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【完結】門出屋の親父  作者: アズマユージ


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12/12

特別書き下ろし② 久しぶりのゴルフ

番外編第二話は「久しぶりのゴルフ」。


女子プロゴルファーの秋葉真紀と常連客の誘いに、里帆も乗り気。

「ゴルフはやめた」と渋るユージも、とうとう付き合うことになります。


厨房を離れた親父が、久しぶりに握るゴルフクラブ。

さて、どんな一日になるのでしょうか。

「こんばんは」


 そう言って居酒屋ユージに入ってきた女性だったが、席に着くなり大きなため息をついた。


 既に門出屋の常連となったプロゴルファーの秋葉真紀である。


「ため息なんかつくと、幸せが逃げちまうぜ」


 隣にいた陽気なおっさんが、ニカッと笑った。


「逃げるような幸せなんて、持ち合わせていませんよ」


 真紀が少しむくれて言う。


「あら、ご機嫌斜めね」


 里帆が声を掛けた。


「ええ。こないだステップ・アップ・ツアーで初優勝したって言ったじゃないですか」


「そうだったわね、おめでとう」


「それが、あまりめでたくないんですよ」


「どうしたの」


「あれから、また予選落ちが続いてるんです」


「あらまあ」


「本当、ゴルフって難しいです」


 真紀はそう言って、グラスを置いた。


「確かにな。レベルは違うが、俺もやたらと調子がいいラウンドの次は、全然駄目だったりするもんな」


「おっさんと真紀ちゃんを一緒にして、どうすんだよ!」


 奥の席から声が飛んだ。


 店内に笑いが溢れる。


「悪かったな!」


 真紀も笑った。


「でも、予選落ちしちゃったから、週末の予定が空いちゃいました。練習ラウンドでも行こうかな」


「おう! だったら、一緒にラウンドしないか? 真紀ちゃんのプレイフィーは、レッスン代としておじさんが払うからさ」


「いいですよ」


「俺のメンバーコースの鹿沼72に行こう。あそこはなかなか難しくて面白いんだ。特に男体コースな。俺が車出すから、相乗りして行こうぜ」


「おい、大将、聞いたか? 俺もとうとう女子プロとラウンドできるようになったぜ!」


「さっきから聞こえてるよ」


 ユージは手元の魚から目を上げなかった。


「あはは、大袈裟ですよ。そうだ、大将もご一緒しませんか?」


 包丁の音が止まった。


「俺はいい」


「絶対楽しいですよ」


「しつこい女だな」


 ユージがいつものつれない返事を返したにもかかわらず、真紀は楽しそうに笑っていた。


「女子プロと回れる機会なんて、滅多にないぞ! 親父、変な意地張ってないで、一度行こうぜ」


「だから、ゴルフはやめたんだ」


「そんなこと言わないでさ。なっ、一度だけ! クラブは俺が前使ってたやつ貸すからさ!」


 洗ったグラスを拭いていた里帆が、顔を上げた。


「ユージさん、行ってあげたら? 私も久しぶりに行きたいわ、ゴルフ」


「お前、やるのか?」


「会社にいた頃は、取引先との接待でたまにね」


「へえ、里帆ちゃんもか! じゃあ、ちょうど四人じゃねえか!」


 おっさんは嬉しそうに膝を叩いた。


 ユージは、三人の顔を順番に見た。


「仕方ねえなあ。でも、本当に何十年もクラブ握ってねえぜ。当たるかどうかも分かんねえぞ」


「私も下手くそだからいいじゃない! 一緒に真紀さんに教えてもらいましょうよ」


「そうだそうだ。何なら俺が教えてやるぜ」


「それは、間に合ってます」


「そりゃねえぜ!」


「あはは、教え魔は嫌われるわよ」


「教え魔?」


 あまりゴルフを知らない常連客が聞き直した。


「そう。女一人で練習場とか行ったら、知らないおじさんが教えてくるのよ」


「へえ、無料でコーチしてくれるなんていいじゃないですか」


「うーん……。でも、そんな人に限って下手くそだったりするのよね」


「下手なのに教えるって、どういうことですか?」


「まあ、ただのスケベ親父ってことね」


