を清め、身支度を整えようとしていたので、峨鍈が蒼潤の衣を選ぶ。紺青色の生地に金龍と牡丹の刺繍が施された長袍である。


「髪はどのように致しましょうか?」


 侍女も心得たもので、蒼潤ではなく峨鍈に尋ねてくる。

 峨鍈は華やかに結い上げるように指示すると、簪や耳飾り、首飾りを選んで蒼潤につけさせた。

 それから自分自身の身支度も終えて、隣の室に移動する。

 食事の支度が整っており、蒼潤と並んで牀に腰かけた。蒼潤はまず羹を口にして、それから、南瓜の味噌漬けを箸で摘まんで頬張る。

 峨鍈はその様子を横目で見ながら盃をあおった。


「ところで、天連」

「ん?」

「お前、儂に隠していることがあるだろう。――お前、何をした?」

「……」


 蒼潤は無言になり、そっと箸を置いた。

 やはり蒼潤は何かを隠している。確信して峨鍈も膳の上に盃を置き、蒼潤の方に体の向きを変えて言った。


「何人かの証言によると、お前は雨を降らせたらしい」

「何人かって?」

「何人かだ。皆、城を守っていた兵士たちだ。お前の蒼い髪も大勢が目にしている」

「うん」


 そうだろうな、とでも言うように蒼潤は頷く。

 化粧を施した顔を俯かせて蒼潤が何やら考え込んでいるので、峨鍈は眉を顰めた。


「おい、正直に話せ。何をした?」

「言えば、お前、俺のことを閉じ込めるだろう?」

「何?」

「お前が俺を邸の奥に閉じ込めようとしたり、ひどく執着したり、俺の行動を制限して、自由に人と会えなくするのが、――なんて言うか、困るんだ」

「そんなこと今さらだろう」

「今さらって!?」

「今さらだ。お前が何をどう話そうと、何も話すまいと、儂はお前を閉じ込めたいし、自由を奪いたい。この上なく執着しているし、お前に関わるすべての者に嫉妬する」


 きっぱりと言い切ると、あんぐりと口を開いて蒼潤は絶句した。

 それから瞳を瞬き、思い直したように言う。


「それじゃあ、俺が今から何を明かそうと、お前はこれまで通りということだな?」

「そうだな」

「なら、言うけど、絶対に怒るなよ?」

「怒る? なぜだ?」


 意味が分からんと蒼潤を見やれば、蒼潤は極めて真剣な顔をしてとんでもないことを口にした。


「俺、雲を集められるんだ」

「なんて?」

「だから、雲! 空に浮かんでいるやつ。雲だよ」

「どうやって? 集めてどうする?」

「どうやっているのかは自分でもよく分からないんだけど、雲を集めると、雨が降るんだ。昨日は、集めた雲が雷雲だった」

「雷……? まさか、お前が雷を落としたとか言うのではないだろうな?」

「言わないよ。俺は雲を集めただけだ。集めた雲が雷を落としたんだ」

「意味がさっぱり分からん」


 もうっ、と蒼潤が憤慨して両手で拳を握った。

 もどかしそうに拳を振り下ろして、なぜかここで柢恵の名を口にする。


「俺は説明が下手だから陽慧に聞けよ」

「なぜ陽慧にお前のことを聞かねばならんのだ。なぜ陽慧は知っていて儂は知らんのだ!」


 まったくもって納得がいかないと思わず声を荒げれば、蒼潤は再び、もうっと言って拳を振り下ろした。


「怒らないって言ったじゃないか!」

「……怒ってはいない」


 むっとした顔で蒼潤が黒々とした瞳で峨鍈を見上げてくる。

 峨鍈は己の顔の横に両手を掲げて唇を引き結んだ。降参だ、或いは、己の非を認めるという仕草である。

 蒼潤は訝しげは表情を浮かべつつも、気持ちを落ち着かせて語り始めた。


「数年前に陛下から雩礼うれいを頼まれた時に、蒼家の郡王は風雨を操る力を持っているという言い伝えがあることを知ったんだ。それで、陽慧と会った日に、試してみようという話になって、試してみたら、降ったんだ。雨が」

