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激重ヒロインと気づかない男  作者: 緋紅茜


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4/10

4話

文化祭準備が進むにつれて、二年A組の空気は少しずつ変質していった。


表面だけを見れば、どこにでもある高校の放課後だ。

机を寄せ、色紙を広げ、誰かがハサミを探し、誰かが提出期限に悲鳴を上げる。

けれど、その教室の中心には常に天縫(あまぬい) 景瑠(けいる)がいて、そして彼の周囲には、必ず四人の少女のうち誰かがいた。


皇(すめらぎ) 冱玻(こはく)。

綺月(きづき) 燦那(さんな)。

雪祇(ゆきぎ) 透禍(とうか)。

夜嶺(やみね) 玻宮(はぐう)。


四人はそれぞれ違う立場にいた。

同じクラスの冱玻は、学級委員として正式な発言力を持っている。

燦那はクラスの中心にいる人気者で、空気そのものを動かせる。

透禍は一年生でありながら、静かな有能さで手伝いの現場へ自然に入り込める。

玻宮は三年生で、生徒会や上級生とのつながりが強い。


そして四人は、ある時から暗黙のうちに理解していた。


正面から景瑠を取り合っても、決定打にはならない。

彼は鈍感すぎるし、優しすぎる。

一人が踏み込めば、そのぶん別の誰かにも同じように優しくするだけだ。


なら、狙うべきは本人ではない。


他の女が景瑠に近づきにくい空気。

他の女が景瑠の隣に立ちづらい立場。

そして何より、四人のうち誰かが景瑠のそばにいることを「自然」とみなす周囲の認識。


必要なのは、好かれることではなく、

他の誰かを不利にすることだった。


最初に大きく動いたのは、冱玻だった。


その日、放課後の二年A組では、文化祭当日のシフト表を決める話し合いが行われていた。

接客担当、裏方、買い出し、連絡係。作業が増えるほど、誰がどの時間に教室へいるかが重要になる。


「じゃあ、まず午前の接客担当だけど」


担任の代わりに進行を任された冱玻は、黒板の前でチョークを持ちながら静かに言った。

姿勢が良く、声も通る。もともと彼女の言葉には重みがあるが、今の冱玻はそれをいつも以上に巧妙に使っていた。


「人当たりがよくて、細かい気配りができる人が向いていると思うわ」


その一言で、何人かが自然に景瑠のほうを見た。

景瑠は「またか」と困ったように肩をすくめる。


だが冱玻が続けたのは、そこでだった。


「ただ、天縫くんは連携補助もあるから、表に立つ役まで重ねるのは負担が大きいでしょう。できれば、接客は別の人が引き受けたほうがいいと思うの」


それは景瑠を守る提案に聞こえた。

実際、クラスメイトたちも「たしかに」「天縫ちょっと仕事多いしな」と頷く。


景瑠は内心で助かったと思った。

だが、冱玻の本当の狙いは別にある。


接客担当に入れば、不特定多数の女子生徒や他クラスの人間が景瑠へ気軽に話しかける口実が増える。

それを避けたい。

同時に、接客の目立つ位置に燦那が入れば、彼女が景瑠のすぐ近くを当然のように確保することもできてしまう。

それも避けたい。


つまり、景瑠を「表舞台」から外し、管理しやすい裏方寄りの位置に置く。

冱玻は景瑠を守っているふりで、接触の自由度を制限しようとしていた。


「じゃあ景瑠は裏の連絡中心でいいんじゃない?」と誰かが言う。

冱玻は穏やかに頷いた。


「ええ、そのほうが天縫くんらしさも活きると思うわ」


その時、燦那がぱっと手を挙げた。


「じゃあ、あたし接客やる」


明るい声に教室が少し沸く。

燦那はそういう場所が似合う。笑顔も声も華やかで、文化祭の顔役にぴったりだと思われている。


「綺月さん、接客なら安心ね」と女子たちが言う。

