2-11. 遭遇
「おっもい……」
行程も中ほどまで来たところで、班員の一人……アルムがぽつりと呟いた。
くじ引きで盾持ちを担当することになった彼は、誰にも咎められなかったのをいいことに、そのまま愚痴を続ける。
「今日の装備って、こんな重かったか……!?」
「違う、絶対違う」
「肩に食い込む……」
最初の一人を皮切りに、次々音を上げる班員たち。彼も子どもの時の自分を思い出して、小さく苦笑した。
「疲れてくるとなぁ……最初はどうってことなかった負担が、ずっしり来るモンなんだよ」
「体力をつけて、あとは慣れるしかないな」
オレガノがそう付け加えると、振り返ったバラントがこちらを見て嘆息した。
「サイプレス侯爵令息とオレガノ男爵令息はすごいですね……。涼しい顔をされておられる」
「……自分はちょくちょく領地で魔物・害獣討伐をしているので」
「同じく。ウチの領地は、大半が切り立った山岳地帯だからなァ?」
ざし、と地面を踏み締める。
「それに比べりゃ、このくらいの道は石畳歩くようなモンだ」
「そうですね」
「ひぇ」
オレガノが短く同意して頷くと、アルムが情けない声を上げた。囁き合うバラントとローデンへルム。
「サイプレス一族の領地って北部辺境だろ? 地形もそうだが、かなり寒いよな?」
「凄まじいな……」
その様子を見ていた班長のエッカルトは、地図を広げて現在地を確認した。
「もう少し行けば開けた場所に出ます。そこで一度、休憩を取りましょう」
「そうだな」
完全に士気が下がってしまっている。疲れも出ているし、一度気分転換を入れた方がいい。同意すると、エッカルトが班員にその意を伝達する。やややる気が持ち直した班員たちに胸をなで下ろしたところで、彼はあるものに気がついた。
「…………」
立ち止まり、木の幹をすり、となでる。オレガノも気がついて、小声で進言した。
「……若様」
「ああ。……悪い、止まってくれ」
侯爵令息の言葉に、班員たちがぴたりと止まる。先頭にいたエッカルトが、戸惑い顔で彼のところまで戻ってきた。
「どうされましたか、サイプレス侯爵令息」
「エッカルト……班長。提案だ、ルートを変えないか」
「え?」
狼狽えるエッカルト。
「な、何故ですか?」
「これを見ろ」
そう言って、彼は木の幹の傷跡に視線をやる。わらわらと集まってきた班員たちは、皆一様に不思議そうな顔をした。
「……? 野生動物の痕跡ですね」
「この森には鹿が生息しているそうなので、それでしょうか。これが何か?」
「……ああ、そうか。お前ら王都育ちか」
ならば知らなくてもおかしくない。手の甲で木の幹をこん、と叩く。
「こいつは、熊の爪痕だ」
「「「くまぁ!?」」」
オレガノを除く班員たちが、悲鳴のような声を上げた。構わず解説を続ける。
「熊ってのは、あの図体で意外と木登りが得意でな。登り降りすると、こうやって爪痕が残る」
体重も膂力もそれなりのものなので、かなりしっかり痕が残るのだ。
「鹿が角を擦った痕はもっと乱雑で、高さも低めだからな。比較的見分けはつきやすい」
「な、なるほど……」
「若様!」
すると、少し離れたところを調べていたオレガノが声を上げた。
「こちらには足跡と熊剥ぎが……!」
「クマハギ?」
「樹皮をひっぺがして、内側の層を食うんだよ」
その名の通り、やはり熊の痕跡の一種だ。走って戻ってくるオレガノ。
「かなり新しいです」
「こっちもだ。冬眠前の痕跡とかじゃあない。確実に、今起きている熊が、近くにいる」
確信を持った一言に、この世の終わりのような顔色になる班員たち。その中の一人、ローデンヘルムがそれでも気丈に反論した。
「しかし、教員が事前調査を行ったと……」
「見逃したのかもしれないし、演習までの間に調査の範囲外から移動してきたのかもしれない。向こうもこちらも生き物だ、『絶対』はありえない」
獲物を追ってくる、狩人や天敵に追われて逃げてくる。野生動物が移動してくる状況なんて、いくらでも想像できる。そう言って、彼は肩をすくめた。
「俺に言えるのは、『最低でもここ数日以内にできた熊の痕跡が、今目の前にある』という事実だけだ」
しん……と静まり返る班員たち。頭上で枝葉が不吉な音を立てて揺れる。
再度口を開く。
「とりあえず痕跡のない地点まで引き返して、改めて安全なルートを探りつつチェックポイントを目指す。そこで教員と合流して判断を仰ぐべきだと進言する」
そうして、立ち尽くす班員の一人の顔を見て、投げかけた。
「で、どうする」
「へ!?」