「信じられん」

「でも、降っただろう? 珂原でも」

「いつの話だ?」

「俺と楊慧が雨に降られて帰って来た夜のことだ」

「お前が陣営を抜け出した時のことか」


 あの時、蒼潤が陣営にいないことで大騒ぎになったのだ。


「なぜすぐに儂に言わないのだ?」

「だって、お前、俺にそんな力があるって知ったら、どうにかなってしまいそうで」

「もうどうにかなっている! これ以上、お前に狂わされる余地などないくらいにな。――なるほど。蒼い髪どころではなかったか」


 峨鍈は妙に納得して目を伏せる。

 瓊俱は蒼潤の力を目の当たりにしてしまったのだ。

 髪が蒼く輝くというだけでも心奪われるのに、いきなり雷を落とされては、たまったものではなかっただろう。

 膳の料理に視線を向けると、箸を手に食事を始めた。


 陽が高くなって、峨鍈は蒼潤を連れて正殿に向かう。

 すでに峨鍈の幕僚たちが集まっており、正殿の外には手足にかせをはめられた瓊倶が地べたにひざまずかされている。

 峨鍈は瓊俱の惨めな様子を流し見てから正殿の中に足を踏み入れた。

 

 最奥の最も高い位置に用意された牀に腰を掛け、蒼潤も傍らに座らせた。

 蒼潤は峨鍈の言うがままに従い、大人しく座っているので、まるで綺麗な装飾が施された置物のようだった。

 その場の者たちは皆、蒼潤の美しさに目を奪われている。故に、蒼潤が峨鍈と並んで座っていることに異議を唱える者はいなかった。


 峨鍈は片手を上げて合図を送ると、瓊俱を正殿の中に連れて来させた。

 立ち並ぶ峨鍈の幕僚たちの前に引き立てられた瓊俱は、兵士に乱雑に扱われて、峨鍈の正面で無様に倒れる。

 瓊倶が呻き、顔を上げて峨鍈を睨みつけてきたので、峨鍈は見せ付けるかのように蒼潤の手を取って握った。

 それを見て目を見開き、瓊俱は噛み締めていた唇の端から血を滲ませながら声を荒げる。


「峨鍈! わたしはお前に負けたわけではない。蒼家の血に負けたのだ!」


 広々とした正殿に瓊俱の喚き声が大きく響き、夏銚や夏葦をはじめ峨鍈の幕僚たちが嘲笑を漏らした。

 誰がどう聞いても負け惜しみである。どういう過程があろうと、瓊俱が峨鍈に負けたことは、けして覆ることのない事実だった。

 続けて瓊倶の血走った眼が蒼潤を捕らえる。


「郡王よ!」


 些か芝居がかった口調で、瓊俱は蒼潤の方に身を乗り出して言った。


わたしが、瓊家が、蒼家のためにしてきたことをご考慮くだされ。蒼家を守れるのは瓊家だけですぞ。峨家の力では国は治まりません!」


 蒼潤の眉がぴくりと跳ねて、その顔に嫌悪感が露わになったので、嘲笑が止み、皆の視線が蒼潤に集まった。

 蒼潤が峨鍈の手を握り返してくる。蒼潤に代わって己が瓊俱に返事をくれてやるべきかと峨鍈が考えた時、蒼潤が冷ややかな眼差しを瓊倶に向けて、抑揚のない声で言い放った。


「血を頼る時代は終わったのだ」

「郡王……」

「血が国を治めるわけではない。人が国を治めるのだ。国は人の集まりであり、血の集まりではない。峨家が国を動かすのではなく、伯旋はくせんが動かせば良いと、わたしは思う」

