2-26. 前夜
ウルスラ・デュボワの動きを助けつつ、自分の簒奪の準備も進めて、二年。
いつものように王都邸の自室で執務をしていると、ノック音が響いた。入室の許可を出す。
「失礼いたします」
そう言って入ってきたのは、チャイブだった。一礼し、サイプレスの手元を見やる。
「灯りが漏れているのが見えて、もしやと思いましたが……そろそろお休みになりませんか?」
「……そうだな」
目頭を揉みながら答える。
今日は卒業式だった。彼はもちろん、スレスレの成績だった側近候補たちもどうにか───本当にどうにか卒業でき、無事貴族として残れることが決まった。
そうして明日はいよいよ敵地───サイプレス侯爵領へ向かって出立する。
そこまで考えて、ハッと自嘲した。
(自領を「敵地」とはな)
まあ、別に領民も彼の味方ではないので、間違ってはいない。優雅にお伺いを立てるチャイブ。
「お休みの前に、お飲み物をご用意しましょう。アルコールとお紅茶ならどちらが?」
「……紅茶」
「かしこまりました」
そう言うと、ワゴンを運び入れて紅茶の準備を始める。学園のサロンで従者の真似事を始めて以来、これは自分の仕事だと認識しているらしい。
机の上を片付け、テーブルセットへ移る。
ポットに湯を注ぎ、カバーを被せて蒸らしていく。その様子をなんとなしに眺めていたサイプレスは、ふと問いかけた。
「他の連中はどうしている?」
「大半は自室で休んでいます」
現在、配下予定で卒業と同時に学園の寮を出た者たちは、一時的にこの邸に身を寄せている。彼らのことを尋ねると、チャイブはすぐに答えてみせた。
「仲の良い者同士は酒を酌み交わすなどしているようですが、静かにやっています……アーティチョーク姉弟以外」
「……何をやらかした?」
低く尋ねると、苦笑して首を横に振る。
「何か、というほどのものではないのですが……気が昂っているようです。先ほどは邸内を二人で追いかけっこして、レアンドロたちに『うるさい』と抗議されていました」
「何やってんだ、あいつらは」
思わず呆れ声を出す。無駄に広い邸なのだから、寝部屋に音が聞こえない距離ではしゃげばいいものを。一応、チャイブとオレガノが二人を別棟に放り込んで解決したらしいが、明朝の説教が確定する。
しかも騒いでいる本人たちは、どんなに夜更かしして暴れても、翌日にはケロッとした様子で一日中元気いっぱい過ごしているのだ。もはや感心すらある。
「あいつらのあの体力は、どこから来るんだ。あれか?砂海の聖泉にでも繋がってんのか?」
「同感です。何故ああも四六時中、はしゃいで騒いで駆けずり回っていられるのか……」
サイプレス一派の七不思議である。
「で、そのオレガノは」
「今夜は夜通し鍛錬に励む予定だったようです」
そこをチャイブに呼ばれて、アーティチョーク姉弟を別棟に放り込んだ。そこまではいい。
「しかしその後、ジギタリスとアーティチョーク姉弟によって、酔い潰されました」
「あいつら……」
明日からは長距離移動が控えているのだから、休める時に休んだ方がいいと思ったらしい。その判断自体はありがたいが、オレガノは酒絡みの調略に引っかかりそうだ。
(少しでも酒に強くなるよう鍛えてやるべきか。いや、その前に酒量の管理と場の空気に流されない振る舞いを)
悩んだ結果、こう絞り出す。
「………落ち着いたら飲み会をやるぞ」
「良い酒を準備しましょう」
微妙にズレた発言をするチャイブ。なお、ジギタリスはオレガノを部屋まで送り届けてそのまま寝たらしい。マイペース過ぎる。
「ならローズマリーは?」
すると、露骨に目を逸らすチャイブ。
「おい?」
「………『王都で過ごす最後の夜だし、遊び納めをしてくる』だそうです……」
「いつか刺されるぞ、あいつ」
確かにローズマリーは、王都基準でも一族基準でも抜群に美人だが、性格は悪いなんてものじゃない。
誑かした男たちが己を求めて争うのを、ワイングラス片手に、高笑いして鑑賞するタイプの人間である。任務以外ではもう少し無害に仕上げたかったのだが、ダメだったらしい。ため息を吐く。
「王都の野郎も、なんであんなのに引っかかるんだか」