「誰がスケベ親父だ、誰が!」


 陽気なおっさんの突っ込みに、店内が笑いに包まれた。


◇


 週末の早朝。


 ユージと里帆が経堂駅北口のロータリーに着くと、乗降場所には、すでにおっさんのレクサスRXが停まっていた。


「おう、おはよう!」


 車の脇に立っていたおっさんが、手を上げた。


「あら、早いわね。まだ時間前よ」


「いやあ、楽しみで目が覚めちまってな。家にいても落ち着かねえから、早く来ちまった」


「遠足前の小学生ね」


「違いねえ!」


 おっさんは上機嫌で荷室を開けた。


 里帆の小ぶりなキャディバッグと、二人の荷物を積み込む。


 ユージがボストンバッグを渡したところで、駅の方から声がした。


「おはようございます! すみません、お待たせしました!」


 真紀が、自分の名前の入った本格的なキャディバッグを担ぎ、足早にやってきた。


「大丈夫だよ。まだ約束の時間前だ」


 おっさんは腕時計を見せた。


「皆さん、早いですね。私、最後になっちゃった」


「この人が張り切ってるだけよ」


 里帆が笑った。


 おっさんは真紀のバッグを受け取り、荷室に収めた。


「親父に貸すのは、こっちだ。二代前のモデルだが、まだまだ現役の名器だぞ! 折るなよ!」


「保険入ってるだろうが?」


「そういう問題じゃない! 愛着があるんだ!」


「だったら普段から使ってやれよ」


「うるせえ。ショップに行ったら、メーカーの奴がセールスに来ててよ。曲がらない、飛ぶって言われて、気がついたら買ってたんだから、仕方ないだろ」


「で、具合はどうなんだ」


「……。よく分からねえ」


 里帆と真紀が同時に吹き出した。


「何だよ、二人まで!」


「いえいえ。よくある話ですから」


 真紀は笑いながら、助手席のドアを開けた。


「ほら、行くぞ。遅刻したら、いいクラブも何もねえからな」


 おっさんは運転席に乗り込んだ。


◇


 車は永福町から首都高に入り、やがて東北道を北上した。


 里帆は後部座席から、窓の外を眺めていた。


 隣ではユージが、腕を組んで目を閉じている。


 前の席では、おっさんが真紀を相手に、最近のラウンドの話をしていた。


 どこで何を打ち、どれだけ惜しいパットを外したか。


 里帆は時々笑いながら、その話を聞いていた。


 鹿沼インターで高速を降りると、車窓には畑や家並みが広がり始めた。


「栃木っていうから、遠いかと思ったけど、高速乗ったら割とすぐね」


「栃木はゴルフ王国なんだよ。ゴルフ場が多いし、安いし、高速乗ったら早いしな。でも、帰りは渋滞覚悟しといてくれ」


「帰りのことは、まだ聞きたくないわね」


「ははっ。そりゃそうだ」


 鹿沼72カントリークラブの入口を右折し、しばらく坂を上ると、駐車場の先にクラブハウスが見えてきた。


 車寄せで車を停め、四人でバッグを下ろす。


「以前は車から下ろすところからやってくれてたんだけどな。最近は、自分でクラブ置き場まで運ばなきゃなんねえんだ。ゴルフ場も生き残りに必死なんだな」


「自分でバッグ担いで回らなくていいんだから、贅沢言うなよ」


「練習生かよ!」


 おっさんはそう言いながら、キャディバッグを担ぎ上げた。


 ユージたちも、それぞれの荷物を持って後に続いた。


「車停めてくるから、ちょっと待っててくれ」


 そう言って、おっさんが駐車場に行っている間、ユージは複雑な表情で周囲を見回していた。


「ユージさん、どうしたの」


 里帆が声をかけた。


「いや、いい景色だなと思ってな」


「確かに! 栃木の街並みが一望できるわね」


「そうだな」


 しばらくすると、おっさんが戻ってきた。


◇


 クラブハウスに入り、受付を済ませたユージは、ロッカーへ向かった。


 その少し後ろで、おっさんは知り合いを見つけ、早くも立ち話を始めている。


 ロビーの一角には、歴代のクラブチャンピオンたちが集まっていた。


 ユージが通り過ぎてから、そのうちの一人が顔を上げた。


「おい、今通った奴、アズマじゃないっぺか?」


