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激重ヒロインと気づかない男  作者: 緋紅茜


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3/10

3話

文化祭の準備委員を決める日、二年A組の教室には朝から妙な熱がこもっていた。


高校二年の教室というのは、何かひとつ行事が近づくだけで空気が変わる。

いつもは面倒くさがる生徒まで、当日だけは目立ちたいだの、写真映えしたいだの、妙に前向きになる。

天縫あまぬい 景瑠けいるは、そんなざわめきの中で自分の席に座り、担任が黒板に書いていく役割分担を眺めていた。


「クラスの出し物担当とは別に、装飾補助と買い出し補助を二人ずつ、あと他クラスとの連携係を一人決める」


担任がそう言った瞬間、教室の後ろから「めんどくさ」と小さな声が上がる。

景瑠は、たぶんこういう細かい仕事は最後に押しつけられるのだろうと思った。自分から手を挙げるつもりはなかったが、頼まれたら断りきれない気もする。いつものことだ。


「じゃあ、まず連携係だけど……」


担任が名簿を見たところで、クラスの男子が気軽な口調で言った。


「それ、天縫でよくないですか。面倒見いいし」


「あー、たしかに」と別の声が続く。


景瑠は嫌な予感しかしなかった。

予感は当たり、数秒もしないうちに教室のあちこちから「天縫でいい」「向いてそう」という空気ができあがる。


「天縫くん、どう?」


担任に聞かれ、景瑠は一瞬だけ言葉に詰まった。

その沈黙を、すめらぎ 冱玻こはくは見逃さなかった。


「先生」


冱玻が静かに手を挙げる。

艶のある黒髪が肩の上でわずかに揺れ、その立ち姿だけで教室のざわめきが少し引いた。


「天縫くんは断るのが苦手です。周囲が当然のように押しつける形で決めるのは、公平ではないと思います」


声音は穏やかで、反論しにくい正しさがあった。

担任も「それはそうだな」と頷く。


景瑠は少しだけ救われた気がした。

だが次の瞬間、綺月きづき 燦那さんなが頬杖をついたまま明るく口を挟む。


「でもさ、景瑠が向いてるのはほんとだよね。人当たりいいし、他クラスとも揉めなさそう」


教室の何人かが笑って頷いた。

燦那は笑顔のまま、冱玻へ視線だけを向ける。


「無理やりはよくないけど、景瑠がやるならあたしも補助入るよ。そうしたら負担減るし」


冱玻の目がわずかに細くなる。

燦那の言い方は上手かった。景瑠を気遣っているように聞こえるし、自分が景瑠の近くにいる理由も自然に作れる。


「それなら、なおさら本人の意思を確認すべきでしょう」と冱玻。


「確認すればいいじゃん。景瑠、どうしたい?」


明るい声で振られ、景瑠はますます困った。

やりたくないわけではない。だが、簡単に引き受けると冱玻にまた「抱え込みすぎ」と言われる気もする。

考えているうちに、後方の扉が控えめにノックされた。


「失礼します」


一年の雪祇ゆきぎ 透禍とうかが、資料の束を持って立っていた。

教師に頼まれて配り物でもしに来たのだろう。だが、彼女が教室に入ったことで一瞬だけ空気が変わる。透禍はただそこにいるだけで目立つ。


「生徒会から、文化祭の校内注意事項です」


そう言って前へ進む透禍の視線は、一度だけ景瑠を捉えた。

ほんの一瞬だったが、その目は明らかに「先輩、また面倒を引き受けようとしている」と言っていた。