「では、わたしが。このけい供甫きょうほが郡王の手足となり、国を動かしてみせましょう!」


 がしゃんっと足枷の鎖を鳴らし、瓊俱が蒼潤に向かって一歩踏み出したので、蒼潤は頭を左右に振った。

 そして、無情とさえ思えるほどきっぱりと瓊俱に向かって言い放つ。


「蒼天は既に峨伯旋を選んだ。他の者に心を奪われることはない」


 瓊倶は全身から力が抜け落ちたようにガックリと項垂れ、正殿はしんと静まり返る。しばらく誰もが口を噤み、蒼天を仰ぐように蒼潤の凛々しい姿に目を奪われていた。

 真っ先に我に返った柢恵が峨鍈を振り返って言った。処断を、と。

 峨鍈は瓊倶を見下ろす。

 すると、幼い頃に出会ってからの様々なことが脳裏に次々と蘇ってきて、悔しさと懐かしさと、ようやく相手を見返すことができたという達成感が胸に溢れた。


「儂は絶対にお前の下には付かんと決めていた。死んでも、だ」


 瓊倶が峨鍈の言葉を聞いて、ふっと嗤う。


「峨鍈、お前がわたしの下でなかったことがあったか? お前はこの天下に生まれ落ちた時から予の下だ。穢れた血のお前を予が己の手足のように使ってやろうと、何度も何度も誘ってやったのに、愚かなお前は聞く耳を持たなかった」

「まだ血がどうの言うのか。聞く耳を持たなかったのは、お前の方だ。何度も何度も言ってやったのだ。お前の手は取らん。お前と天下を語り合うこともなければ、お前とは同じ天下を仰ぐこともない。なぜなら、血だけを頼るお前とは見ている景色がまったく異なるからだ。儂は儂が選んだ者たちを信じ、頼りとする。今まさに、ここに並ぶ者たちのことだ。お前は生まれ落ちた時代が悪かったと思え。――瓊倶、お前の死で、血を尊ぶ青の時代を終わりとする」

「終わるものか! お前がどんなに足掻いても、人は結局、貴賤の区別から逃れられない! 予が上で、お前が下。予の血の方が尊く、お前の血は汚れておるのだ!」


 喚く瓊倶から目を背けるように峨鍈は瞼を閉ざした。

 そして、蒼潤の手を握る手とは別の方の手を掲げて、そして、振り下ろした。


「首をねよ」



△▼



 葵暦200年、猩瑯の戦いは峨鍈の勝利で終わった。

 この戦いで逃げ延びた瓊倶の息子たちも討ち取られ、青王朝きっての名家である瓊家は滅びた。


 葵暦205年、峨鍈は北原を平定し、丞相という地位につく。これにより三公が廃されて、これ以上の地位は皇帝しか残っていない。

 同年、静泉郡主が三人目の子を身籠ったまま亡くなり、空席となった皇后の座に峨鍈の娘の峨琳がついた。


 葵暦208年、楢州と冷州を平定する。この2州を合わせて西原といった。

 峨鍈は深江を越えて江南に攻め進むが、穆匡と蒼邦の連合軍に破れる。

 この敗北は峨鍈にとって大きな痛手となり、以後、北原と中原、西原のみを天下と定め、己の理想とする国づくりに邁進まいしんする。


 葵暦213年、尭公となる。

 これは彼が皇室に入り、臣下の一線を越えたことを意味する。

 峨鍈は北原4州を『堯国』と定め、瓊俱が栄えさせた豪を『紅華』と改めて都とした。


 葵暦216年、尭王となる。

 この頃から蒼絃が禅譲をほのめかし始める。しかし、峨鍈はこれを固辞し続けた。


 葵暦218年、蒼絃が禅譲したことで、ついに青王朝は四百年の幕を下ろす。

 峨鍈は北原と中原、西原を統合し、堯の皇帝として即位し、梨蓉を皇后に立てる。

 蒼潤は郡王位を返上し、青龍王に封じられた。

 峨鍈の在位は2年ほどで、後半の1年間は病床にあり、政務の多くは皇太子の峨驕が行っていた。


 葵暦220年、崩御する。

 その後、史書において青龍王に関する記述はなく、その墓もない。




最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

この話はここで完結ですが、 峨鍈と蒼潤の結末は『比翼の鳥なんてお断り ~私の前世は小説に書いてある~』で確認することができます。

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