4-7. 黒幕たちの報告会①
利己的な彼女と、利他的な彼の話。
眠るのは、好きではない。
生ぬるい泥沼に意識が溶けて、何も考えられなくなるから。自分が何もできないことを、痛感させられるから。
(早く、早く、起きろ)
“あの子”のため、行動できるように。
◆ ◆ ◆ ◆
「………ード子爵!ソード子爵!」
怒鳴るような大声に、重い瞼を持ち上げる。
見ると、贅を尽くした執務室で、中年の男がこちらを見て叫んでいた。
「聞いておられますか!?ソード子爵!」
その様を、鈍い頭でぼぅっと眺めていたが、ふと気がついた。
(……ああ、今は私が「ソード子爵」だったな)
ならば、返事をしなければなるまい。かさついた唇を開く。
「聞いている。物心つく前から三十年近く幽閉された私は『可哀想ではない』が、裕福な商人の後妻になる姉は『可哀想』だという話だな」
すると、執務机越しに喚いていた中年男が、口を開けたまま固まった。静まり返る執務室。
「……?」
てっきり肯定なり否定なり返ってくると思ったのに、相手はただ青い顔でうつむいたまま。緩慢に首を傾げる。
ややあって、彼は絞り出すように答えた。
「だ、だって……貴方に味方したところで……先が、無いでしょう……」
目を逸らしたまま、続ける。
「それなら、お父上やお姉様に味方した方が、家のためというもので……」
「そうだな」
特に否定する必要もないので、頷く。大腿を軽く叩いた。
「『こう』までして隠したがったんだ。……私は家の恥なのだろう」
ズボンのシルエットで隠しているが、机の下の脚は何度も折られ、歪に歪んでいた。寒い日は痛むそれを、そっとなでる。
「貴族として、当然の判断だと思う」
「ではっ」
「……そういう当たり前の判断を、私もしたというだけの話なのだが」
再び黙り込む。
しかし今度の沈黙は短かった。悲鳴のような声を上げる。
「あ、あんなに酷いとは思わなかったんだ!」
身を乗り出し、執務机越しに訴える。
「どうにかしてください!ドロテア嬢は貴方のお姉様でしょう!?」
「……もう帰ってくれないか?」
対する彼は、無感情に最後通牒を言い渡した。
「あれは既に除籍された身。当家とはもう何の関わりもない人間だ。……身柄を引き受ける時に、そう契約したはずだが?」
そのように書類も交わしている。すると、男爵は愕然とした様子でよろりと後退った。
「そんな……従兄弟でしょう?」
「そうだな。助けを求めても、会ってすらもらえなかった従兄弟だ」
「ッ!」
緩慢に片手を持ち上げ、軽く振る。
「『元』姉を引き取りたいという我儘を聞き、今日こうして会って話を聞いた時点で、義理は果たしたと思っている。……客人はお帰りだ」
「はーい、お帰りはこちらでーす」
すると、控えていた黒髪の男が素早く背後へ回り込み、望まぬ客を羽交い締めにした。
「待っ……おい!離せ!」
「はいはいはい、主は忙しいのでねー。お約束のないお客様はさっさとお引き取りを!」
そう言って、細身の身体に似合わぬ膂力で扉まで引きずっていく。
「ソード子爵!ソードししゃ………」
ばたん、と扉が閉じた。
やがて馬車の音が遠のくと、続き部屋の扉が開いた。
「板についてきましたね」
そう言いながら入ってきたのは、一人の若い女だった。
そばかすに茶髪。灰色の目を愉しげに歪め、軽やかな靴音を立てながら、肩程度しかない髪をぱっと後ろに払う。
「敬語もまともに使えないと知った時は、どうしたものかと思いましたけど」
「……君か」
ちらと目を向ける。
はっきり何色とも言い切れない、微妙な色味の目と髪。目立ちにくい見目も相まって、ぼうっとしているように見える者も、いるのかもしれない。
しかし凍るような理性と知性、烈火のような闘志を持つ女だということを、彼はよく知っていた。貴族女性らしく傲慢な、しかし美しい所作で歩み寄る。
「待たせて悪かった。……その顔はどうした」
「ちょっとケンカしまして」
そう言って頬の切り傷を指先でなぜ、当然のようにソファに腰かけた。
「馬車、ありがとうございました。さすが最高級品、おかげで快適な道中でした」
