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激重ヒロインと気づかない男  作者: 緋紅茜


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8/10

8話

天縫あまぬい 景瑠けいるが「もうやめてくれ」と口にしてから、四人は一度だけ、きれいに引いた。


少なくとも、景瑠の前では。


表向きには、だった。

教室では以前より距離を守る。

同時に声をかけない。

必要が重なれば、どちらかが譲る。

文化祭準備の場でも、あからさまに景瑠を挟んで火花を散らすことはなくなった。


それを見て、二年A組の空気は少しだけ落ち着いた。

天縫くんもようやく息がしやすくなったかもしれない。

綺月さんたちも、この前はちょっとピリついていただけなんだろう。

そんなふうに、周囲は勝手に納得する。


けれど、その静けさの下では、前よりずっと悪質な戦いが始まっていた。


景瑠に見られない場所で。

景瑠の耳に届かない形で。

景瑠の意思が一切関われないところで。


四人は、ようやく理解していた。


彼の前で争えば、彼は引く。

彼はやさしいまま、きちんと線を引く。

それは思った以上に強く、思った以上に残酷だった。


だから次は、彼を見ないところで殺すしかない。


もちろん、血を流すという意味ではない。

けれど、立場を、評判を、空気を、役割を、ひとつずつ剥いでいくやり方は、それとほとんど同じだった。


最初に標的へ定められたのは、綺月きづき 燦那さんなだった。


理由は単純だった。

燦那は場が強すぎる。


明るく、人懐っこく、誰とでも笑い合える。

そしてその笑顔のまま、いつの間にか自分のほうへ流れを引き寄せてしまう。

景瑠のそばにいて自然なのは誰か。

そう問われた時、燦那は空気そのものを使って「自分」を正解へ近づけていく。


それが、他の三人には耐えがたかった。


すめらぎ 冱玻こはくにとって、燦那の明るさは雑音だった。

正しさも手順も関係なく、人を巻き込み、笑わせ、流れで奪う。

ああいうやり方は、理屈を崩す。

景瑠の近くへ立つ資格を、根拠のない親しさで上書きしていく。


雪祇ゆきぎ 透禍とうかにとって、燦那は騒音だった。

先輩の周りにいつもいる。

先輩の呼吸へ入り込むみたいに、絶えず声をかける。

しかもあの笑顔のせいで、周囲はそれを警戒しない。

そのことが、たまらなく気持ち悪かった。


夜嶺やみね 玻宮はぐうにとって、燦那は毒だった。

人の心の奥へ入るには、静けさが必要だ。

けれど燦那は、そんな深い場所へ届く前に、世界を明るく塗りつぶしてしまう。

景瑠の周囲を軽く、楽しく、わかりやすいものに変えてしまう。

それは玻宮にとって、自分の武器と正反対の厄介さだった。


そして燦那自身もまた、他の三人をひどく嫌っていた。


冱玻は冷たい。

透禍は不気味。

玻宮は底が読めない。

自分のほうが、景瑠を笑わせられる。自分のほうが、景瑠を軽くしてやれる。

それなのに、どうしてあの三人が平然と彼の近くにいるのか、本気で理解できなかった。


だから、落とすなら燦那だった。

しかも、景瑠が知らないうちに。

景瑠が「それは違う」と言えない形で。


きっかけは、文化祭当日の接客シフトだった。


二年A組の出し物は、校内でも目立つ位置に配置されていた。

接客担当は見栄えも重要で、明るく愛想のいい燦那は、自然と中心に置かれている。

本人もそれを当然だと思っていたし、クラスメイトも同じように感じていた。


その「当然」を壊すには、燦那の笑顔へ別の意味を貼りつける必要がある。


まず動いたのは冱玻だった。


放課後の教室で、冱玻は何でもない顔で数人の女子へ言った。


「接客シフト、綺月さんのところだけ少し偏っていないかしら」


声は小さく、確認の形だった。

問いかけられた女子たちはシフト表を覗き込む。


「そう?」

「でも、燦那って接客向きだし」


そこへ冱玻は、あくまで責めるのではなく、困っている顔で言葉を足す。


「ええ。向いているのは分かるの。でも、綺月さんの周辺だけ仲のいい人が固まりすぎると、ほかの子が動きにくくならないかしらと思って」


それはもっともらしい。

そして、最初の違和感としては十分だった。


誰も「綺月さんが悪い」とは言わない。

ただ、「あれ、少し偏っているかも」という小さな認識だけが残る。


燦那は人気者だ。

だからこそ、あからさまに悪く言えば反発が出る。

でも、人気者だからこそ、「身内で固めているのでは」という印象は響く。


その日のうちに、二年A組の女子の間で、そんな小さな話題が二、三度交わされた。


わざとらしくない程度に。

誰の責任でもないふうに。

ただ、気づいてしまったこととして。


次に透禍が動いた。


一年の手伝い組には、接客中の補充と裏方の雑務を担当する女子が何人かいた。

透禍はその子たちへ、必要な手順を共有する途中で、淡々とこう言った。