「田舎から出てきた若者は警戒心が薄く、反応も面白いとのことで……」
「プロならプロらしく、玄人とだけ遊べと何度言ったら……!! もういい、奴も明日の朝説教だ」
さすがに今夜は睡眠時間が惜しい。良くも悪くも、ローズマリーが王都にいるのは今日までだ。せめて「一夜限りの恋」と、良い思い出にしてくれればいいのだが。
そうこうしているうちに、紅茶が仕上がった。カバーを外し、カップへ注いでいく。
その軌跡を見ながら、サイプレスはぽつりと呟いた。
「お前がこうして、この邸で紅茶を淹れているのを見ると、妙な気分になるな」
「おや」
するとチャイブは、どこか楽しそうに聞き返す。
「そうですか? 入学からかれこれ六年間、おそばでお仕えしておりますが」
かた、とテーブルにカップが置かれた。明るい茶色の水面をじ、と見つめ……独り言のように問いかける。
「前に俺の指示で暗殺計画を立てた時、お前は『家から指示があったから』とか言っていたが」
「お前がチャイブ家から送り込まれた密偵なのは、本当だろ?」
その問いに、チャイブはふと顔を上げた。しっかり目を合わせ、微笑んで、一言。
「はい」
───サイプレス一族は、そのほぼ全てが影の務めを担っているが、家ごとに得意とする手法が異なる。
アーティチョーク家は社交界や市井など、大衆への情報制御と収集。ジギタリス家は毒や罠の製造・運用。ローズマリー家は性別を活かした調略。
お家芸、とでもいうのだろうか。例外はオレガノ家などの一族の守護を担う家、そして彼らの頂点に立つサイプレス家くらいだ。
その中でもチャイブ家のやり方は、単純で、だからこそ最悪を極める。
彼ら彼女らは、ことが起こる前から標的周辺に潜り、数年、数十年かけて近づき、尽くす。そうして信用を得て、最終的に標的にとって欠かせない……誰より信頼される相手になる。
そして真の主からの命令が下った瞬間、初めて牙を剥き、致命的な隙を生み出すのだ。この方法で、チャイブ家は多くの敵を屠ってきた。
本来は国を脅かす外敵にのみ向けられるものだが、蹴落とし合いが常習化しているサイプレス一族である。分家間の争いでその力が振るわれることは、ままあった。目を細め、今にも笑い出しそうな口調で宣う。
「やはり、バレておりましたか」
「バレるわ」
一族ではサイプレスに次ぐ地位を持つ分家が、直々に送り込んできた子息だ。何かあると思うのが普通だろう。「チャイブ」は小さく肩をすくめた。
「一応聞いておくが、お前は何だ?チャイブ家の影か?」
「そのつもりで育てられていたとは思います。物心ついた頃には、チャイブ家の影を育成する里におりましたので」
そう言われて、ふと思い出す。作戦中、何度か顔を合わせたチャイブ家の影は、「チャイブ」とやけに親しげだった。
苦楽を共にしてきた同郷の仲間の距離感、というのであれば、納得だ。
「貴方様が……サイプレスの令息が王都の学園に行くからと、年齢の釣り合う私が引っ張り出されました。一応、当主夫婦の血を引いた、爵位継承権のある子息だそうですよ。知りませんけど」
「知らないんじゃねえか」
即座にツッコミを入れると、とうとうケラケラと声を立てて笑い出した。カップに口をつける。
(……まあ、恐らく本当に当主夫婦の子なのだろうが)
目の形がチャイブ家に多いそれだし、顔立ちは現当主夫人にそっくりだ。一息に紅茶を飲み干す。
ややあって、チャイブは笑いを抑えながら口を開いた。
「……私は、チャイブ家の進退もサイプレス家の未来も、一族の行く末も、どうでもいいのです」
凍るような淡い水色の目が、三日月型に笑んでサイプレスを捉える。
「ただ、『私』という道具が壊れる日まで使っていただければ、満足です。他ならぬ、貴方様に」
「……前から思っていたが」
ソファに体重を預け、肘置きに頬杖をつく。
「お前、さては頭おかしいだろ」
「光栄です」
そう言うと、跪き、サイプレスの手の甲に唇を押し当てた。
「貴方様にお仕えすることこそが、我々の使命。そして、魂の悦びなのですから………」
とことん胡散臭い男である。
お読みいただき、ありがとうございました。




