2-27. 北部の檻
変態が出てきます、苦手な方はご注意ください。
───最後に泣いたのは、いつだっただろう。
古い記憶に、想いを馳せる。
『泣くな!!サイプレスの跡取りとあろう者がみっともない真似をするんじゃない!!』
これは曽祖父。
『大旦那様は坊っちゃまに期待されているのです。泣いてはいけませんよ』
これは家令のヨーナス。
『どうして泣いているの? お母様を惨めな気持ちにさせたいの? そんなにお母様が嫌い?』
これは母。
『泣けば己の思い通りになると思っているのか? さもしいな……さすがサイプレスの子だ』
これは母方の祖父のソード子爵。
父に至っては、ため息を吐かれて終わりだった。
今となっては、良かったと思う。
泣いたところで、どうせ誰も助けてくれないのだから。
……階下が俄かに騒がしくなってきた。目を開き、寄りかかっていた壁から身を起こす。
階下はまさに、混沌だった。
やって来た人物に、泣きながら引き摺られていく自称妹。
怒鳴りながら抵抗するも、他家の家紋の兵士に防がれる父。
二人を助けようとした兵や使用人は同僚に阻まれ、残りは状況が理解できないのか、呆然と突っ立っている。
阿鼻叫喚の玄関ホールを階上から見下ろしていたサイプレスは、徐に大階段を降り始めた。
「今日は良き日だ」
静かに、しかしよく響く低い声。その場にいる全員がハッと振り返る。
「女に溺れた無責任な当主は廃され、身の程知らずの自称侯爵令嬢は去り、それに追随する愚か者どもは排除される」
「サイプレス侯爵家の新たなる旅立ちの日です。ねえ、父上?」
「貴様……ッ!?」
仇敵を見るような目を息子に向ける父。
「これは一体、どういうことだ……!?今日はキャシーと婿候補の顔合わせだろうッ!?」
「んー?」
笑顔のまま首を傾げ、首を掻く。そして、侯爵令息らしいゆったりとした、優美な仕草で示した。
「だから、来てくれたじゃないですか。ねえ?」
「やあ、お邪魔してるよ、サイプレス卿」
抵抗する妹をもう片方の手で抑えながら、爽やかに片手を上げる口髭の紳士……ガーデロン。
階下に降り立ったサイプレスは、目の前の惨状など見えていないように笑い返した。
「『それ』、お好みに合いましたか?」
「もちろん!」
爪を立てて暴れる自称妹に目をやり、うっとりとした顔をする。
「小さくてふわふわで可愛らしい、いかにもな女の子! こういうのがいいんだよ、こういうのが」
そう言いながら、頬擦りするように顔を寄せた。
「卿は私のことをよく分かっている」
「恐れ入ります」
恭しく応じると、フッと真顔になる。
「……あとはもう少しだけ、尻があれば……」
「……左様で」
「はは、なんてね。なに、約束通り、支援は惜しまないとも」
小声だけに妙な現実味のある台詞を吐いたのち、ダンスを踊るように自称妹の右手に指を絡ませる。
「いずれにせよ、調教しがいがあるというものだ。腕が鳴るよ」
「ひっ」
左の指先を手の甲に滑らせると、青ざめて悲鳴を上げる自称妹。父が子爵家の兵越しに怒鳴る。
「やめろ!娘から離れろ!!」
その暴れっぷりに、冷静に判断を下す。
(そろそろガーデロン家の兵だけでは辛いか)
サイプレスが片手をひら、とさせると、瞬く間にサイプレスの兵が父を床に押さえつける。ギョッとした顔で兵たちを見る父。
「おい、何をしている!?私はお前たちの主だぞ!!」
ガーデロンはちらとそちらを見たが、すぐに視線を前に戻した。
自称妹が、怯えた目で自分を抱きすくめる男の顔を見る。
「あ、あなた……誰……。さっきから何を……言っているの……?」
「ふふふ、そうだねえ、頭空っぽの君じゃ分からないねえ」
にぎにぎと自称妹の手を握りながら、甘ったるい声で囁く。
「教えてあげよう。僕はガーデロン。アルデバラン・ロイ・ガーデロン。
───“北部の檻”、今代の看守だよ」
北部辺境には数家、“檻”と呼ばれる家がある。
はっきり罪と言えないが、周囲を荒らし、あるいは攻撃して、確実に害をもたらす「問題児」。特に貴族を引き取り、矯正する家。