「綺月先輩の周辺は、指示が変わることがあります。直前で配置が動くと混乱するので、決まった動線は皇先輩か担当表のほうを基準にしてください」


その言い方は、あくまで実務上の注意だった。

でも意味は十分に伝わる。


綺月燦那は、その場の勢いで人を動かす。

綺月燦那の周辺では、指示が変わりやすい。

綺月燦那は、空気で回す。


一年生たちは「分かりました」と素直に頷く。

そのうちの何人かは、前にも燦那の明るさに押されて、気づけば手を貸していたことがある。

だから透禍の言葉は、変に説得力を持った。


そして最後に、玻宮が上から蓋をした。


生徒会室で、当日の混雑対策と接客の安全確認を話していた時のことだった。


「前に出る子って、感情の起伏が表に出にくいほうがいいわよね」と三年生のひとりが言う。

そこで玻宮は、やわらかく微笑みながら答えた。


「そうですね。盛り上げる力も大切ですけれど、混雑時は全体を見て動けるかどうかのほうが大事かもしれません」


それだけなら普通の意見だ。

だが、続けた一言が効いた。


「特定の人のペースで回る接客は、外から見ると少し危うく映ることもありますし」


それを聞いた先生が頷いた。

「たしかに、文化祭って一人のノリで回すと事故るからな」と。


玻宮はそれ以上、誰の名前も出さない。

それでいい。

必要なのは、上の人間に「接客の中心が特定の一人へ寄りすぎるのは危険」という認識だけを持たせることだ。


三つの刃が、別々の場所から同じ一点へ向く。


冱玻はクラスの認識を揺らした。

透禍は実務上の信頼を削った。

玻宮は上の評価を静かに変えた。


そして、燦那はまだ気づかない。


気づいたのは、二日後だった。


文化祭前最後の大きなシフト再調整で、担任が何気なく言う。


「接客の前列、少しバランス変えるぞ。綺月は前半だけ。後半は裏の案内補助回ってくれ」


教室が軽くざわついた。

燦那が笑顔のまま聞き返す。


「え、なんで?」


「人気あるのはいいけど、ちょっと綺月の周辺に仕事寄ってるって話もあってな。全体で回せるようにしたい」


その瞬間、燦那は理解した。


やられた。


誰か一人なら、まだ反論できた。

でも、これはもう違う。

クラスの中に「そうかもしれない」があり、下級生の中に「そうらしい」があり、上には「危ういかも」がある。

それらが全部重なって、「綺月燦那を少し下げたほうがいい」という判断になっている。


景瑠はその場にいた。

けれど、彼は何も言えなかった。

だって担任の言い分は、あまりにも真っ当だったからだ。


「まあ、案内も大事だしな」と男子が言う。

「綺月ならどこでもできるでしょ」と女子が笑う。

その軽い言葉のひとつひとつが、燦那の足場を削っていく。


燦那は笑った。


「そっか。分かった」


笑えたことに、自分で少し驚いた。

怒鳴りたかった。

机を蹴りたかった。

でも、そんなことをすれば、今ここで広がっている印象を自分で証明することになる。


だから笑うしかなかった。


その日の放課後、燦那は一人で旧校舎側の空き教室へ行った。

窓の外は夕焼けで、教室の中は妙に赤い。

使われていない机の列のあいだで、燦那はしばらく立ち尽くしていた。


ふざけるな、と思う。

どうして。

どこで。

誰が。


いや、そんなの分かっている。


冱玻。

透禍。

玻宮。


全員だ。


「最悪」


誰もいない教室で呟く。

それだけで済むはずだった。


けれど、扉が開いた。


「ここにいたのね」


冱玻だった。

艶のある黒髪、整いすぎた顔、いつも通りの静かな声。

赤い光の中でも、その冷たさだけは変わらない。


燦那は振り向きもせず言う。


「何しに来たの」


「話を」


「景瑠に見えないとこで、ちゃんと来るんだ」


冱玻は数秒黙ったあと、否定しなかった。


「あなたもそうでしょう」


燦那はそこで初めて振り向いた。

笑っていなかった。


「冱玻、やったよね」


「何をかしら」


「その顔、ほんと嫌い」


燦那は一歩近づいた。


「直接手を汚さないで、周りに“気づかせる”みたいなやり方するの。あたしを前から下ろしたの、あんたでしょ」


「わたし一人ではないわ」


それは認めたも同然だった。


燦那の喉の奥で、笑いとも怒りともつかない音が鳴る。


「へえ。じゃあ全員なんだ」


「そうね」


冱玻は静かだった。

静かなまま、ほんの少しも目を逸らさない。


「あなたは危ういもの。空気で人を動かす。場を取る。天縫くんの近くにいることまで、軽い冗談みたいに見せてしまう。それがどれだけ厄介か、自分で分からない?」


「分かってるよ」


燦那は低く言った。


「だからやってるんじゃん」


その言葉に、教室の空気がひとつ沈んだ。


燦那は続ける。


「だって景瑠、放っておいたら誰のところにも行くもん。なら空気ごと取るしかないでしょ。あの人、自分が誰を安心させて、誰を勘違いさせてるか全然分かってない。だったら、こっちが周りごと固めるしかないじゃん」