「そうか」
視線を前に戻す。
「王都邸にも同じ型のものがあるので、気に入ったのなら好きに使うといい」
「貧乏伯爵家の令嬢が家紋のついてない最高級馬車乗り回してたら、はちゃめちゃに不自然なんですけど……。緊急時はありがたくお借りしますね」
侍女が優雅に紅茶と茶菓子の準備を始める。執務室に芳醇な紅茶の香りが広がると、黒髪の男が陽気に戻ってきた。
「よお、ヘレンチャン!伯爵令嬢なのに、顔に怪我したんだって!?」
そう言って、女───ヘレンの腰かけているソファに、背もたれ側から寄りかかる。
「相変わらず、アヴァンギャルドに生きてんね〜」
「どうも、メラースさん」
黒髪のメラースは軽く片手を上げて応じると、背もたれ越しに小さな軟膏壺を差し出した。
「俺の応急処置用の軟膏、分けてあげるよ。俺の古巣、シュゼイン公爵家御用達の逸品だ、効果は折り紙付きだぜ」
「ありがとうございます。……あ、これオパールも持ってたやつだ」
そんな二人のやりとりをそれとなしに眺めていた彼は、会話が途切れるのを見計らって声をかけた。
「……客人は帰ったか」
「はい。しっかり馬車に詰め込んで、門から出るところまで見届けましたとも」
「……御苦労だった」
恭しく一礼するメラース。すると、ヘレンは、小さく首を傾げた。
「誰だったんですか、あれ? こっちにまで声が聞こえてきましたよ」
「ああ……」
先ほどまでのやり取りを思い出し、僅かに眉を顰める。
「ドゥニーズ男爵、エドゥアルド・ドゥニーズ。……従兄弟だ。母の兄の長男」
「ああ、お姉さんの……。何しに来たんです?」
カップを傾けながらの問いに、ため息混じりに答える。
「……なんでも、元姉が男爵の娘主催のお茶会に乱入したらしくてな」
九年前、婚家から離縁された彼の元姉は、己の父が当主を務める生家のソード子爵家に戻ってきていた。
しかし、弟である彼が前ソード子爵から爵位を簒奪すると同時に除籍され、現在は母方の実家に身を寄せている。それが、先ほどのドゥニーズ男爵の家だ。
「そこで令嬢に対し、『自分が冷遇されているのはお前のせいだから、どうにかしろ』という趣旨の発言をしたらしい」
涙ながらに、さも自分は被害者であるというように。
領地すら持たない男爵家なのだ。北部有数の資産家であるソード家や、婚家のサイプレス侯爵家と同じ生活など、できようはずもない。まして元姉は、出戻りの居候という立場。
置いてもらっているだけ、僥倖というものだ。
たったそれだけの話が、元姉は理解できなかったらしい。お陰で男爵家の評判はガタ落ち、娘の婚約も御破算。出戻り女を我が子以上に甘やかして、自由にさせていた男爵に、夫人もとうとう愛想を尽かし、娘を連れて実家に帰ってしまったと。そういうことらしい。
「まあ泥沼」
棒読みでそう言いながら、興味なさげに紅茶を飲むヘレン。
「まさかと思いますが、責任取れとか言ってきました?」
「……そのまさかだ」
「うわあ」
ぐしゃりと顔を顰める。
「再婚が決まっていたところを、無理やり横槍入れてきたのはあっちなのに」
「……」
無言で頷く。茶器を見つめたまま、ぼそりと呟いた。
「……姉は……元姉は」
「自分にとって何か不都合なことが起きた時、『自分が悪い』だなんて、露ほども思わない」
常に、「自分以外の誰かのせい」。都合の悪い事実はケロッと忘れるし、足るを知るということがない。
被害妄想と言ってもいい。適当に目についた相手に言いがかりをつけるなど、日常茶飯事だ。
先代……元父は、そんな元姉を盲目的に愛していた。元姉の姿に、深く慕っていた己の母親の面影を見ていたのだろう。恐らくは、従兄弟のドゥニーズ男爵も。
しかし、そうでない者にはただの特級呪物だ。とてもじゃないが、手に余る。
観賞用で楽しむ分には被害も少ないだろうとまとめたのが、近く隠居する商人の、後妻の話だった。散々忠告したのに、結局このザマだ。肩をすくめるヘレン。
「契約書作っておいて良かったですね」
「全くだ。…………」
揺れる紅茶の水面を見つめる。
お読みいただき、ありがとうございました。