燦那は笑ってみせたが、内心では別の計算をしていた。


接客担当になれば、表では景瑠と離れる。

だが逆に、人目の集まる立場から「景瑠に似合う空気」を自分中心に作れる。

それに、教室の顔になれば発言力が増す。

景瑠の近くに立つことだけが勝ちではない。周囲に「綺月燦那が中心だ」と思わせれば、冱玻のような静かな支配は逆に目立つ。


燦那がにこりと笑う。


「景瑠は裏で動いて、あたしが表で回す。バランスいいじゃん」


その言葉に、冱玻の目がわずかに細くなる。

表と裏。まるで二人で役割分担しているみたいな言い方だった。


「そういう言い方、誤解を招くわ」と冱玻。


「誤解?」と燦那は首をかしげる。

「クラスのためにって意味だけど」


その場では、それ以上言えない。

燦那は空気の中で勝つやり方を知っている。

「明るくて協力的な人気者」という位置から言われると、棘が見えにくい。


そこで、別の場所から静かな声がした。


「失礼します」


教室の扉のところに、透禍が立っていた。

資料の束を持ち、いつものように感情の少ない顔をしている。


「一年の手伝い枠の確認です。二年A組で必要なら、当日補助に入れる人数を調整できます」


その申し出自体はもっともだった。文化祭当日は学年を越えて手伝いが動くこともある。

だが透禍の狙いは、その制度の中に自分の席をねじ込むことだった。


「そうなの? 助かる」とクラスメイトが言う。

透禍は短く頷いたあと、自然な声で続けた。


「ただ、接客中心の場所より、連絡や物品管理の補助のほうが適しています。手順を把握している人の近くで動くほうが効率がいいので」


教室の視線が、また景瑠へ向く。

景瑠は「え、俺?」みたいな顔をした。


透禍は言外に示していた。

自分は景瑠の補助に向いている。

しかもそれは恋愛ではなく、効率と手順の話として出している。

誰も反対しにくい。


燦那が笑顔のまま言う。


「後輩ちゃん、ずいぶん詳しいね」


「必要なことなので調べました」


透禍は揺れない。


「天縫先輩の動線が分かれば、手伝えることが増えます」


「へえ」


燦那の声音は甘いままだ。

だが、その「へえ」の中には十分すぎる棘がある。

景瑠の動線を把握している。

言い換えれば、ずっと見ているということだ。


冱玻も透禍を見ていた。

この後輩は、立場を理由に入ってくる。

それは厄介だ。感情論で弾きにくい。

ならば、立場そのものを別の形で固定すればいい。


冱玻は黒板に向き直りながら、何気ない声で言った。


「一年の補助は助かるわ。ただ、当日は動きが複雑になるから、一人の先輩の補佐に固定するより、全体補助として回ってもらうほうが公平ね」


透禍の瞳がわずかに冷える。

冱玻は透禍だけを名指ししていない。

それでも、彼女の狙いだけを正確に切り崩していた。


「特定の人に補助が偏ると、周りも頼みにくくなってしまうもの」


その理屈に、クラスメイトは普通に頷く。

公平。全体。偏りをなくす。

正論の形にされると、反発しにくい。


透禍は短く答えた。


「……了解しました」


だが、その了解には冷えた意思があった。

公平を理由に、自分を景瑠から遠ざけた。

なら、自分もまた別の「公平」を使って、誰かを引き離せばいい。


その日の夕方、校舎三階の生徒会室では、玻宮が何人かの三年生と文化祭当日の巡回ルートを確認していた。


「二年A組、今年は人の出入りが多そうね」と先輩が言う。

玻宮は柔らかく笑った。


「ええ。中心にいる子が少し目立つから」


「天縫って子だっけ? この前も何か相談受けてたわね」


「そうですね」


玻宮は書類を閉じ、何気ないふうに言葉を足す。


「ただ、あの子、頼られやすいぶん仕事が集まりやすくて。誰でも気軽に声をかけると、本当にパンクしてしまいそうなんです」