声が震えていた。

怒りだけじゃない。

もっと深くて、情けなくて、止められない何かが滲んでいる。


「ねえ冱玻。景瑠が誰かに笑いかけるたび、胸の中めちゃくちゃにならない?」

「なるわ」

「そのくせ本人は何も分かってないんだよ? あたし達のこと、たぶんみんな同じくらい“いい人”とか思ってる」

「ええ」


冱玻は淡々と答えた。

淡々としすぎて、逆に狂気が透ける。


「だからこそ、ほかを消すしかないの」


燦那は目を見開く。

冱玻の顔は、あまりにきれいだった。

そのきれいな顔で、そんなことを当然みたいに言う。


「……あんた、本当に怖い」

「あなたに言われたくないわ」


そこへ、さらに扉が開いた。


雪祇 透禍が、無表情のまま立っていた。


「やっぱりここでしたか」


燦那は乾いた笑いを漏らす。


「最悪。ほんとに全員来るじゃん」


透禍は教室へ入り、扉を閉める。

夕焼けの赤が、彼女の白い頬に薄く映る。


「綺月先輩」


声は小さい。

だが、その呼び方にはもう何の敬意もない。


「先輩は、少し目立ちすぎました」


燦那が睨む。


「だから落としたの?」


「はい」


即答だった。

そのあまりのためらいのなさに、燦那は一瞬だけ言葉をなくす。


透禍は続ける。


「先輩がいると、先輩の周りの空気ごと先輩のものになる。天縫先輩の近くまで、明るいものに塗りつぶされる。それが邪魔でした」


「邪魔」


燦那は繰り返した。


「そうです」


透禍の目は冷たい。

冷たいのに、底のほうだけが異様に熱い。


「消えてほしかった」


その一言は、冗談でも比喩でもなかった。


燦那の背筋に、ぞくりとしたものが走る。

知っていた。

この後輩が薄い顔でどれだけ深いものを抱えているか、前から感じていた。

でも、こうして真正面から口にされると、やはり寒気がした。


「……そこまで言うんだ」

「言えます」

「景瑠のため?」

「わたしのためです」


透禍は一瞬も揺れない。


「先輩が近くにいるのが嫌でした。笑っているのも、触るのも、名前を呼ぶのも。全部」


燦那はふっと笑った。

笑って、次の瞬間には声が割れた。


「じゃああんたも同じじゃん!」


叫びが、使われていない教室へ反響する。


「冱玻も、透禍も、玻宮先輩も、みんな同じじゃん! 景瑠が好きで、近くにいたくて、邪魔なの消したくて、それで綺麗な顔してるだけでしょ!」


「そうよ」


今度は、扉のところから柔らかな声。

夜嶺 玻宮だった。


誰も驚かなかった。

むしろ、来ないほうが不自然だった。


玻宮は教室へ入り、三人を順に見て、最後に燦那へ目を向ける。


「だから、あなたが落ちるのも当然でしょう」


燦那は唇を噛んだ。

今、この教室には、自分以外みんな敵だ。


「先輩まで」

「ええ。わたしまで」


玻宮は穏やかに微笑む。

その笑みはやさしげなのに、背後に立つ影みたいなものが妙に濃かった。


「綺月さん、あなたは強すぎたの。明るくて、可愛くて、周りまで巻き込める。だから最初に削るべきはあなたになった」


「そうやって言うんだ」

「言うわよ」


玻宮は一歩だけ近づいた。


「だって本当だもの。あなたがいると、あの子の周りの空気があなた色になる。笑って、軽く触って、名前を呼んで、“親しい二人”の形を勝手に作ってしまう。あれ、ほんとうに邪魔だった」


