ログアウト(1)
シンは、はっとして起き上がる。
黒い筐体の縁に手を掛け、上半身を跳ね起こす。目を見開き、周囲を確認して、昂った心を落ち着ける。
肩を撫で下ろし、ふーっと、長い息を吐く。今までに、色の付いた部屋を見て、こんなにも安心した事があっただろうか。
ぱんっ!
シンは、手の平で頬を挟む様にして叩いた。衝撃の余韻に浸り、ゆっくりと目を開ける。
「戻って……来たんだよな?自分の家じゃないから、現実味に欠けるなぁ。まだ、夢ってこと、ないよな……。」
シンは、周囲に疑いの目を向けてから、筐体から出た。ソファーに転がっている、飲みかけのペットボトルを手に取り、蓋を開ける。
「流石に、次、いつ戻るか分からないし。腹に何か入れとくか。」
蓋を掴んだ手で、軽く腹を摩ってから、水で喉を潤す。噴き出た汗の代わりの水分を補給し終わると、蓋を閉じて、ペットボトルを棚に置いた。
シンは、ペットボトルと交換で、棚からスマホを取り上げた。一日も経っていないというのに、スマホを持つのが久しぶりに感じる。それ程、冒険に熱中していたということだろう。
「SNSでも、更新しとくかー。ってか、なんか、外が騒がしいな。」
部屋の外から、複数の人の声が聞こえて来る。誰かが暴れているみたいだ。声が気になり、スマホの画面を掲げたまま、部屋の外に出る。
「お願いだ!もう一度!もう一度でいいから!アムリタに行かせてくれ!」
廊下の奥にある部屋の扉が開いている。騒がしい声は、その部屋から聞こえて来るようだ。応援に駆けつけたスタッフが、シンの横を通り過ぎて部屋に入って行く。
「お願いだ!」と、男性が駄々をこねて叫ぶ。
そんな男性を、止める声が聞こえる。
「駄目です。早くスーツから、着替えて下さい。」
シンには、何が起きているのか、理解が出来なかった。
「なんだ?」と、首を傾げ、部屋から離れることにした。――触らぬ神に祟りなし。
シンは、気になりつつも、そのまま食堂へ向けて足を運ぶ。
エレベーターホールを抜け、食堂の前に出る。
ついでに、食堂の前で自撮りした。それを、SNSに乗っける。
「投稿、投稿っと。」
スマホをいじり、食堂に入ると、そこには、一人の赤い髪の男性がいた。
沢山のテーブルが並ぶ、広々とした食堂。その窓際の片隅に、たった一人の人物が、ぽつりと座り、タブレットに向かって話し掛けていた。
シンは、見ないフリをして奥に進む。黒いボディースーツを着た、大きな背中の後ろを、静かに通り過ぎる。――何、食べよう。
献立の事を考えて、聞こえて来る会話を、聞こえない事にする。――オムライス、ハンバーグ、唐揚げ、ラーメン、ピザ。
「本当に大丈夫なの?」と、女性の声が、広い食堂に反響した。
それに答える為に、男性が喋る。
「大丈夫だって言ってるだろ?一回向こうに行って、帰って来たんだから。」
正直、ここも会話が聞こえて気まずいと、シンは、思った。男性が、彼女or奥さんと、ビデオ通話をしているみたいだ。
シンは、食堂の奥に着くと、カウンターでメニューを探した。メニュー表を見るに、タッチパネルで注文が出来るみたいだ。――やっぱ、米かな。
シンの脳内が、アムリタで食べられなかった白米を欲する。
そして、タッチパネルを操作して、適当などんぶり(カツ丼)を注文した。
それから、壁沿いに置かれている自販機で、飲み物を買う。左腕のバンドも、手馴れてきた感じがする。手を掲げる動作が、ゲーム内で、ゲートを開いた時と同じだった。
――ガチャコン。
落ちてきたジュースを取り出して、傍の椅子に腰掛ける。――カツ丼は、ミスったな。
揚げ物には、時間が掛かる事を考えていなかった。
(それにしても、何処かで聞いた事のある声の様な。)
シンは、テーブルに肘を突き、男性の方をチラッと見た。燃える様な赤い髪に、細身の割に逞しい背中。そして、透き通る様な肌の、あの美形な横顔は……。
なんと、声の主は、俳優の笹崎ロクだ。
(フェニックス!見てみてー!)
シンの心の声が聞こえたのか、急にロクが、シンに振り向いた。――えっ。
シンの心が動揺する。爆爆と、心臓が高鳴った。