「あの、日本オープンでローアマ取った、あのアズマか?」


「そうか? 他人の空似だべ」


「まあ、ゴルフ辞めたはずだしな」


 男たちは、廊下の向こうをもう一度見た。


 だが、ユージの姿は、すでに見えなくなっていた。


◇


 この日は、男体INからのスタートだった。


 朝の空気はまだ冷たかったが、頭上には青空が広がっている。


 ユージは借りたバッグからドライバーを抜き、ヘッドをしげしげと眺めた。


「でけえな」


「今頃何言ってんだ。二代前だぞ、それ」


「昔は、こんなでかくなかったからな」


「あはは、大将は、パーシモン使ってたのよね。そりゃびっくりするわよ」


 真紀が笑った。


「何? パーシモン? そりゃ百年前の話じゃねーか!」


「大袈裟だ、まだ産まれてねーだろ!」


 ユージは軽く素振りをした。


 その動きを見た真紀が、わずかに首をかしげた。


 まずは、三百五十一ヤードのミドルホール。


 陽気なおっさんが、オナーだった。


「じゃ、一日よろしく!」


 そう言ってアドレスし、振り抜いたおっさんの球は、少しフェアウェイを外れたが、まずまずのショットだった。


「朝イチはこんなもんだろう」


 続いて、真紀がドライバーを握る。


 今日は、里帆以外の三人は白ティーから回っている。


 少し硬い表情で振り抜いた球は、しっかりフェアウェイの真ん中を捉えた。


「さすがプロだな! ナイスショット!」


 おっさんが真紀に声を掛ける。


 真紀は、少し複雑そうな顔で、


「ありがとうございます」


 と返した。


 ユージは低めにティーを挿し、ボールを置いた。


「さあ、何十年ぶりかねえ」


「当たればいいんだよ。肩の力抜いてな」


 おっさんの助言に、ユージは返事をしなかった。


 一度だけ目標を見て、クラブを引く。


 乾いた打球音が響いた。


 低く、鋭い球だった。


 ボールはフェアウェイの中央を捉え、前へ前へと転がっていった。


「……おい」


 おっさんが口を開けた。


「当たったな」


 ユージはティーを拾った。


 真紀は、まだフェアウェイを見ていた。


 三人が打ち終えると、里帆の使うレディースティーへ向かった。


 里帆はドライバーを握り、ボールを打った。


 飛距離は百二十ヤードほど。それでも、球はまっすぐに飛んで、フェアウェイに止まった。


「はあ、上手くいかないわね」


「まっすぐ飛べばいいんだ。さ、前に進むぞ」


 ユージに促され、里帆はカートへ戻った。


 それぞれのボールの位置へ向かうと、ユージの球は、真紀の球を少しだけオーバードライブしていた。


「あの低い球で、ここまで飛ぶのね……」


 真紀が呟いた。


◇


 次の十一番は、三百三ヤードの短いミドルホールだった。


 ティーイングエリアで、真紀がユージに声を掛けた。


「大将、最近は、ドライバーはアッパーに打って、高い球で飛ばすんですよ」


「そんなことしたら、吹け上がっちまうだろ」


「いえいえ、クラブの性能がよくなってるから、大丈夫ですよ。一度やってみたら?」


 真紀はやや高めにティーを挿し、ボールを置いた。


 無理のない、きれいなスイングだった。


 打ち出されたボールは、わずかに右へ出てから、緩やかに戻ってきた。


 フェアウェイをしっかり捉え、目標のフラッグの近くで止まる。


「駄目ね。やっぱり二百三十しか飛ばないわ」


「いやいや、大したもんだよ! さすがプロだね! 俺なんか、やっとこ二百だからな」


 おっさんが感心して言った。


 ユージは真紀のティーの高さを見ていた。


「えーっと、ボールの手前に最下点を持ってきて、アッパーで打つんだな。で、スピンがかかりすぎないように、と。まあ、こんな感じか」


 ぶつぶつ言いながら、ひとしきり素振りをする。


「おいおい、ラウンドの途中でスイング変えるつもりか? 大胆だねえ。ぶっつけ本番は大抵OBだぞ」


 おっさんが言った。


 ユージは構わず、スタンスを取った。


「さあみんな、ファーの準備しとけよ」


 おっさんが小声で囁いた。


 ユージのクラブが、滑らかな弧を描いた。