資料を担任に渡したあと、透禍は自然な顔で一言だけ添えた。


「天縫先輩は、昨日も他の係の相談を受けていました。仕事を増やしすぎると、体調を崩すと思います」


教室がざわつく。

なぜ一年の後輩がそんなことまで知っているのか、と何人かが顔を見合わせた。


燦那は笑顔のまま思う。

余計なことを言う。

冱玻は表情を変えずに思う。

あの後輩、本当に遠慮がない。


景瑠はただ、「透禍まで心配してくれてるのか」と感心していた。


結局、担任が「じゃあ希望制にしよう」と話を収め、連携係は一旦保留になった。

その代わり放課後、立候補者とクラス委員で簡単な打ち合わせをすることになった。


昼休み。

景瑠が席でノートを開いていると、冱玻がそっと近づいてきた。


「天縫くん、さっきの件だけれど」


「うん」


「引き受けるなとは言わないわ。ただ、安易に周りの期待を全部受けないで。あなたが抱え込む必要はないもの」


冱玻は静かだった。静かなのに、その声には妙な熱がある。

景瑠は苦笑する。


「そんなに分かりやすいかな、俺」


「分かりやすいわ」


冱玻は一拍置いてから続けた。


「……誰かに必要とされると、嬉しそうな顔をするから」


その言葉に、景瑠は少しだけ返事を失った。

冱玻はすぐに視線を逸らし、整った横顔のままノートを閉じる。


「でも、必要とされることと、都合よく使われることは違う。そこは見誤らないで」


彼女の声はあくまで学級委員らしい忠告に聞こえる。

だが本当は違う。

景瑠の時間も視線も、自分の知らない誰かに奪われるのが嫌なのだ。

その気持ちを言葉にしないまま、冱玻は景瑠の机から離れた。


入れ替わるように、燦那が後ろから身を乗り出す。


「冱玻ってほんと真面目だよねえ」


「そうかな」


「そうだよ。景瑠のことになると特に」


燦那は笑っていたが、その目は笑っていなかった。

彼女は机に肘をつき、距離を詰める。


「ね、もし連携係やるなら、絶対あたしも近くの役やるから」


「なんで?」


「なんでって……景瑠、一人にしたら危なっかしいし」


「危なっかしいって、みんな同じこと言うな」


「だってほんとだもん」


燦那は唇を少し尖らせた。


「景瑠って、ちょっと話しかけられたらすぐ優しくするじゃん。ああいうの、勘違いする子いるよ?」


景瑠はそこで初めて少し眉を寄せた。


「勘違いって」


「自分が特別ってこと」


燦那はさらりと言ったあと、明るく笑い直す。


「だから、あたしが横にいたほうが安心」


景瑠はまた困ったように笑うしかなかった。

横にいる、という言い方が妙に自然で、妙に重いことに気づけない。


放課後の打ち合わせには、景瑠も結局顔を出した。

引き受けるかどうか決める前に、内容を聞いておきたかったからだ。


教室には立候補者が数人、そしてクラス委員として冱玻が残っている。燦那も「興味あるから」と言って当然のように席についていた。

そこへ、資料を届ける名目で透禍が現れ、さらに三年側の説明役として夜嶺やみね 玻宮はぐうまで来た時には、景瑠はさすがに「みんな関わってるんだな」と思った。


玻宮は教卓の横に立つと、いつもの柔らかな声で話し始める。


「文化祭期間中は、連携係が各クラスの窓口になるの。小さな相談も集まりやすいから、気を回せる人が向いているわ」


その言葉に、クラスの女子が「やっぱり天縫くんじゃない?」とまた言った。

景瑠は机の上で指を組み、うっすらため息をつく。


玻宮はそれを見て、小さく微笑んだ。


