2-8. 醜悪
領地の自室は、まるで強盗に入られたようだった。
ところどころ破り取られた衣服、金具が壊れヒビの入った小物入れ、側面の割れた引き出し。
中身ごと床に撒き散らされたそれを見て、彼は眉を顰めた。
(またか)
彼が学園に通うようになってから、丸二年。その間に邸は、すっかり自称妹のものになっていた。
邸に来てすぐの頃、自称妹は「貴族になったのだから、きれいなものがほしい」などと言い出し、高価な品を強請った。宝石やドレス、装飾品など。
そしてよりによって、彼の部屋に目をつけたのだ。堪らず抗議すると、父は平然と言った。
「次商人が来るのは、来月だ。それまで待たせたら可哀想だろう?」
「私の持ち物です!」
「つまり、当主である私の物だ」
そしてフン、と鼻を鳴らした。
「私が私の物をどうにかするのに、何故お前の許可が必要なのだ。身の程知らずめ」
「わーい、お父様、カッコイイ!」
「だろう?」
それ以来、自称妹と父の指示を受けた使用人が無断で乗り込んできて、彼のものを不在の間に盗んでいくのだ。ため息を吐き、手前に落ちていた小物を拾い上げる。
誕生日に贈られたペンも。
元婚約者と揃いで誂えたピアスも。
小遣いで買ったペーパーウェイトも。
月末、領地の執務をしに戻るたび、無くなっていく。男の彼の持ち物など、趣味に合わないだろうと思っていたら、そういうものは売り払って、自分の小遣いにしているらしい。
なんと卑しく、醜悪なのか!
宝石の使われたカフスまでむしり取られて、今はもう無い。信用する数人しか知らないはずの隠し場所まで空になっていた。
不在の間に置き場所の変わった物を、慣れた手つきで配置し直す。
(この調子だと、部屋の物が減らなくなった時には、奪られて困るようなものは一つもなくなっていそうだ)
苦々しく思っていると、家令のヨーナスが姿を現した。
「坊っちゃま。お時間いただけますでしょうか?」
「どうした」
「実はその……坊っちゃまに、ご相談が」
ぱちりと目を瞠る。
「……お茶会?」
片付けを中断し、椅子に腰かけてそう聞き返すと、ヨーナスは前で組んだ指を気まずそうに動かした。
「表向きには、家庭教師による講義ですが」
以前も言ったが、鉱国の貴族・王族に生まれた子は、学園に入学する義務がある。
生まれた時、あるいは自称妹のように届け出が出された時に与えられた貴族籍は、あくまで仮のもの。学園の入学試験を受け、卒業試験に合格しなければ貴族として認められず、その権利を振るうことは許されない。
入学資格は、十二歳以上であること、入学試験に合格すること。入学試験は落ちても、二回まで再受験できる。
しかし、自称妹はそれも全て落ちたらしい。さもありなん、と思う。
(アレは、いまだに敬語の一つも使えないからな)
設立したての……父の時代ならば、どうにでもなっただろう。時の王兄であった学園長の下、粛清から逃れた腐敗貴族が運営に干渉していたのだから。
近年では、そうもいかない。ガラク家とシュゼイン家が徹底的に膿を取り除き、不正の中心人物であった副学園長も、何年か前に亡くなっている。
今や学園は、ほぼ完全にクリーンな状態なのだ。王家が色々と残念な第三王子を突っ込むのすら、かなり苦労したと聞く。
(学園……王都におけるサイプレスの権威は、王家ほどではない)
残念王子以下と思われる自称妹の入学など、叶うはずもない。
幸いというべきか、二十歳までに卒業試験に受かれば入学試験の不合格は見逃されるので、父はそれを狙っているらしい。あれは在学生以外でも受験可能だ。
そこまでは分かる。
「しかし、何故教師役が同年代の女性ばかりなんだ?」
とん、とヨーナスから渡された家庭教師のリストを指で叩く。
「卒業試験を狙うなら狙うで、専門の家庭教師がいるだろう」
お茶会というのもよく分からない。すると、ヨーナスは足元に視線を落とした。
「手配する際、お嬢様が『家庭教師よりお友達がほしい』と仰って……」
「それを受けた旦那様が、同年代から探すように、と……。形式もお茶会で……」
「…………」
思わず額を押さえる。
