4-6. 嫡出の兄の家令・後編
流血・残酷表現注意。
そして、“あの日”。
血溜まりの中、坊っちゃまは、配下へ向かってこう命じられました。
「予定通りだ。……刃向かう者は、全員殺せ」
「生き残りでも、リストに名のない者は殺せ。サイプレス家には不要な存在だ」
その言葉に従った者たちが、次々と命を刈り取っていく。
ついには旦那様まで坊っちゃまの手にかかり、私は恐ろしさに身を震わせました。
(なんで)
いつから、あんな笑い方をする人になった?
少なくとも、笑って人を貶める方では、なかったはずなのに。
(どうして、こんなことに)
「なんだよ、景気の悪ィ顔しやがって」
「……坊ちゃ」
「俺ァ、お前たちに期待してるんだぜ? 大勢に逆らわず、『自分は家の為に精一杯頑張ってます』っていう体だけは崩さずに、面倒事は上手ァく躱して。実に上手いこと立ち回ったもんだよなァ?」
笑いを含んだ口調。返り血の飛んだ顔のまま、カッカッ、と靴音を立ててこちらへ歩み寄られる。「だから、さ」
「今回『も』、風を読んでくれるだろ? 風見鶏諸君」
「………ッ!」
そう告げる鈍い緑色の瞳は、影氷より鋭く、冷徹な光を宿して。
(……ああ)
サイプレス、サイプレス。良心など微塵もなく凍土のように冷たい、悍ましい怪物。
我らが誉れ、これぞ正しい一族の跡取りの姿。
……なのに何故私は、絶望を感じているのか。
すると坊っちゃまは、それすらも見抜いてこう嘲った。
「あくまで家のためだと言い張るなら、命を捨てる覚悟くらいは持っておくべきだったな。……不忠義者が」
その言葉に、私は頭を殴られたような衝撃を受けました。
(そうだ、何故気が付かなかった)
御家のためならば、実の父すら排除する。
そんな理想の「サイプレス侯爵」が、主を諫める立場にありながら役目を放棄し、甘い汁を啜る使用人を見逃すか?
間違いなく、「否」だ。
そもそもの話、坊っちゃまが旦那様同様ずる賢く厄介ごとから逃れる方だったら、どうなっていたか。誰もが少しずつ仕事に手を抜いて、緩やかに没落し、やがて分家に乗っ取られていたことでしょう。
それが分かっていたからこそ、私たちはかの方を、家の生贄になるよう育てたのではなかったのか。
そんな私に蔑んだ目を向け、坊っちゃまは返り血の飛んだ顔のまま指示を再開しました。
「アーティチョーク、隠蔽工作を開始しろ。オレガノとジギタリスは狩り残しがないか確認。ローズマリー、チャイブ。……残った使用人に、ちゃーんと、言い聞かせておけ」
そう言い捨てて大階段を登って行く坊っちゃまを、私はただただ見送っていました。
「───ということで、自分の立場は理解しましたね?」
坊っちゃまが去った後、我々の心を幾重にもへし折った男は、傲慢にも足を組み、そう言い放ちました。
足下には、立ち向かって返り討ちにされた者たちの屍。相手が一人ならばどうとでもできると思ったのでしょう。死体の中に恋人でもいたのか、若いメイドが、私の隣でポロポロと涙を流し続けています。
「今後この邸は、我が君とその信任を受けた、我々が取り仕切ります。我が君に偽りの忠誠を捧げたお前たちの信用と立場は、野良犬より下だと弁えなさい」
品よく微笑んだ口で、猛毒を吐き続ける男。野良犬、と誰かが呟きました。ええ、野良犬、と頷きます。
「しかし、慈悲深い我が君は、野良犬未満のお前たちにも役割を与えてくださりました」
柔らかくそう言って、男は影氷の目でこちらを見下ろしました。
「三ヶ月でお前たちの全てを、こちらの指定する人材へ叩き込みなさい。そうすれば、生き延びることを許します」
依頼でも、命令ですらない、無情な条件提示でした。「………あの」と蚊の鳴くような声がして振り返ると、真っ青な顔の従僕が、片手をあげて立ち上がったところでした。
「……三ヶ月、というのは……もし、教えた方が期間内に習得できなければ………?」
「その場合は、お前たちに教える意思は無いのだと見做します」
男は笑顔のままぴしゃりと断じました。微笑みながら告げます。
「春先は熊の被害が増えますからね。そちらで役立ってもらいましょう」
我々の中に、戦える者はいない。……いるとすれば、かの忠臣の足元だ。
ならば囮になるしかない。棒立ちになる若い従僕。反対隣の侍女が、顔を覆って泣き出しました。
件の忠臣の横では、やはり坊っちゃまの配下の美女が、興味なさげに己の爪先を眺めています。……実際、どうでもいいのでしょう。
(だって坊っちゃまは、何でもできる)
当主としての執務はもちろん、帳簿の管理や食材の手配、パーティーや茶会の準備。
家内の統括も、采配も、全部、全部。
なんでもできる万能の秀才が、「情」という最後の枷を外した結果が、これなのだ。