 打球音。


 ボールは澄み渡った青空へ、ぐんぐん舞い上がっていった。


 真紀が小さく声を漏らした。


 その球は、彼女のボールを大きく越えた先に落ち、フェアウェイを転がって止まった。


 ボールの行方を確認したおっさんが、呆然と言った。


「おい、残り五十ヤードの杭の先まで飛んでるぞ、あれ。たぶん、二百八十ヤードは行ったんじゃねえか? マジかよ……」


「やっぱり大将、本格的にやってたんじゃないですか! 嘘ばっかり!」


「いやあ、まぐれだ、まぐれ。あんたの教え方がよかっただけだろ」


「まぐれで二百八十ヤードも飛びません! 男子プロ並みじゃないですか!」


 ユージは返事をせず、次に使うクラブを選んでいた。


 おっさんは自分のボールと、ユージのボールを交互に見た。


「……やっぱり、名器なんだな」


◇


 しばらく回ったところで、ユージが真紀に言った。


「あんた、飛ばそう飛ばそうと思って、スイングが乱れてるぜ」


「えっ?」


「今のあんたは、飛ばそうとして、かえってクラブの動きを邪魔してるように見えるぜ。もっとクラブを信じて、あんた自身は裏方に徹するといい」


「そんなこと言われても、私は飛距離が課題なんだから」


「だからだ。結局、飛距離を落としちまったら意味がねえだろ」


 ユージは、真紀の持つドライバーに目を向けた。


「ほら、騙されたと思ってやってみな。あんたには、それだけの力があるさ」


「まあ、いいわ。今日はどうせ遊びだし」


 真紀は一度息を吐いた。


 握り直したグリップの力を緩め、クラブを引く。


 自分で振り回そうとせず、その重さを感じながら、最後まで振り抜いた。


 カキーン、と小気味よい音が響いた。


 ボールはきれいな球筋を描き、フェアウェイの先へ飛んでいった。


「す、すごい……」


 ボールのそばまで来て距離を確かめた真紀は、しばらく動かなかった。


「二百五十ヤード飛んでる……」


「ほらみろ」


「そんな……」


 あれほど悩んでいた飛距離が、たった一言で変わってしまった。


 このスイングを身につけたら、大きな武器になる。飛距離で置いていかれていた若い子たちとも、戦えるかもしれない。


 嬉しい。けれど、素直に喜ぶ言葉が出てこなかった。


 これまで、どれだけ試してきただろう。


 真紀はクラブを握ったまま、ユージを見た。


 ユージは、もう里帆のボールの行方を目で追っていた。


◇


 ユージのショットは、その後もずっと安定していた。


 ただし、本人は時々、首をかしげていた。


「やっぱり距離が合わねえな。昔の感覚で抑えて打っても、思ったより飛んじまう」


「それで、その位置なら十分じゃないですか」


 真紀が言った。


 ユージは答えず、パターを持ってグリーンへ向かった。


 長いパットが残っていた。


 ユージは、良くラインを読みもせず、カップの周りをちらりと眺めただけで無造作に打った。


 ボールは傾斜に沿ってゆっくりと曲がり、カップの縁をかすめて、その少し先で止まった。


「オッケー! 惜しかったな! だが、もうちょっとちゃんとラインを読んだ方がいいぞ。ゴルフのスコアは、パターで決まるからな!」


 おっさんが声をかけた。


 ユージはボールを拾い上げた。


「確かにな」


 そう言って、ユージは口の端を少し上げた。


 真紀は、カップの先に残った短い距離を見ていた。


◇


 前半を終えると、四人はレストランへ入った。


「ここの麻婆豆腐は、なかなかイケるぜ! たまにバイキングやってるのもいいんだ」


 おっさんはメニューを広げながら言った。


 それぞれ料理を注文し、前半のプレーを振り返りながら食事をした。


 昼食を済ませると、後半の男体OUTへ向かった。


 里帆は、思うように当たらない球に文句を言いながらも、楽しそうだった。


 ユージは時々、彼女の打球を目で追った。


「何よ。言いたいことがあるなら、言ってよ」


「いや。ちゃんと前に進んでると思ってな」


「それ、褒めてるの?」


「褒めてるだろうが」


