アッシュ(2)
――ゲートを潜り抜けると、異様な光景が、目に飛び込んで来た。
そこは、真っ暗で、強風が吹き荒れる、町の広場だ。目に映る範囲には、人が誰もいない。
別の場所に飛ばされたかと思う程に、広場の様子が違っていた。
「どうなってんだ!?」
シンは、強風に煽られる左腕の盾を、腹に抱き寄せて、右手で顔を守った。空を見上げると、雲?霧?煙?何かは分からないが、それが激流の如く奔り、空を覆い隠している。
体を持って行かれそうな程の強風が、町の中を駆け巡る。樽が壁にぶつかって粉々となり、空に舞い上がって行くのが見える。自身の身に、今に、何が飛んで来たとしてもおかしくはない。とりあえず、この場から移動しないと危険だった。
「ホノカ!」
シンは、強風に掻き消されない様に、大声でホノカを呼んだ。強風を掻い潜り、必死に顔を、ホノカに向ける。
しかし、なぜか、ホノカは、地面に崩れ落ち、尻を突いていた。闇の流れる空を見上げて、絶望している。暗雲が立ち込める中、雨は降っていないはずなのに、ホノカの頬は、濡れていた……。
今の今まで、元気に笑っていたはずなのにと、シンは驚いて、ホノカに駆け寄った。
ホノカの背に手を回し、呼び掛ける。
「ホノカ!?おい!ホノカ!」
耳元で呼び掛けるも、ホノカの瞳は、天を見つめ続けた。肩を揺さ振ろうが、何の反応もない。魂でも抜けてしまったのか、体を支える力さえも感じ取れない。
「いったい、どうしちまったんだよ。」と、シンは、頭を抱えた。
一瞬、目を離しただけで、ホノカの表情は、一変してしまっていた。あの優しい笑顔は、どこに消えてしまったのか。
シンは、その原因であろう空を見上げる。上空では、無数の塵が雲となり、物凄い速さで流れ続けている。訳が分からなかった。
そこで、ホノカの腰の刀が、風でガタガタと揺れ動き、仕舞いに飛ばされた。
刀の飛び行く軌道を追い駆ける様に、解けた太刀緒が舞い揺れる。
「――あっ!」
シンは、瞬時に跳び付いた。闇に吸い込まれ往く刀を、なんとか空中で掴む。バッと、刀を抱え込み、そのままの状態で、肩から広場の石畳に滑り落ちる。
ザーッと、体を地面に擦り付け、ギュッと目を瞑って痛みに耐えた。シンは、頬と服の下に、擦り傷を負った。
「いってー。」
シンは、刀を盾と一緒に抱き抱えて、ゆっくり起き上がった。風に体を煽られるが、しっかりと足を踏ん張る。
その時、上空で、ゴロゴロと、雷が鳴り響いた。それに伴い、ビカビカと、雷光が目に飛び込む。
しかし、シンは、雷など気にしている場合では、なかった。今は、ホノカのことを、何よりも優先しなければならない。
「ホノカ。」
シンは、体の向きを変え、再びホノカに駆け寄る。
ホノカは、固まった様に、空を見上げた状態のままだ。頭の後ろで結ばれた金髪が、縦横無尽に暴れ回っても、まったく気にも留めていない。
そこで、シンは、雷の鳴る空の上に、違和感を覚えた。見なくても分かる程の、ただならぬ気配を感じたのだ――。
ホノカが、掠れた声で、言葉を発した。
「……終焉の灰。」
シンは、空を見上げた。
空を覆い隠す雷雲の中を、巨大な魚、いや、鯨か、龍か――巨大な何かが、闇の中を泳ぐ様にして、上空を横切って往く。
稲妻の輝きで、その影が、くっきりと、雲の中に映し出される。だが、それは、壊れかけの蛍光灯と同じで、瞬く間に光を失ってしまう。その一瞬の輝きでは、具体的な形までを、目に焼き付けることが出来ない。
「なっ……デカ……。」
あんなものが降って来たらと思うと、それ以外の言葉が出なかった。シンは、静かに化け物が通り過ぎるのを待つ。並外れた光景を前に、口が自然と開く。時折鳴り響く雷の光を顔に受け、呆けた様に見届ける。
強風と雷で、耳が役に立たない。
そんな中、聴力など皆無だというのに、突如として、人の大きな笑い声が耳に届いた。
『あっはっはっはっは。あっはっはっはっは――。』
その笑い声は、天から鳴り響いていた。何が可笑しくて笑っているのか、まったく理解が出来ない。シンには、ただ、ただ不気味なだけだ。
高笑いが駆け抜けると、今度は、空から新聞紙の端切れの様な、灰色の欠片が降ってきた。これが、空を覆っている雲の正体なのかもしれない。
シンは、丁度、風で目の前に流れて来た、燃えカスの様な『それ』に、触れようと手を伸ばした。
「――駄目!!」
突然、ホノカに、手首を掴まれた。
「え?」
驚いてホノカに目を向けると、ホノカは、目に涙を浮かべたまま、シンの事をじっと見つめていた。
「駄目よ。シン。」
ホノカは、シンの腕を強く握り締めたまま、真剣な顔付きで言う。シンには、意味が分からなかった。
「いや、あの――。」
シンが言葉を挟む間も無く、ホノカが走り始める。
「こっちよ!」
シンは、ホノカに腕を引っ張られ、連れ去られる。胸に抱いた刀と盾を落とさないよう、しっかりと抱き抱えながら、已むを得ず、ホノカの後をついて行く。
「ちょっ!ホノカ!?」
シンは、驚きながらも、ホノカがまだ泣いているのを、知った。理由は、分からないが、泣く程の事情があるという事だろう。
シンは、大人しく握り締められた手に従った。
ホノカは、一直線に、『レストラン・トラモント』に向かっているようだ。