同年代は同年代だ、学園卒業レベルの内容を教えられる者がいる可能性は低い。父も、自称妹を貴族にしたいならしたいで、何故きちんとした教師を手配しないのか。
(いや、それより問題なのは)
マナーもへったくれもない自称妹が、外部から同年代の教養ある女性たちを招いて茶会をしている、という事実の方だ。
うんざりしながら口を開く。
「………相談、というのは?」
「……こちらを」
銀のトレイで差し出されたのは、手紙の山。宛名は全てサイプレス家当主……つまり父。
しかし全て開封済みの上、握り潰されたようにぐしゃぐしゃになっていた。
覚悟を決め、一番の上の一通を手に取る。
手紙の皺を伸ばし、中身を検めると、中身は案の定苦情のオンパレードだった。喉の奥が詰まる。
他の手紙も、内容は全て同じ。
(よほどの無作法を晒したな……)
仮にも侯爵令嬢の家庭教師兼友人に任命されるだけあって、文面は整っているが、端々に強い怒りを感じる。背筋を伸ばしていないと、頭の重さで机に突っ伏してしまいそうだ。
それだけでも十分看過できないが、それ以上に不味いのは「ご令嬢に宝飾品を盗られた」という訴えが散見されたことだ。眉を顰める。
曰く、勉強そっちのけでしつこくせがまれ、立場上断りきれず渡したら、そのまま返してもらえなかった、と。
空いた手で額を押さえる。
「……何かあったらすぐに手紙で報告するように、と言い置いたはずだが?」
「旦那様が知らせる必要はないと……」
目を泳がせる家令は、主の指示に従っただけなのだろう。ため息を噛み殺す。
(今ここでヨーナスを責めてもどうにもならない)
「………父上とあの女は今どこに?」
すぐに事実確認をすると、自称妹はあっさりと認めた。
「だって、欲しかったんだもん」
ぷく、と子どものように頬を膨らませる。その態度に苛立ちを覚えながら、極力静かに問いかける。
「……お前は、私が近づくと嫌そうな顔をするな。それは何故だ?」
すると自称妹は、ぐしゃりと顔を歪めた。
「だってお兄様ったら、意地悪ばっかり言うじゃない!
意地悪。意地悪、か。
胃のあたりに重いものを感じながら、吐き捨てる。
「向こうも同じだと、何故分からない? 不愉快なことをされたら、近付きたくなくなる。そんな調子では、いずれ誰もお前のそばにいてくれなくなる」
すると自称妹は、得意げに胸を張って笑った。
「だって私は侯爵?公爵?令嬢なんだから。みんな優しくしてくれないと」
「そうとも。侯爵家と付き合う価値の分からん愚民など、放っておけば良い」
横から嘴を挟んだ父は、愛おしげに自称妹の額にキスを落とした。
「それに、キャシーは可愛いから問題ない」
「……権力を作り、支えるのは、人間です」
窓際に溢れるほど置かれた、薔薇の香り。自称妹が食べ散らかした、領民の食事数ヶ月分になる菓子の匂い。つけすぎた香水。
その全てが混ざって、吐き気がするほど、甘ったるい。
「それに可愛いからと仰いますが、人は、いずれ老います。そうなった時苦労するのは、彼女自身ですよ……」
刺激せぬよう事実のみを端的に述べたつもりだったが、そうは受け取られなかったようだ。ふんと鼻で笑う。
「僻みは大概にしたらどうだ? どうせお前では、側近どころか嫁の来手もないだろうからな」
「えー?男の嫉妬はミニクイですよぉ、お兄様ぁ」
「……そのような事実はありません。サイプレス家に名を連ねるのならば、最低限、貴族として恥じない行いをしてほしいというだけです」
彼の返事が面白くなかったのか、チッと舌打ちをする父。
「ああ、分かった分かった。とっとと下がれ」
「……は。くれぐれもお願い申し上げます」
一礼しそう言い終える前に、父は音を立てて椅子から立ち上がった。
「さあ、キャシー、気晴らしに散歩しよう。温室にキャシーの好きな花を植えさせたよ」
「えー、やったー!!」
完全に二人だけの世界に入った父と自称妹を、暗い気持ちで見送る。
(自分の親一人説得できないのか……)
なのに、もう食い下がって、釘を刺す気にもなれない。
(自分はいつから、こんな人間になってしまったのだろう……)
お読みいただき、ありがとうございました。