その声音には、はっきりとした憎しみがあった。

柔らかい言葉で包んでいるだけで、中身はほとんど殺意だった。


燦那は三人の顔を見回した。


冱玻は冷たい。

透禍は静かすぎる。

玻宮は笑っている。


ああ、本当に全員、狂ってる。

自分も含めて。


その認識と同時に、胸の奥からどろりとしたものが溢れた。

悔しい。

腹が立つ。

景瑠が欲しい。

他の女なんていらない。

いっそ全員、階段から落ちればいいのに。いっそ教室ごと燃えればいいのに。自分と景瑠以外、きれいさっぱりなくなればいいのに。


そんなことを、燦那は本気で思った。


「……ねえ」


燦那は、少し笑った。

その笑みはもう明るくなかった。


「そこまでしても、景瑠が自分選ぶと思ってる?」


冱玻の目が細くなる。

透禍の指先が小さく動く。

玻宮は笑みを崩さない。


燦那は続ける。


「景瑠、優しいからね。多分、最後まで誰もちゃんと切れないよ。あたしらがここまで汚くなっても、“みんないいところある”とか本気で思うんじゃない?」


それは呪いみたいな言葉だった。

そして、三人とも、その言葉がある程度正しいと知っていた。


景瑠はそういう男だ。

誰か一人へ綺麗に傾けるほど、器用ではない。

だからこそ、ほかを消すしかない。

それがこの戦いの前提だった。


冱玻が静かに言う。


「だから排除するのよ」


その声は冷たく澄んでいた。


「少なくとも、選択肢を減らすことはできるでしょう」


透禍も続く。


「天縫先輩の意思ではなく、環境を変えるんです」


玻宮は微笑んだまま、燦那へ告げる。


「そして、今あなたはその“減らされる側”にいる」


燦那は、自分の指先が震えていることに気づいた。

怒りで。

悔しさで。

そして、ほんの少しの恐怖で。


この三人は、本当に自分を落としにきている。

景瑠の意思とは無関係に。

景瑠に見えない場所で。

景瑠が止めようのない形で。


燦那はそこで初めて、自分が二人目の脱落者になるのかもしれないと、はっきり理解した。


理解した瞬間、胸の奥で何かが切れた。


「ならさ」


燦那は小さく笑った。


「最後に一個だけ教えてよ」


三人の視線が集まる。


「景瑠があたし見て笑うたび、ほんとに死ねって思わなかった?」


沈黙。


そして、最初に答えたのは透禍だった。


「思いました」


次に冱玻。


「何度も」


最後に玻宮。


「ええ。あなたがじゃなくて、あなたごと消えた景色がほしいと思ったわ」


その正直さに、燦那は一瞬だけ笑ってしまった。

もう、どうしようもなかった。


「あーあ」


燦那は目を閉じる。


「ほんと最悪。あたし、こんなのと同類なんだ」


「違うの?」


玻宮が問う。


燦那は目を開ける。

そこにはもう、明るい人気者の顔はなかった。

ただ、恋に狂って削れた一人の女の顔がある。


「同類だよ」


それだけは認めた。

認めたうえで、燦那は冱玻を睨み、透禍を睨み、最後に玻宮を見た。


「でも、あたしは終わらない」


冱玻が返す。


「終わるわよ」


「どうして?」


「もう、クラスの空気が変わったもの」


それは事実だった。


翌日から、燦那の周りには微妙な距離ができた。

露骨に避けられるわけではない。

けれど、接客前列から外されたことで、彼女を中心に動いていた女子たちの何人かは、自然と別の役割へ散った。

担任は「綺月は案内補助の中心で」と言う。

それは表向き、重要な仕事だ。