「でも、向いている人ほど抱え込みやすいのよね」


「先輩もそう思いますか」


冱玻がすぐに反応する。


「ええ。だから、支える人が必要」


その一言に、燦那も透禍も、わずかに目の色を変えた。

支える人。

その位置を誰が取るのか、それがもう争点になっている。


話し合いの末、景瑠は連携係そのものではなく、連携係の補助として動くことになった。表向きは負担を減らすための折衷案だ。

だが本当は、誰か一人が景瑠を独占しすぎないよう、冱玻がうまくまとめた結果でもあった。


その日の帰り道、景瑠は少しだけ肩の力を抜いていた。

「補助なら何とかなるか」と思えたからだ。


だが、駅前の横断歩道で二年B組の女子に呼び止められた瞬間、その安堵は別の意味を持つことになる。


「天縫くん、今度の文化祭の件で聞きたいことあるんだけど」


黒髪を肩で切りそろえた、感じのいい女子だった。

たぶん隣のクラスで、去年も委員をやっていた気がする。


景瑠が立ち止まろうとしたその時、燦那がすっと腕を伸ばして彼の袖を軽く掴んだ。


「ごめん、景瑠いまこっちの確認中なんだ」


声は明るい。笑顔も崩れていない。

けれど、掴む指先には離す気が感じられなかった。


冱玻が続ける。


「急ぎの件なら、私か担任経由でも伝達できるわ。天縫くん一人に窓口を集中させるのは非効率でしょう」


透禍は無表情のまま、景瑠とその女子の間に一歩だけ入った。


「先輩は、今日もう十分働いています」


そして玻宮が、とどめのように微笑んだ。


「ごめんなさいね。この子、本当に頼まれごとを断れないの。今日は少し休ませてあげたいの」


四人に囲まれた形になった女子は、あからさまに怯んだ。

「あ、ううん、急ぎじゃないから」と笑って去っていく。


景瑠はその背を見送りながら、少しだけ気まずくなった。


「悪かったかな」


「何が?」


燦那が首をかしげる。


「いや、せっかく声かけてくれたのに」


「景瑠は気にしなくていいよ」


燦那は即答したが、その胸の中では別の言葉が渦巻いていた。

隣のクラスの女が、そんなふうに自然な顔で近づいてくるのが気に入らない。

できるなら、二度と同じ調子で話しかけられないようにしたい。

笑顔の下で、そういう考えが一瞬たりとも消えない。


冱玻もまた、去っていく女子の背中を見ながら思っていた。

このままでは、景瑠の「親切」はどこまででも消費される。

それを止められる位置に立つのは自分でなければならない。


透禍の考えはもっと単純だった。

先輩を見る相手の目が増えるのが嫌だ。

自分以外の誰かが、その視線を向けること自体が不快だった。


玻宮だけが、表面上はいちばん穏やかだった。

けれど彼女も内心でははっきり分かっている。

この四人は、もう「仲良く取り合う」段階ではない。

邪魔なものをどこまで排除できるか、その勝負に入っている。


数日後、文化祭準備の最初の大きな作業として、放課後に装飾案の仮決めが行われた。

景瑠は補助役として呼ばれ、教室の後ろで段ボール箱を開けたり、必要な文具を並べたりしていた。


燦那は景瑠の近くで色紙を広げながら、「これ持って」「そっち押さえて」とひっきりなしに声をかける。頼み方が自然すぎて、気づけば景瑠はずっと彼女のそばにいる形になっていた。


冱玻は前方で全体の進行を仕切りつつ、景瑠の負担が増えそうになるとすぐに別の生徒へ役割を回す。露骨ではないが、「天縫くんばかりに頼らないで」という線引きがはっきりしていた。


