2-17. 「冷たい」
一ヶ月後。
月末で領地に戻った彼が、自室で執務をしていると、ヨーナスがやってきた。
「坊っちゃま……ビエール山の軍隊ネズミの討伐ですが……」
「ビエール……イロール村周辺か」
先日訪問を拒否された、あの村だ。彼が平静を装って応じると、ヨーナスは必死の形相で食いかかった。
「本当に行かれないのですか? あの村が危険な状況だということは、坊ちゃんなら重々承知されているはずです!」
「……そうだな」
ぺら、と確認を終えた書類を左に積む。
「だから、一時避難の勧告を強めている。先日も使者を送った」
「そうではなく……!」
ヨーナスの言いたいことは分かっている。そっと息を吐いた彼は、書類を捌く手を止め、背もたれに寄りかかった。
「……先月の一件は知っているな?」
すると、勢いを失ったように肩を落とすヨーナス。
「はい……報告書を読みましたし、ガンダルフォからも聞いています」
「なら、分かるだろう。私も、私が率いる部隊も、二度とあの村に行かない」
後回しにされがちな地域を守るための慣例、その大前提である「友誼のある村だから」という建前が消滅した。緩やかに首を横に振る。
「私が動くのは、もう無理だ」
ヨーナスも慣例は知っている。説明は不要だろう。するとヨーナスは、怯みながらも縋るように言った。
「学のない平民です、噂を鵜呑みにしてしまうこともあります。どうか……寛大な対応をお願いできませんか」
眉尻を下げ、深々と頭を下げるヨーナス。その姿に複雑な気持ちになりつつも、彼は頷くことはできなかった。
「……仮に、私が許したとしてもだ」
指折り、条件を数える。
「村周辺の地形と街からの距離、魔物の数や強さ、騎士たちの人数と体力……。諸々の事情を考慮すると、イロール村で休むことなく強行軍で帰還するのは、現実的ではない」
それは、先日の件で痛いほど分かった。あれを毎月やっていたら、兵たちが保たない。
「兵たち自身も拒否するだろう。……私はサイプレス侯爵『令息』、侯爵ではない。騎士隊への命令権があるのは、サイプレス『侯爵』のみだ」
彼には、当主代行の権限も兵への命令権も与えられていない。
勝手に出動命令を出せば、それは立派な越権行為だ。最悪、反逆行為と見做されて、彼と彼に従った者たちの首と胴が離れる。
「私が彼らにできるのは、ただの『お願い』だ。嫌だと言われればそれまでだ」
それでも、渋面をするガンダルフォに頼みこんで、様子を見に行ってもらったりもした。彼がその場にいなければいいのか、と。
もちろん、兵としての派遣はできないので、あくまで一時避難を勧告する使者としてだ。それでも、村人の態度は変わらず。
『そんなに行商人と領主様を信じているのであれば、彼らに守ってもらえばいい』
そう言い捨てて取って返してきたと、憤懣やるかたない様子のガンダルフォから、報告を受けた。どうやら、彼と遊び呆けている共犯者のような扱いだったらしい。謝り倒す他なかった。
……ガンダルフォの主張は正しい。これは、彼と領民の信頼関係の問題だ。
問題の噂は、彼が気がついた時には、領内のあちこちにばら撒かれていた。
危険な道を通り、生活物資を運んできてくれる行商人は、街から遠い村落にとって生命線そのもの。その信頼は高い。イロール村ほど攻撃的だったのは稀にしても、完全に信じきっている様子だった。
ただでさえ、自分たちの出自と土地に誇りを持った民だ。「学園に通っている」という事実だけで裏切り者のように責められた。黒いものがこみ上げる。
(……それにしたって、こんなに信じてもらえないなんて)
本当は、気がついてないだけで、何か彼らの信頼を損なうようなことをしてしまっていたのだろうか。
頭を振り、暗い考えを追い出す。
ともあれ、もう彼があの村を助けてやることはできない。訪問の体を取った討伐も、あくまで「慣例」であって、明文化されているわけではないのだし。
今後は規則通り、公平に領地への影響を評価された上で、兵の派遣が検討されるだろう。
「あとはもう、領主である父上自身が慣例を実施するか、大人しく一時避難に従うしかない」
「そんな冷たいことをおっしゃらず!」
祈るように手を組み、懇願する。
「坊っちゃまが……坊っちゃましか頼れないのです!!どうか……!」
「………私は、冷たいか」
ヨーナスにも聞こえないくらい小さな声で呟く。
確かに、自分は冷たいのだろう。危険だと分かっていて、何もできないのだから。
きつく目を瞑り、静かに告げる。
「……元々、ギリギリの状態で回っていたんだ。存続可能な形で回すことも必要だろう」
そして、再び書類を繰り始めた。
「領軍の派遣についての規定を見直そう。いずれは、慣例に頼らずとも、領地の問題を解決できるようにしなければ」
「………かしこまりました」
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