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激重ヒロインと気づかない男  作者: 緋紅茜


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9/10

9話(綺月視点)

最初は、ただ面白い人だと思った。


それだけだった。

本当に、それだけ。


高校二年の春。クラス替え初日の教室は、まだ誰も自分の席に馴染んでいなくて、空気だけがそわそわしていた。新しい担任、新しいクラスメイト、新しい教科書。そういう日は、だいたいみんな少しだけ無理をする。明るい子はいつもより明るくするし、おとなしい子はいつもより気配を消す。


綺月きづき 燦那さんなは、そのどっちも得意だった。

必要なら場の中心に立てるし、必要なら「なんとなくそこにいた可愛い子」にもなれる。そういう空気の読み方は、昔から自然にできた。


だから、新しい教室へ入った時も、燦那はわりと早く「使える子」と「面倒な子」を見分けていた。


先生に気に入られそうな子。

笑わせると場が回りそうな子。

変にプライドが高くて扱いづらそうな子。

そして、関わっても得も損もしない、普通の子たち。


天縫あまぬい 景瑠けいるを最初に見た時、燦那は彼を「得も損もしない普通寄りの子」に入れた。


黒髪で、静かで、騒がしくない。

顔立ちは悪くないけれど、目立つほどではない。

誰かに話しかけられれば普通に返すが、自分から輪の中心に入る感じでもない。

そういう男子はクラスにひとりかふたりいる。印象が薄いわけじゃないけれど、わざわざ意識するほどでもない。


だから、その日のうちに印象が変わったのは、少し予想外だった。


昼休み前だった。

まだクラス全体がぎこちない時期で、何人かが教室の前で席替えの話をしていた。そこで、一人の女子がうっかり教科書の山を落とした。かなり派手に。

近くにいた男子たちは一瞬だけ見たけれど、気まずそうに笑って、そのまま避けた。関わるほどでもない、という顔だった。


その時、景瑠だけが何も考えていないみたいに動いた。


しゃがんで、散らばったノートを拾う。

ページが折れたのを見つけて軽く伸ばす。

「これ、自分の?」と確認する。

しかも、やってることがいちいち自然だった。


優しい男子はいる。

でも、大体の子は優しくする時に少し格好をつける。

声が少し柔らかくなったり、周りへ分かるように動いたりする。

景瑠にはそれがなかった。


見ていた燦那は、そこで初めて少し気になった。


変な人。


善人、ではなく、まずそう思った。

だって、損得がない。

助けたところで何かが返ってくるわけでもないのに、まるで自分の仕事みたいに手が動いている。その無自覚さが、むしろ少し不気味だった。


でも、その不気味さは嫌じゃなかった。

燦那は、普通じゃないものが割と好きだったからだ。


だからその日の帰り際、燦那はわざと景瑠へ話しかけた。


「ねえ、天縫くんだっけ」


景瑠は帰り支度の手を止めて顔を上げた。

目が合った瞬間、燦那は少しだけ意外に思う。思っていたより、目が静かだった。ぼんやりしているわけではない。よく見ているのに、前へ出てこない目。


「うん」

「さっきさ、ああいうの普通に助けるんだね」

「普通じゃない?」

「普通は一回様子見ると思うけど」


そう言うと、景瑠は少しだけ困ったように笑った。


「困ってたし」


たったそれだけだった。


困ってたし。

その四文字に、変な引っかかりがあった。

軽い。あまりにも軽い。

でも、軽いからこそ本音に聞こえた。


燦那はその時、なんとなく思った。

この人、変に優しい。

そして、その優しさを自分で武器だと思ってない。


それから少しずつ、燦那は景瑠を気にするようになった。


最初は、本当に軽い興味だった。

話しかけたらどんな返しをするんだろう。

どこまで距離を詰めたら困るんだろう。

からかうとどんな顔をするんだろう。

そういう、ちょっとした遊びみたいなものだった。


燦那は人との距離を詰めるのが得意だった。

笑って近づき、名前を呼び、相手の警戒が解ける位置まで一気に入る。大体の男子は、それで少し浮かれるか、少し挙動不審になるか、そのどちらかだ。だから読みやすい。


でも景瑠は、そこでも変だった。


燦那が「景瑠って呼んでいい?」と聞けば、「いいけど」と普通に頷く。

昼休みに「購買行こ」と袖を引けば、「いいよ」と立ち上がる。

ノートを見せてと言えば貸してくれるし、猫の写真を送ればちゃんと返事も来る。


そのくせ、ひとつも勘違いしない。


普通、ここまでやれば少しくらい「自分に気があるのかな」と思う。

あるいは期待する。

でも景瑠は、驚くほど何も変わらない。

話しかければ普通に返して、近づけば普通に受け入れて、でも、それ以上には一歩も踏み込んでこない。


燦那はだんだん面白くなってきた。


何この人。

全然引っかからないんだけど。


悔しい、というより、気になる。

どうしたら崩れるのか知りたくなる。

それで少しずつ、燦那は景瑠へ向ける時間を増やしていった。


朝、教室に入ったら先に声をかける。

休み時間に移動教室へ一緒に行く。

購買で見つけた新作をわざわざ見せる。

放課後、帰り道が少しだけ重なるように調整する。


燦那にとっては、まだ遊びの延長だった。

でもその遊びは、少しずつ本気の形を持ち始めていた。


決定的だったのは、六月に入る少し前だった。


その日は、燦那が珍しく本気で気分を落としていた。

理由は大したことではない。家のことだった。父親と母親の言い合いが朝からうるさくて、出てくる時に妙な空気を吸ってしまっただけ。

でも、そういう小さなことで燦那はたまにひどく疲れる。

明るい顔を作るのが上手い分、一度しんどくなると、逆にどうしていいか分からなくなるのだ。


昼休みの終わり、教室の後ろで窓の外を見ながら、燦那は少しだけ息を吐いていた。

ぼんやりしていたから、景瑠が後ろに来るまで気づかなかった。


「綺月」


燦那は振り向いた。


「どうしたの?」

「それ、こっちの台詞」


景瑠は眉を寄せていた。

あまり見ない顔だった。困っているというより、何かを見逃せない時の顔。


「何が?」

「今日、静かすぎる」


燦那はそこで、ほんの一瞬だけ言葉を失った。


そんなことで気づく?