それは心配する先輩の言い方だった。

実際、聞いていた上級生たちも「それは可哀想ね」「窓口を絞ったほうがいいかも」と反応する。


玻宮はそこで一歩だけ踏み込む。


「なので、できれば他クラスとの相談ごとは、各学年の窓口を通すようにしたほうが混乱しないと思います。直接一人へ集中すると、誤解も生まれますし」


誤解。

その便利な言葉を使えば、個人的な接近を「運営上よくないこと」に変換できる。


三年生の一人が頷く。


「じゃあ、その方針を明日の連絡で流しましょうか」


玻宮は微笑んだ。


「助かります」


その瞬間、彼女の中でひとつ線が引かれる。

これで他クラスの人間が景瑠へ直接近づく機会は減る。

ついでに、燦那のように「誰とでもすぐ打ち解ける」タイプも、表立って景瑠を独占しづらくなる。

ルールは、人を守るためにも使えるし、人を縛るためにも使える。

玻宮はその両方を知っていた。


翌日、その「相談は各窓口を通すこと」という連絡が正式に降りてきた時、景瑠は純粋に助かると思った。


「これなら、急に呼び止められること減りそうだな」


景瑠がそう言うと、冱玻は「そうね」と静かに答える。

燦那は笑いながら「景瑠、ほんと捕まりやすいもんね」と肩をすくめる。

透禍は無言のまま資料を整える。

玻宮だけが少し離れた廊下で、その様子を見ていた。


全員、自分に都合のいいことしか考えていない。

そのくせ、景瑠の前では、みんな彼を思ってやっている顔をする。

その不誠実さすら、今の彼女たちには武器だった。


けれど、争いは外側を切るだけでは終わらない。


本当に排除したいのは、結局ほかの三人だ。


次に火をつけたのは、燦那だった。


文化祭用のポスターを教室に貼る作業の日。

燦那はわざとクラスメイトたちを巻き込みながら、明るく声を上げた。


「ねえ、この配置どうする? 景瑠、センス良さそうだし見てよ」


何人かが「たしかに天縫って細かいの得意そう」と寄ってくる。

燦那はそこへ、ごく自然な調子で続けた。


「でも最近さ、景瑠っていつも裏方の細かいのばっかやってるよね。あれ、皇さんが管理しすぎなんじゃない?」


冱玻が顔を上げる。

燦那は笑っている。あくまで冗談のように見せている。


「せっかくなら、もう少し表に出たほうが絶対いいのに。なんか最近、景瑠が“使いやすい便利係”みたいになってる感じしてさ」


その言葉は、周囲にじわりと広がった。

景瑠を守っているつもりの冱玻のやり方を、「囲い込み」ではなく「使い潰し」と見せる。

そうすれば、クラス内の空気が少し変わる。


実際、近くにいた女子の一人が「たしかに、天縫くんいつも細かいことしてるかも」と言った。

別の子も「皇さんが頼ってるイメージある」と続ける。


冱玻の胸の奥に、冷たいものが落ちる。

燦那は人気者だ。冗談交じりに流した一言ほど、周囲に残る。

しかも今のは直接的な悪口ではない。

「景瑠のためを思っている」顔をして、自分の立場だけを傷つけている。


冱玻は静かに口を開く。


「誤解しないで。天縫くんの負担を軽くするために分担しているだけよ」


「でも結果的に、景瑠が断れなくなってるなら同じじゃない?」


燦那が返す。

まわりの視線が集まる。

景瑠は「そんなことない」と言いかけたが、冱玻のほうが先だった。


「綺月さんは、“断れないように空気を作る”のが得意だものね」


教室がしんとした。

燦那の笑顔が薄くなる。


冱玻は続ける。


「皆の前では明るくて親しみやすい。でもその場の流れで相手に役割を押しつけて、断ったら気まずい空気にする。あなたのやり方も、十分に集団的よ」


その一撃は鋭かった。

燦那が普段使っている「場の空気」という武器を、そのまま名前にして突き返したのだ。