でも、少なくとも「クラスの顔」ではない。


さらに悪いことに、燦那が何か指示を出すと、一瞬だけ確認が入るようになった。


「それ、皇さんにも共有した?」

「担当表どおりでいいんだよね?」

「雪祇ちゃんが言ってた流れと違くない?」


たったそれだけ。

たったそれだけなのに、場を空気で動かす燦那にとっては致命傷だった。


自分の一言で回っていたものが、回らなくなる。

笑って言えば通っていたことが、一度確認される。

その小さな遅れが、何度も何度も彼女の存在を削る。


燦那は笑った。

笑ってやり過ごした。

でも、その笑顔を見て「やっぱり綺月さんすごいよね」と言う子は、もう前より少ない。


そして文化祭前日、担任が最終調整で告げた。


「綺月、当日の案内補助、外の列整理メインで頼む。人当たりはいいから、そっちのほうが向いてる」


教室の中。

景瑠もいる。

燦那は一瞬、息が止まった。


外の列整理。

つまり、教室の中からほぼ外される。

景瑠と同じ空間を共有する時間が、ごっそり削られる。


「分かりました」


燦那は笑った。

その場では、きれいに。


でも、その夜。

一人になった帰り道の途中で、スマホの画面に映る自分の笑顔を見て、燦那は初めて本気で吐き気を覚えた。


落ちた。

本当に落ちたのだ。


一人目は玻宮。

巡回担当から外され、自由な出入りを削られた。

そして二人目は自分。

クラスの顔から下ろされ、中心の座を剥がされ、景瑠の近くにいる時間を、景瑠の意思と関係なく奪われた。


それでも燦那は、まだ完全には壊れなかった。


むしろ、壊れた先にだけ見えるものがあった。


夜の自室で、ベッドに座ったまま、燦那は思う。

景瑠。

景瑠。

景瑠。

頭の中が、彼の名前で埋まる。


あの人、何も知らない。

自分がどれだけ人を狂わせるか知らない。

どれだけ笑って、どれだけ助けて、どれだけ「大丈夫?」なんて言えば、人がその一言のために全部捨てられるか知らない。

知らないまま、平気な顔で明日も学校へ来る。


そのことが、愛しくて、憎くて、たまらなかった。


「ほんとに」


燦那は暗い部屋で呟く。


「みんな死ねばいいのに」


涙は出なかった。

出る段階なんて、とうに過ぎていた。


翌日、文化祭当日。


景瑠は何も知らないまま、「綺月、外担当なんだな」と言った。

燦那は笑って「うん、頑張る」と答えた。

それだけだ。

彼は、その配置がどれだけの悪意と計算の上に成立しているか知らない。


でも、冱玻は知っている。

透禍も知っている。

玻宮も知っている。

そして燦那自身も、もちろん知っている。


四人のうち、二人がすでに落とされた。

一人は上から切られた。

一人は中心から剥がされた。

どちらも、景瑠の意思とは無関係に。


残るのは、冱玻、透禍、そしてまだ完全には死んでいない玻宮。

けれど、燦那もまた、終わってはいない。

落ちた女ほど、怖いものはない。

失うものが少なくなったぶん、やれることは増えるからだ。


文化祭のざわめきの中で、四人は笑う。

笑いながら、互いの喉元を見ている。

好きで、好きで、好きすぎて、ほかの女の存在が耐えられない。

その愛がもう祈りではなく、刃になっていることを、誰も止めようとしない。


景瑠だけが、相変わらず、何も知らない顔で立っていた。

それが、いちばん恐ろしかった。

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