 里帆は笑いながら、カートへ戻ってきた。


 後半も、ユージのパットは入らなかった。


 一メートルほどの微妙な距離でも、長い距離でも、カップを一筋外れて、その先に止まる。


 まただ。


 真紀は、ユージの足元を見た。


 短いパットもロングパットも、必ず一筋外れて、タップインの位置に止まる。


 おっさんは機嫌よく「オッケー! 惜しかったな!」と言っているが、真紀には分かる。


 ――あんなの、カップインより難しいわ。


「大将、タッチはすごく合ってますよね」


「そうかい」


「ええ。すごく」


 真紀が念を押すと、ユージはそっぽを向いて言った。


「たまたまだ」


 ――こんなにたまたまが続く訳ないじゃない。ホント、不器用にも程があるわ。


◇


 残り三ホールになった。


 おっさんはカートのタブレットを眺め、少し難しい顔をしていた。


「親父、これ、本当に何十年ぶりなのか?」


「そう言ってるだろうが」


「そうかあ……」


 ユージものぞき込んだ。自分はここまでで六十五打。


 一方おっさんは、七十三打。


 ユージは、黙ってドライバーを抜いた。


 七番。


 打ち出されたボールは、フェアウェイから外れ、池へ向かった。


 小さな水しぶきが上がった。


「ああっ! もったいねえ!」


 おっさんが声を上げた。


 ユージは顎をかいた。


「曲がったな」


 真紀は、池とユージを交互に見た。


 あの方向へ、あの距離。


 しかも、きれいな当たりだった。


 そのホールは、池のあとも寄せを残し、ユージは七打を費やした。


 続く八番は、短いパー3だった。


 ユージの球は、大きく左へ飛び出した。


「ファー!」


 おっさんの声が響いた。


 ボールはOB。


 打ち直した球まで、また左へ消えた。


「ありゃあ。やっぱり、疲れが出てきたか?」


「まあな」


 ユージは新しいボールを取り出した。


 三球目はグリーンに乗った。


 パットは、またカップのすぐ先に止まった。


「オッケー。ドンマイだ!」


 おっさんが言った。


 ここも七打。


 真紀は、ユージと一緒にカートへ向かった。


「……あんなところに打つ方が、難しくないですか?」


「何の話だ?」


「いえ。何でも」


 真紀は口元を緩めた。


◇


 最終九番。


 打ち上げが続くミドルホールだった。


 ユージの二打目は、グリーン手前のバンカーに入った。


「あと少しだったのになあ」


 おっさんが言った。


 ユージはウェッジを持ち、砂の中へ降りた。


 砂が上がる。


 ボールは少しだけ動いて、バンカーの中に残った。


「おや」


 次も、出なかった。


 里帆が心配そうに見ている。


 三度目に、ようやくグリーンへ出た。


 真紀は、じっとユージの手元を見ていた。


 最後に残ったパットは、少し長かった。


 ユージは一度だけ素振りをし、打った。


 ボールがカップへ近づく。


 真紀は、その行方を見守った。


 縁を、一筋。


 やはり外れた。


「オッケー! お疲れさん!」


 おっさんが明るく言った。


 ユージはボールを拾った。


 七、七、七。


 上がり三ホールで二十一打。


 スコアカードの合計欄に、八十六と書き込んだ。


「俺は八十五。いやあ、危なかった!」


 おっさんは、ほっと胸を撫で下ろした。


「何十年ぶりにクラブ握る奴に、負けるわけにはいかんからな」


「そうかい」


 ユージはクラブをバッグへ戻した。


「やっぱり、ゴルフは上がってみなきゃ分からねえよな。真紀ちゃん」


「そうですねぇ」


 真紀はそう言って、笑っていた。


◇


 数日後の、居酒屋ユージ。


「いやあ、マジで驚いたよ」


 陽気なおっさんは、常連たちを相手に、大きな身振りで話していた。


「親父、何十年もやってねえって言いながら、いきなり二百八十ヤードだぜ!」


「へえ! 大将、そんなに上手かったのか?」


「まぐれでバカ当たりしただけだ」


 ユージは鍋をのぞき込み、煮汁の具合を確かめた。