青い顔で話を聞いていたエッカルトが、素っ頓狂な声を上げた。噛んで含めるように言い聞かせる。
「今、この班の指揮官はお前だろ?エッカルト班長」
すると、エッカルトはハッと息を呑んだ。
「そ……うですね。その通りです」
そしてすぐに居住まいを正して、咳払いをした。
「サイプレス侯爵令息の意見を採用します。よろしいですか」
「賛成!賛成!!」
「すぐに引き返しましょう!」
次々と賛同する班員たち。頷くと、来た道を手で指し示す。
「では引き返しましょう。とりあえず、さっき迂回した大岩のところまで戻って……」
言いかけたその時、何かが草むらをかき分けて近づいて来る気配がした。
咄嗟に身構える。
しかし茂みから飛び出してきたのは、学園支給の装備だった。
倒れ込むように現れた男子生徒は、がばりと顔を上げてこちらを認めると、一瞬安堵の表情を浮かべる。
そしてすぐ焦った顔になった。
「たっ、助けてくれ!」
開口一番そう叫んで、こちらに手を伸ばす。
見ると、背後には血みどろの男子生徒二人と、それを支える三人の班員。どう見てもただごとではない。
助けを求めてきた生徒に声をかける。
「何があった?」
「ヒッ!サイプレス侯爵令息!」
悲鳴を上げるのを無視して、詰問する。
「いいから答えろ」
「あ、あの……あ、歩いてたら、急に茂みからでっかい熊が……!」
それで恐慌を思い出したのか、わたわたと手を動かしながら状況を説明する。
「それで、手前にいたレアンドルとオラツィロが襲われて……!」
「げえ!?やっぱ熊かよ!!」
平民のバラントが素に戻って悲鳴を上げた。緊迫した空気の中、細く息を吐く。
「演習は中止だ」
低い声で告げると、全員がハッとこちらを振り返った。
先ほどは班員の判断を尊重したが、こうなってしまった以上、悠長な真似はしていられない。鋭く指示を飛ばす。
「急ぎ拠点まで引き返すぞ。両班の盾持ちは周囲の警戒を」
「負傷者の装備は分担して持つ、寄越せ」
ここまで負傷者を担いで逃げられたのだから、他の班員は元気だろう。青い顔の三人に問いかける。
「熊は一体か? 向こうから襲ってきた?」
「っ、はい!」
「一体であちらからです!!」
すると、黙りこくっていた一人が、はっと顔を上げた。
「で、でも、オレ、クマ公に一発喰らわしてやりました!」
泣き笑いの顔でほら!と、震える手で血のついた剣を掲げる。
ローデンヘルムが顔色を青から白に変えた。思わず舌打ちをする。
「阿呆が」
「へ?」
ぽかんと口を開けた、その時だった。
───黒い巨体が、姿を現した。
『グルァァァァッ!!』
怒りに染まった咆哮が、鼓膜を揺らす。興奮しきった様子の熊は、手前の班員に向かって鉤爪を振り上げた。
反射的に叫ぶ。
「盾!前へ!!」
その号令に、はっとした盾持ちの生徒が飛び出して、構える。
鈍い音が響き渡った。
「……ッ!」
盾の裏、妙な方向に曲がった手首が見えた。エッカルトが怒鳴り声を上げる。
「闇雲に攻撃したところで、刺激するだけなんだよ!!」
「あ………」
熊に限らずだが、魔物や猛獣と出くわした場合、立ち向かってはいけない。
理由は単純。こうなるからだ。狩人や騎士でもない限りは、極力刺激せず、速やかにその場を立ち去るのが鉄則である。吼える熊。
『バォォォッ!!』
(どうする)
領地でも熊と戦闘になったことはあるが、あれは周囲が熟練の兵士で、かつ十分な準備があった時の話だ。この軽装と新兵以下の学生では、どうにもならない。
血の赤が視界に入り込む。
(出血が酷い)
早く治療しなければ。視線を滑らせる。
手首を押さえ、青い顔で冷や汗を流している盾持ち。
怯え切って剣を抜くことすらできていない班員。
おろおろしている斥候、怪我人多数。
(どうする)
迷っていると、傍らにいた男子生徒が一歩、前に出た。
「私が囮になります」
男子生徒──オレガノは震える声で言った。
「若様は、怪我人を連れて撤退を」
「……ッ」
躊躇ったのは一瞬だった。そばにいた怪我人に肩を貸す。
「……後で拾ってやる。死なずに待ってろ!」
頷いたオレガノが剣を抜き、鞘を叩いた。金属のぶつかり合う音が響き、熊がそちらを向く。
オレガノはそのまま熊の注意を引きながら、ゆっくりと集団から距離を取り始めた。
その隙に固まっている者たちに檄を飛ばし、撤退の指揮を執る。腰を抜かした班員を引きずりながら、叫んだ。
「跡だけ追えるようにしておけ!」
「はい!」
クマの生態については、素人がネット知識で書いた内容なので、悪しからず。
お読みいただき、ありがとうございました。