それこそが、“檻”。ガーデロン家も、その一つだ。彼らは“檻”としての役目を賜り、その対価として、鉱国北部の物流を取り仕切り、財を成すことを許されてきた。
当主や家人の婚約も、その務めの一環。とはいえ、普通は数代に一度の「檻」の役目を何代にも渡って務めているので、勘違いしている貴族も多い。庶子であるウルスラを押し付けて金をむしり取ろうとしていた前デュボワ侯爵も、恐らくそうなのだろう。ぽり、と頬を掻く。
(……まあ、ガーデロンに関して言えば、全くの見当違い、というわけでもないが)
その性質上“檻”の当主……“看守”は、他人の性根を叩き直すことに生涯を捧げる変わり者か、嗜虐趣味の変態が大半だ。身内も匙を投げるクズを大勢相手にする以上、そうでないと精神を病む。
目の前の彼を含む、歴代のガーデロン家当主は、主に後者。なので「金持ちの変態一族」という表向きの評価も、あながち間違いではなかったりする。
そんなガーデロンはするりと自称妹の頰をなでた。
「安心すると良い。君が面白くなくなったら……もとい、きちんと自分の罪を理解して反省したら、修道院にでも入れてあげるからね」
「ヒッ……」
余談だが、“檻”でも「更生の見込みなし」と判断された場合。男は肉壁として、女は兵士専門の娼婦として、対軍国の最前線へ「出荷」されることになっている。
人も、資源なのだ。ただでさえ恵みの少ない北の地、ただ幽閉するだけなど、場所と食料の無駄というものである。
そんな話を長々と聞かされた自称妹は、ただでさえ良くなかった顔色を紙のように白くした。父の怒鳴り声が大きくなる。
ガーデロンが人懐っこい笑顔で振り返った。
「ああ、その場合でも、サイプレス家への支援は契約通り行うよ。安心しておくれ」
「ありがとうございます」
心からの謝意を伝えると、なんの、と首を横に振る。
「北部辺境の物流を担う身としても、これ以上サイプレス領の復興が遅れるのは本意ではないからね。この借りは、橋と道で返してくれ」
「……」
もはや言葉は無用だった。一礼して敬意を示す。
「ガーデロンッ!!」
「それにしても、お優しいことだ。政略を破綻させ、家財を使い込み、分家に付け入る隙を与えた元凶の一人に、罪を悔い改め家の役にも立てる機会を作ってくれるなんて」
酷く機嫌がいい様子のガーデロンは、父を無視して自称妹の耳元に吐息をかけるように囁いた。
「妹想いの、いいお兄ちゃんじゃないか。よぅく、感謝するんだよ?」
そう言うと、ふん、と鼻で笑って、自称妹を突き放す。その力はあくまで弱かったが、自称妹はへたり込むように尻餅をついた。ガーデロンが連れてきた侍女が、その腕を捕まえる。
「じゃあ、連れてくよ」
「ええ。書類なんかはあとで追いつかせます」
父が喚く中、鼻歌まじりに踵を返したガーデロンだったが、扉の前でふと思い出したように振り返った。
「あ、そうそう。子ができなくなる処置は予定通り執り行うよ。立ち会うかい?」
「ええ、お願いします」
その言葉に、父は一瞬固まり……血を吐くように叫んだ。
「何故!何故!!」
「なぜ? 跡目争いに負けた奴の末路なんて、こんなもんでしょ」
「俺たちは武門です。奪られたら奪り返すまで、でしょ?」
あれが本当に父の血を継いでいるかなど、もはやどうでも良い。
しかしいずれ子を産み、サイプレス家の継承権を主張されたら困る。床に爪を立てて叫ぶ父。
「お前はデュボワの婿の座を狙っているのではなかったのか!?」
「どうして、優秀で正当な嫡子である俺が、どこぞの馬の骨に家督を譲らにゃならんのです?」
馬鹿馬鹿しい、と付け加えると、かっと顔を朱色に染めた。ようやく騙されたことに気がついたらしい、含み笑いをしてしまった。
ゆるりと振り返り、ねっとりとした視線を送る。
「父上もお人が悪い。愛する女との子を、こんな血生臭い世界に引き摺り込むなんて」
「……ッ!!」
きつい目で睨めつけてくるのを、鼻で笑ってやる。その隙にガーデロンが広間から出て行き、ガーデロン家の兵や使用人もそれを追った。
最後の一人が完全に外に出て、黒い革手袋の使用人が、後ろ手に扉を閉じる。
「……さて」
お読みいただき、ありがとうございました。