誰だって、いつも同じ調子じゃない。

一日くらい元気がなくても、よほど親しくなければ分からない。

しかも燦那は、そういうのを隠すのが得意なほうだ。明るい声くらいなら、作れる。


それなのに景瑠は、あっさり見抜いた。


「別に、普通だけど」

「嘘」


即答だった。


「綺月、元気ない時だけ声が少し低い」


その瞬間、燦那の心臓は変な音を立てた。


見てる。

この人、ちゃんと見てる。


誰にでも優しいだけじゃなくて、ちゃんと見て、違いまで覚えている。

しかも、それを本人に教える時に照れも遠慮もない。


「……なにそれ」

「何って」

「人のこと見すぎじゃない?」


燦那がそう言うと、景瑠は少しだけ目を丸くした。


「いつも騒がしいやつが静かなら分かるだろ」

「騒がしいって言った」

「明るい、に訂正する」

「遅いんだけど」


燦那は笑った。

笑った瞬間、自分の中の何かが、完全に戻れないところまで傾いたのが分かった。


この人の前で笑うの、楽だ。

作った笑いじゃなくても、変じゃない。

変に励まされるより、こうやって普通の調子で見つけてもらうほうが、ずっと嬉しい。


そのあと景瑠は、何も深掘りしなかった。

「無理なら午後の体育サボれば」とか「先生に言っとくか」とか、そういうことも言わなかった。ただ「しんどいなら水飲んどけ」とだけ言って、自分の席へ戻った。


それが、たまらなく効いた。


気づかれた。

でも、踏み込みすぎない。

見てくれた。

でも、恩着せがましくしない。


燦那はその日、はっきり好きになった。


認めた瞬間、世界の見え方が少し変わった。

景瑠がいるだけで教室の空気が違う。

笑っていれば嬉しい。

他の女子と話していると、少し面白くない。

自分に返ってきた何気ない一言を、夜になってから何度も思い返す。


そして、好きになってしまったあとで分かった。


この人、危ない。


景瑠は、優しすぎる。

でもそれは、よくある「女の子に優しい男の子」とは違う。

もっと質が悪い。


彼は、相手が欲しい言葉を狙って言うわけじゃない。

むしろ不器用なくらいだ。

でも、その不器用さのまま、一番痛いところへ届くことがある。

しかも本人に自覚がない。

それがいちばんまずい。


燦那は、だんだん怖くなってきた。


自分みたいに、少し話しかけて、ちょっと距離を詰めて、それで落ちる子が他にもいるんじゃないか。

景瑠はきっと、そういうのを止めない。

止めるつもりすらない。

だって本人は、何もしていないつもりだから。


その予感は、すぐに当たった。


まず、すめらぎ 冱玻こはく


最初から感じは悪かった。

綺麗で、静かで、いかにも賢そうで、しかも景瑠の近くにいる理由が全部まとも。

学級委員。提出物。連絡。係の確認。


燦那みたいに、わざと肩が触れる距離まで行くことはしない。

名前を甘く呼ぶこともない。

でも、その代わりに、景瑠の生活の流れの中へ自然に自分を組み込んでいる。


最初に本気で「邪魔」と思ったのは、ある朝だった。


燦那が教室へ入ると、景瑠が席で何かのプリントを見ていて、その横に冱玻が立っていた。

二人とも声は小さい。

でも景瑠は、冱玻に話しかけられると少し真面目な顔になる。冱玻も、景瑠に向ける時だけ、ほんの少しだけ声が柔らかい。


それを見た瞬間、燦那は分かった。


あ、この子、もう景瑠の近くに住んでる。


物理的にではない。

でも、毎朝そこにいても不自然じゃない位置を取っている。

景瑠が何か確認したい時、自然に目を向ける相手になっている。


腹が立った。

すごく、静かに、底のほうから。