「まぐれで二百八十は飛ばないだろ」


「いや、まぐれだ」


「まあ、それはそれとしてだな」


 おっさんは、得意げにグラスを持ち上げた。


「ゴルフは、飛距離だけじゃねえんだよ」


「ほう?」


「俺が八十五。親父が八十六。一打差で、俺の勝ちだ」


「おおっ!」


「最後の三ホールで、親父が崩れてな。やっぱり、十八ホール持たせるには経験ってもんが要るんだよ」


 里帆が空いた皿を下げながら、ユージの顔を見た。


 ユージは何も言わず、鍋の火を弱めた。


「そうでしたねぇ」


 真紀が、カウンターの端で笑っている。


「何だよ、真紀ちゃん。その笑い方」


「いえ。楽しかったなって」


「そうだろ? また行こうぜ!」


「ええ。ぜひ」


「里帆ちゃんも、また行くよな?」


「もちろん!」


「よし! 親父、次もクラブ貸してやるからな!」


「まだ行くとは言ってねえぞ」


「何だよ、一回行っちまえば同じじゃねえか!」


 店内に笑いが広がった。


 ユージは火を止め、小鉢に料理を盛り、それぞれの前へ置いた。


 小さな鮎が、形を残したまま、艶のある煮汁をまとっていた。細く刻んだ生姜が、その間にのぞいている。


「ほら。喋ってばっかりいねえで、食いな」


「おっ、待ってました!」


 おっさんは早速、箸を取った。


 ユージは酒瓶を取り出し、真紀のグラスへ注いだ。


「一歩己。福島の酒だ」


「いぶき?」


「ああ」


 真紀はラベルの文字を眺めた。


「己で一歩か……。確かに、今の私にぴったりね」


 真紀は一口飲んでから、小鮎を一匹つまみ、口に運んだ。


 甘辛い味のあとから、鮎の旨味と、ほろりとした苦味が広がった。


「……美味しい。これ、鮎の子供ですか?」


「琵琶湖の小鮎だ」


 ユージは鍋の脇に箸を置いた。


「小鮎ってのはな、ただの鮎の子供ってわけじゃねえんだ。湖にとどまって、小さいまま一生を終える奴もいりゃあ、川を上って大きく成長する奴もいる。不思議なもんだな」


 真紀は、小鉢へ目を落とした。


「生まれたときは同じでも、途中でどこにいるかで、その先が変わっちゃうのね」


 真紀はぽつりと呟いた。


 ユージは小鮎を一匹、箸で持ち上げた。


「考えてみれば、人間も同じかもしれねえな」


 そう言って、小鉢に戻した。


 真紀は顔を上げた。


 ユージは、少しの間、その小さな魚を見ていた。


 真紀は、何か聞こうとして、言葉を飲み込んだ。


 ――きっとこの人には、人に言えない過去があるのね。


 ユージが彼女を見た。


「あんたは、湖にとどまらずに、ちゃんと川を登りな。まだまだ若えんだからよ」


 真紀は、ユージを見つめた。


 やがて、小さく頷き、小鮎をもう一匹、口に運んだ。


 しばらく味わってから、ユージを見上げ、小さな声で言った。


「大将」


「何だよ」


「ありがと」


「なんだそりゃ」


「私、こないだのラウンドで掴んだみたいなの。まだまだ若い子には負けられないわ」


「何おっさんみたいなこと言ってんだ」


「あはは、まあいいじゃない。でね、大将。次はちゃんと勝負してくださいね」


 ユージは一瞬だけ手を止めた。


 そして、真紀のグラスへ酒を注いだ。


「……つべこべ言わずに、早く食いな」


 真紀は嬉しそうに笑って、箸を取った。


 そのとき、引き戸がガラガラと音を立てて開いた。


「こんばんは。まだ、入れる?」


「いらっしゃいませ!」


 里帆の明るい声が響いた。


挿絵(By みてみん)

*画像をタップすると、レシピが楽しめます!

お読みいただき、ありがとうございます。


いつもの店とは少し違う場所で、親父の意外な一面が見えた一日でした。

ゴルフの後の小鮎と一歩己も、味わっていただけたでしょうか。


次の番外編は「星に願いを」。

居酒屋ユージで、常連たちが一枚の写真を囲んで推理合戦を始めます。


親父の料理をお供に、皆さまも一緒に考えてみてください。

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