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桜の花は散り、梅の花が目立つ街路樹を、車の中から眺める――。
外の空気は、肌寒さを感じるぐらい涼しく、窓から少しだけ身を引いた。
「GW前だからか、空いてるね。」
助手席に座る青年が、運転している母親に声を掛けた。
「いつもど・お・り・よ。みんなこの時間は、仕事してんの。あんた、どんな生活してるのよ。午前中にも授業あんじゃないの?」
母親は、呆れた表情でサイドミラーを確認すると、ハンドルを切った。
「ん〜。あるけど、極力午後からの講義しか取ってないし……あっても眠くてさ。ふぁ〜。あんまり気にした事なかったなぁ。」
青年は、欠伸で出た涙を指で拭うと、前方を指差して言う。
「あ、そこのバス停でいいよ。」
「え?駐車場まで行くわよ?」
「いいって、いいって。セキュリティーしっかりしてんだから、名前書いたりすんのも面倒じゃん?」
そう言われた母親は、直感で面倒臭さが勝ったのか、素直にバス停の側に車を寄せた。
止まるや否や青年は、すぐさまドアを開き、アスファルトに降り立つ。
「忘れ物は、本当にないの?」
「大丈夫だって。」
青年は、後部座席からキャリーケースを取り出し、ドアを閉める。
「何かあったら直ぐに電話するのよ。」
ハンドルを握ったまま、母親が覗き込む様にして顔を向けた。
「そんな、何か起きるみたいな事言うなよな……何も起きない事を願っといてよ。じゃあ、ありがとう。」
青年は、人の心配も余所に、振り返りもせず歩き出した。
それにしても、流石、大企業の玄関口だ。綺麗の一言に尽きる。
キャリーケースは、ガタガタとせず、車輪の音を綺麗に奏でて地面を走り続ける。
敷地を囲むこの大きな壁の向こうには、背の高い近未来的な造形の建物が、聳え立っている。すべての窓ガラスが、ピカピカに磨かれた鏡みたいに反射して、青空を映し出す。
「はぁ。なんか緊張してきたぞ。」
彼は、建物を見上げて震え上がると、周りに聞かれない様にぼそっと呟いた。
彼の名前は、光先 シン。大学二年生。
髪は、真っ黒。身長は、170センチ。
今話題の新作VRゲーム。『アムリタ』のテストプレイの為に、レイ&ライブラ社へと足を運んでいる最中だ。
今回のテストプレイの応募には、SNSのフォロワー数一万人以上、尚且つ現役の著名人で有る事が求められた。健康である事は、大前提として――。
これには、批判が多く、炎上した。
「平等じゃない。」だとか、「一般人にもやらせろ!」だとか、様々だ。
後は、海外からの応募を拒否した事も大きかった。安全を謳ってはいるものの、もしもの事があれば、国際問題に発展しかねない。
その上、この為だけに来日させる費用も、馬鹿にはならない。ビザやら何やら、各種手続きを確認している余裕もない。
なので、海外ユーザーには、「正式版のリリースをお待ち下さい。」の一点張りだった。
今回は、あくまでもテスト運用。フルダイブ形式という事もあり、どんな事故が起きるのか、分からないのだ。
驚くことに、そんな危険性があるにも関わらず、応募は殺到。
高倍率の審査の中、彼が仕入れた情報によれば、200名程が選ばれたみたいだ。
200名と言うのは、オンラインゲームの接続人数としては、少なく見えるかもしれない。
しかし、筐体の大きさや値段などを考慮し、将来的な普及率を考えると、理に適っていた。
このfogと呼ばれるカプセル型の筐体は、一般家庭にそう易々と設置出来る代物ではない。あくまでも富裕層向けで、一般的に普及するのは、十年以上は先のことだろう。
VRゴーグルですら、そこまで普及していないのが現状だ。購入には、場所を取る分、かなりの覚悟が必要となる。
参加者は、そんな代物を無料で、逸早く体験出来るのだ。人気商売の著名人たちにとっても、話題作りにもなる。応募が殺到する理由にも頷けた。
しかし、ただのゲーマーであるシンは、そんな高倍率の審査の中、自身が選ばれたことに疑問を持っていた。
学力は、普通……よりもやや下。(笑)
これと言った特技もなし。
何か賞を取った経験も無い。
ゲームも本格的に始めたのは、ここ数年だ。
そんな彼が選ばれる理由は、フォロワーが一万人以上いる点と、とある不名誉な称号だけだった……。
勿論、結果のメールを見た時は、喜んだ。が、後々良く考えてみると、不安が襲って来るのだ。
前途の通り、テストプレイに参加する者は、著名人ばかり。今度は、どんな醜態を世に晒してしまうのか、分かったものじゃない。
シンは、綺麗に剪定された街路樹の間の道を、数名の人達と同じ様に歩き、ビルのエントランスに向かう。
入り口の自動ドアを潜り抜けた時は、心臓が飛び出る程の重圧に飲まれた。
シンは、口から出た心臓を元に戻す様に、生唾をごくりと飲み込んだ。
受付のカウンターには、笑顔の眩しい女性たちが腰掛けており、先に到着した参加者への案内を行なっていた。
待機列に並ぶと、緊張を解す間も無く、自分の番が回って来た。
「ようこそ。」
受付に名前を記入するように促され、手早く書き込む。
「テストプレイヤーの光先 シン様ですね。こちらのバンドを装着後、左手のエレベーターで、24階へお進み下さい。」
「あ、はい……。」
リストバンドと、A4の用紙を受け取り、ゴム紐の様なバンドを左の手首に装着した。受け取った紙には、このバンドの説明が書かれてある。
バンドには、ICチップが内蔵されており、身分証と自販機の会計や扉の鍵としての役割を果たしてくれるらしい。
このバンドを掲げれば、自分が通れる扉を、手も触れずに開く事が出来る。この広いビルの中で、誰が何処に行ったのか、逐一把握出来るという事だろう。
シンは、受付の女性に言われた通り、彼女の右手が示した方向に進んだ。
そして、エレベーターに乗り込み、24階を目指す。