冱玻は正しい顔をして近づく。

それが燦那には許せなかった。

だって、自分がどれだけ欲しがっているか、絶対に分かっているはずなのに、全部「必要なこと」の顔で包んでいるからだ。


燦那はその時、冱玻を排除対象として見た。

はっきりと。

この子は早めに崩さないとまずい。

じゃないと、景瑠の隣がこの子のものとして固まってしまう。


次に、夜嶺やみね 玻宮はぐう


最初は、少し厄介な先輩くらいに思っていた。

大人っぽくて、余裕があって、景瑠に話しかける口実も多い。

でも、同時に年上の余裕みたいなものがあって、真正面から奪いにくるタイプには見えなかった。


その認識が変わったのは、図書室の前だった。


景瑠が玻宮先輩と立ち話をしていた。

廊下の光が少し斜めに差していて、玻宮の長い髪がやわらかく揺れていたのを覚えている。

景瑠は、冱玻と話している時とは違う顔をしていた。

もっと自然で、少しだけ警戒が薄い。

玻宮のほうはいつも通り穏やかな笑顔なのに、その目だけが妙に静かで、深かった。


その場面を見た時、燦那はぞくっとした。


この先輩、まずい。


冱玻は日常を取る。

燦那は空気を取る。

でも玻宮は、もっと別のところを取る。

景瑠の心の中に、「この人は分かってくれるかもしれない」って思わせる場所を作る。


そういうの、一番嫌いだった。


だって、一度そこへ入られたら、笑ってるだけじゃ勝てない。

明るさも、近さも、全部届かなくなる。


その日の帰り道、燦那は本気で思った。

あの先輩、どっか別のクラスだけ見ててくれないかな。

いっそ生徒会忙しすぎて、景瑠のとこまで来れなくなればいいのに。


その「いなくなればいいのに」は、もうかなり危うい感情だった。


最後に、雪祇ゆきぎ 透禍とうか


燦那は、最初この後輩を少し甘く見ていた。

静かで、綺麗で、無口。

そういう子は目立つけど、空気を動かすのは苦手だ。

景瑠のそばへ来ても、どうせ後輩の枠から出られないだろう、と思っていた。


でも違った。


透禍は前に出ない。

その代わり、気づいた時にはもう景瑠の生活の細いところへ入り込んでいる。

探していた本を見つける。

欲しそうだった物を覚えている。

疲れていそうなら飲み物を置く。

しかも、それを大げさにしない。


ある日、昼休みに景瑠の机の上へ置かれた小さな栞を見た時、燦那は背筋が冷えた。

夜空の柄。

景瑠が前に「こういうの好きかも」と言ったのを、たぶん透禍は覚えていた。


燦那はその時、ようやく悟った。


この子、一番怖いかも。


冱玻は見える。

玻宮もまだ見える。

でも透禍は、見えないまま入る。

誰にも気づかれず、景瑠の中で「そこにいて当然」に変わる。

しかも本人は、たぶんそれを狙っている。


その日から、透禍も完全に排除対象になった。


燦那の中では、もう三人とも同じだった。

冱玻。玻宮。透禍。

みんな、景瑠のそばにいる。

みんな、景瑠を欲しがっている。

そして、きっと自分のことも邪魔だと思っている。


その認識は、燦那を少しずつ変えていった。


前は景瑠と話せるだけで楽しかった。

近くで笑えれば、それで十分な日もあった。

でも、好きが深くなるほど、それでは足りなくなる。


景瑠が誰かと話していると、何を言われたのか気になる。

冱玻に呼ばれれば面白くない。

玻宮と目が合っているだけで嫌だ。

透禍が静かに何か差し出すのを見ると、指先ごと折ってしまいたくなる。


そこまで考えてしまう自分に、最初は少しだけ引いた。

でも、すぐに慣れた。

慣れてしまったことのほうが、たぶんずっと怖い。


燦那はもともと、好きなものは欲しいと思う性格だった。