加えて配下の中には、明らかに影としての教育を受けた者も見受けられました。彼らは潜入先に馴染むため、使用人の仕事を学んでいるはずです。
つまりこれは、逐一調べる手間を省き、時間を短縮するためだけの措置。
頷く以外の選択肢は、ありませんでした。
冷たい玄関ホールの床に長時間座らされ、痛む膝と腰で二階に上がる。妻子は、キャシーお嬢様のお部屋の近くにいました。
二人とも、首と胴が分かたれ、恐怖と混乱で歪んだ顔。
息子の方は、愚かにも、主君の紋章を掲げる使者に牙を剥いたのでしょう。ろくすっぽ振れない剣を握って死んでいました。
「……何か一つ、遺体の代わりに持ち帰って良いそうだ」
低い声。振り返ると、老年の男が静かにこちらを見ていました。
「死体は伝染病の時と同じにするからと。……遺品を葬る墓所、葬儀を執り行う教会施設に、当てはあるか」
「……長どの」
「今はただのフォードだ」
そう言いながら、影の長らしく音もなく歩み寄ってくる。
「特になければ、妻の時と同じにするが」
「……亡くなっていたのでしたね、そういえば」
歳が近い義父にも当たる男は軽く頷くと、落ち着き払った様子で娘と孫の死体の横にしゃがみ込みます。
鈍い緑の瞳。短く切りそろえたダークブラウンの髪は、よく見ると毛先が緩く波打っている。
目元以外、若き新当主がそのまま歳を取ったような見目の男。
彼は平坦な声で告げました。
「御家のためにお嬢様を抱くと言ったら、裏切りだと泣いて拒否された。先代様が生まれた朝に窓から飛んで、それっきりだ」
喉の奥から、引き攣ったような笑いが漏れた。相変わらず、変に誠実で不器用で、人の心の分からない男だ。
開いたままの目を、そっと閉じさせる。
「夢を、見たのだろうな。異母とはいえ弟が侯爵なのだから、我が子も、と」
愚かなことだ、とひとりごちました。
「影には向かぬ子だからと、邸で育てたのが間違いだったな。……いや、母を殺した家に仕えさせようとした時点で、か」
自嘲し、目を伏せる。
「すまないな。お前から妻子を奪ってしまった」
「……いいえ」
短く否定します。
「心のどこかでは、きっと、分かっていたのです。いつか……こうなることは」
父娘ほど歳の離れた妻と、孫といってもおかしくない歳の息子だった。
可愛くて可愛くて、つい、甘やかしました。息子と歳の変わらぬ……否、もっと幼い子どもにすべて押し付け、待ち受ける暗い未来から、目を背けて。
義父だった男は、口の端を引き攣らせるように動かしました。
「……育て方を間違えたな。……お互いに」
すると、影の装束を着た人影が近づいてきて、長の耳に何か囁きました。頷き、長としての顔で私に告げます。
「聞いただろうが、お前たちにはしばらく邸にいてもらう。敷地外に家を構えている者は、見張りつきなら自宅に着替えなど取りに行っても良いとのことだ。……行くか?」
「……参ります」
私の知る「正しいサイプレス」ならば、証拠隠滅のため、関係するすべての場所に火を放ちます。ここで行かねば、もう二度と家には帰れないかもしれません。
形見を抱えて、のろりと立ち上がりました。
馬車の中、長は窓の外を睨みながら口を開きました。
「……辞めるのか」
「はい、引き継ぎが終わったら」
妻と息子の墓を守りながら、息を潜めて余生を過ごすくらいなら、許されるだろう。見張りは、当然つけられるだろうが。
恨みはない。今日の悲劇は、自分たちが長年放置した歪みの成れの果て。
因果応報、自業自得。
それでも。
(もう、関わり合いになりたくない)
「……あの家は……呪われている」
諫められるかと思ったが、長は顔色ひとつ変えず「そうだな」と返した。
「上の世代の歪みを、下の世代の……その時一番立場が弱い者に押し付けることが、常態化している。……お嬢様然り、坊っちゃま然り」
「お嬢様」は最期まで亡くなった婚約者に殉じたあの方で、「坊っちゃま」は……恐らく、現当主のあの方だろう。彼が先代当主をそう呼んでいるのは、聞いたことがない。
ひとつの悲劇が新しい悲劇を生み、また次の悲劇へ繋がっていく。
(……あの方は、断てるだろうか)
「長……義父上はどうなさいますか」
「残るさ。………唯一残った孫が死に物狂いで踏ん張っているのに、某だけ楽隠居はできん」
それに、と小さく呟く。
「……今更、穏やかに死ぬなど」
節くれだった老いた手に、指が食い込む。
「御家のため散って行った方々に、申し訳が立たぬ」
「………そうですか」
ガラガラと、馬車は、吹雪の中を進んでゆく。
サイプレスの冬は深く、春はまだ遠い。
強くなろうとしなかった人。
お読みいただき、ありがとうございました。