周囲の何人かが、はっとした顔になる。

自覚のないまま燦那のペースに乗せられたことがあるのだろう。

燦那はそこで初めて、ほんの少しだけ舌打ちしたくなった。


けれど次の瞬間には、すぐ笑ってみせる。


「へえ。じゃああたし、そんなに影響力あるんだ」


笑いに変える。

これが燦那の強さだった。

明るく処理してしまえば、重い空気は半分消える。


だが、完全には消えなかった。

冱玻は確かに一度、クラスの視線を燦那から少し引きはがした。


そしてその日の放課後、透禍が動く。


一年の準備室で、透禍は自分と同じ手伝い組の女子たちに淡々と説明していた。


「二年A組の補助は、必要なものをその都度届ける形になります。特定の人だけと話す必要はありません」


「雪祇ちゃんって、天縫先輩と仲いいんじゃないの?」と誰かが軽く聞く。

透禍は目を伏せ、ほんの一瞬の間を置いてから答えた。


「……目立つほど近いと、他の人がやりにくくなるので」


その言い方は巧妙だった。

自分が近いことを否定せず、むしろ「だから引く」と見せる。

控えめで配慮のできる後輩、という印象を周囲に与えつつ、同時に「天縫先輩と特別に親しい」という事実だけは残す。


「そうなんだ、えらいね」と一年の子が笑う。

透禍は軽く頷いた。


その後で、別の子が言う。


「でも二年A組って、綺月先輩がずっと天縫先輩の近くにいる感じだよね」


透禍はそこで初めて、ほとんど感情のない声で返した。


「ええ。周りが入りにくい雰囲気があります」


その一言で十分だった。

後は周囲が勝手に意味を補う。

一年生たちの間で、「綺月燦那は天縫景瑠のそばを固めている」「あまり近づけない」という空気が、静かに生まれていく。


透禍は知っていた。

直接悪く言う必要はない。

観察を事実として置けば、集団は勝手に人物像を作る。


同じ頃、玻宮は三年の女子たちと備品倉庫の確認をしていた。

そこで、ひとつの噂を耳にする。


「二年A組の皇さんって、かなり仕切るんだって」

「綺月さんも強いらしいよ。天縫くんって子の周り、なんかもう勢力図できてるとか」


玻宮はそれを聞きながら、内心で少し笑った。

やっと形になってきた、と思った。


四人はもう、ただの恋敵ではない。

それぞれが立場を持ち、周囲の認識を動かし、自分に有利な“派閥”を生み始めている。


冱玻は正論派。

燦那は人気者派。

透禍は静かな実務派。

玻宮は上層の調整派。


景瑠を中心にしながら、

本当は景瑠本人より、周囲の人間と空気を取り合っている。


そしてその帰り道。

景瑠は校門へ向かう途中で、ふと違和感を覚えた。


さっきまで話していたクラスメイトが、冱玻を見る時と燦那を見る時で少し顔つきが違う。

一年の手伝いの子たちが透禍には妙に遠慮がちだ。

先輩たちは玻宮に自然と意見を求める。


自分の知らないところで、何かが編まれている。

そんな感覚だけが、じわじわと胸に残る。


そこへ、冱玻が隣へ並んだ。


「疲れている顔をしているわ」


「ちょっとだけ」


「今日は早く帰ったほうがいいわね」


反対側から燦那が来る。


「景瑠、帰りコンビニ寄ろ。甘いの買ってあげる」


少し後ろには透禍の気配。

階段の上には玻宮が立っている。


四人は、いつも通り笑っている。

笑っているのに、その背後ではもう、クラスも学年も巻き込んだ見えない綱引きが始まっていた。


誰を景瑠のそばに置くか。

ではない。


誰を景瑠のそばに置かないか。

そのために、誰を味方につけ、誰にどう見せるか。


文化祭まで残り二週間。

恋はとっくに個人の感情ではなくなっていた。

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