可愛い服も、いい匂いの香水も、自分だけが知っている店も、ほしいと思えば手を伸ばいてきた。

景瑠だけが例外になるはずがなかった。


むしろ、景瑠は最悪だった。

手に入りそうで、全然入らない。

近づけば逃げないくせに、自分からは来ない。

優しくするくせに、特別扱いはしない。

希望を持たせるだけ持たせておいて、本人は何も分かっていない。


そんなの、好きになった側からしたらほとんど災害だった。


だから燦那は決めた。

待つのはやめよう、と。


景瑠が自分で選ぶのを待っていたら、たぶん一生終わらない。

なら、周りを削るしかない。

景瑠の視界に入る女を減らす。

景瑠の時間を奪う理由を減らす。

景瑠の近くにいることが「自然」なのは自分だと、空気ごと信じ込ませる。


その発想に至った時、燦那はもう普通の恋をしていなかった。

でも、後悔はなかった。


だって、景瑠が悪い。

あんなふうに優しいのが悪い。

あんなふうに何も知らない顔で、人の心の奥まで入ってくるのが悪い。

そのくせ、少し疲れた時の顔とか、困った時の笑い方とか、たまに真面目な声で名前を呼ぶところとか、いちいち胸に刺さるのが悪い。


燦那は何度も思った。

景瑠の周り、自分以外いなければいいのに。

教室の席も、放課後の廊下も、図書室も、文化祭の準備も、全部、自分と景瑠だけならいいのに。


冱玻は消えて。

玻宮先輩は来なくなって。

透禍は一年の教室から出てこなくなって。

そうなれば、景瑠はもっと自然に自分のほうを見るのに。


それはもう、かなりはっきりした殺意に近かった。


もちろん本当に血を流したいわけじゃない。

でも、恋敵としての居場所を奪うことに、一切ためらいがなくなっていく。

評判でも、役割でも、空気でもいい。

壊せるものから壊したい。

そう思うたび、胸の奥が少しだけ落ち着いた。


たぶん、狂っていたのだと思う。

でも燦那は、自分だけが狂っているとは思わなかった。

冱玻も、玻宮も、透禍も、絶対に同じ目をしていた。

好きすぎて、もう引き返せない目。

ほかの女が笑っているだけで、胸の奥に黒いものが溜まっていく目。


景瑠だけが知らない。

自分がどれだけのものを引きずり出してしまったのか、何も知らない。

そのことが、腹立たしくて、愛しくて、どうしようもなかった。


燦那は今でも、最初に景瑠へ話しかけた日のことを覚えている。

「さっきさ、ああいうの普通に助けるんだね」と言った時、景瑠は少し困ったように笑って、「困ってたし」と答えた。


その四文字が、全部の始まりだった。


たぶん景瑠にとっては、本当に何でもなかった。

でも燦那にとっては、その軽さが致命傷だった。


困ってたし。

だから助けた。

だから気づいた。

だから声をかけた。

だから名前を呼んだ。

だから笑った。


そんなふうに生きている人が、自分の人生へ入ってきたら、好きにならないほうが無理だった。


そして好きになった以上、もう譲れなかった。


冱玻にも。

玻宮にも。

透禍にも。


誰にも渡したくない。

誰にも近づいてほしくない。

できるなら、全員きれいに消して、自分だけが景瑠の隣にいたい。


それが綺月燦那の恋だった。

明るくて、可愛くて、笑っていて、でも中身は誰よりもどろどろしている。

甘えているようで、爪を隠している。

欲しいものには笑って近づいて、邪魔なものには笑って毒を流す。


そしてその全部の中心に、天縫景瑠がいる。


本人だけが、何も知らない顔で。

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