透禍は本来一年の仕事があるはずなのに、なぜか二年A組の資料整理まで手伝いに来ていた。彼女は無言で作業を進めながら、景瑠が必要とするものを先回りして差し出す。


玻宮は生徒会側の確認で教室へ出入りし、そのたび景瑠にだけ少し長く視線を向けた。

それだけで、誰より落ち着いているように見せながら、確実に存在感を残していく。


作業が長引いたせいで、教室に残る人数はだんだん減っていった。

気づけば、ほぼ中心にいるのは景瑠と四人だけだった。


「これ、どっちの案がいいと思う?」


燦那が星型の装飾と花の装飾を持ち比べる。


「星かな。遠くから見ても分かりやすいし」


景瑠が答えると、冱玻が淡々と言う。


「派手すぎるわ。統一感を考えるなら花のほうが上品よ」


「でも文化祭なんだし、多少目立ったほうがよくない?」


燦那の声が少し尖る。


「目立つことだけを優先すると、安っぽく見えるもの」


冱玻の返しも冷たい。


透禍が静かに口を挟んだ。


「先輩が選んだほうでいいと思います」


燦那が振り返る。


「それ、ずるくない? 景瑠に決めてもらえばいいって話じゃないでしょ」


「先輩の意見を尊重しているだけです」


「それで自分は安全圏って顔してるのが気に入らないんだけど」


空気が一気に張りつめた。

景瑠は、ようやく何かがおかしいと気づき始める。


「えっと……そんなに揉めることか?」


すると、少し離れて見ていた玻宮がふわりと笑った。


「揉めているのではなくて、みんな熱心なのよ」


その言い方はやわらかい。やわらかいが、火種を消すのではなく整えて眺めている余裕がある。

燦那はその余裕が腹立たしかった。


「先輩は余裕ですね」


「あら、そう見える?」


「見えますよ。いつも一番後ろで、美味しいところだけ持っていきそう」


玻宮は一瞬だけ目を細め、それでも笑顔を崩さない。


「綺月さんって、思っていたより素直ね」


「隠す必要あります?」


「ある時もあるわ」


今度は冱玻が低く言った。


「放課後の教室で言い争うのは、作業の邪魔よ」


「皇さんが言う?」


燦那が振り向く。


「景瑠のことになると、いちばん細かく仕切ろうとするくせに」


その言葉で、教室の温度がもう一段下がる。

冱玻は数秒黙り、静かな声で返した。


「ええ。雑に扱われるのが嫌だから」


燦那が目を見開く。

透禍も玻宮も、その言葉にはさすがに少しだけ反応した。


冱玻は続ける。


「天縫くんは、誰にでも優しい。だから勘違いして近づく人もいる。でも、それに甘えて彼の時間を奪うのは、優しさに寄りかかっているだけでしょう」


「それ、あたしのこと言ってる?」


「心当たりがあるなら、そうかもしれないわね」


燦那の笑顔が消えた。

教室の白い蛍光灯の下で、彼女の表情だけが急に幼さを失う。


「……冱玻って、ほんと嫌な言い方する」


「事実を言っただけよ」


透禍がその間に静かに割って入る。


「どちらも同じです。先輩の近くにいたいだけでしょう」


「雪祇さんにだけは言われたくないな」


燦那が吐き捨てるように言う。


「後輩の顔して、一番しれっと生活に入り込んでるのそっちじゃん」


透禍の目がわずかに冷える。


「必要だからです」


「誰に?」


「先輩に」


その返答には迷いがなかった。

景瑠はそこでとうとう言葉を失う。

必要。近くにいたい。時間を奪う。

断片的な言葉が、ようやく一つの形になりかけていた。


玻宮は、その沈黙を見ていた。

そして静かに、けれどはっきり言う。


「もう少し綺麗に争えばいいのに」


三人の視線が一斉に玻宮へ向く。


「隠しているつもりでも、見苦しい時はあるわ」


「夜嶺先輩は違うみたいな言い方ですね」


冱玻が言う。


玻宮は微笑んだまま答えた。


「違わないわ。私だって邪魔なものは片づけたいもの」


その言葉は、静かすぎて逆に冷えた。

燦那が息をのむ。

透禍はまばたきもせず玻宮を見る。

冱玻だけが、わずかに口元を引き締めた。


景瑠の胸の奥で、何かがようやく現実味を帯びる。

もしかして、みんな本当に――


その瞬間、廊下から担任の声がした。


「まだ残ってるのか。鍵閉めるぞー」


張りつめた空気が、そこでようやく切れた。

燦那はぱっといつもの笑顔に戻り、「はーい」と明るく返事をする。

冱玻は何事もなかったように資料をまとめ、透禍は視線を落とし、玻宮は柔らかく笑ったまま鞄を取った。


まるで、さっきのやりとりなど最初から存在しなかったみたいに。


帰り道、景瑠は四人と並んで歩きながら、何度も横目でその顔を見た。

みんないつも通りだ。

冱玻は静かで、燦那は明るくて、透禍は無口で、玻宮は穏やか。

けれど、その「いつも通り」が本物ではないことを、もう薄々感じ始めていた。


駅の手前で別れる時、燦那が景瑠に笑いかけた。


「じゃあまた明日ね、景瑠」


冱玻が続く。


「今日のこと、あまり気にしないで」


透禍は短く言う。


「先輩、おやすみなさい」


玻宮は最後に微笑んだ。


「天縫くん、優しすぎるのも罪よ」


景瑠はその言葉の意味を、すぐには理解できなかった。


だが夜、自室の机で文化祭の資料を眺めているうちに、教室で交わされた声が何度も頭の中に戻ってくる。

近くにいたい。必要。時間を奪う。邪魔なものは片づけたい。


彼はようやく、自分のまわりにある感情が、ただの親切や気遣いだけではないのかもしれないと気づき始めていた。


そして、その気づきは遅すぎた。

四人の少女はもう、とっくに後戻りできない場所まで来ている。

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