2-6. 学園
王都の中を、サイプレス家の馬車が往く。
抜けるように青い空。春の王都のうららかな日差しは、サイプレスの曇り空に慣れた彼にはあまりに眩しく、目が焼けるようだった。
学園の敷地内に入り、馬車が止まって扉が開く。するとそこには、一人の男子生徒が待ち構えていた。
「お待ちしておりました、サイプレスの若様」
馬車を降りると、男子生徒はサイプレス一族特有のやや灰色がかった白銀の髪を揺らし、優雅に一礼した。
「お初にお目にかかります。わたくし、チャイブ伯爵が子息、エルネスト・アダン・チャイブと申します」
そう言って、やはり一族特有のやや灰色がかった淡い水色の瞳で微笑む。
「若様が慣れぬ『南の地』でご不便なく過ごせるようお仕えせよと、当主より命を受けております。さ、お荷物を」
「……そりゃドーモ」
胡散臭い笑みを浮かべて手を差し出す男子生徒に、彼は口の端を薄く吊り上げた。
「悪いが、初対面の相手に荷物は預けるなと教えられているもんでな。なに、大した重さじゃない」
「……左様でございましたか」
男子生徒───チャイブは笑顔のまま動きを止めると、すっと校舎を手で示した。
「失礼いたしました。それでは、入学式の会場へ参りましょう」
「ああ」
話し方を変え、振る舞いを変えた。
「真面目な好青年」では、舐められるだけだった。積み重ねた努力も誠意も、無意味だった。
誰も助けてくれないし、守ってなどくれない。
(ならばせめて、見かけだけでも強く)
求められているのは、曽祖父のように強く、堂々とした振る舞い。但し曽祖父ほど強すぎると、敵を増やす。
硬軟使い分け、陰謀渦巻く一族の次期当主に相応しく。
嘘でいい、虚勢でいい。足元を見られることがないよう、せめて上っ面だけでも堂々と。
しなやかにして、力強く。
飄々として、揺るがず。
自信に満ち溢れ、侮る者など一人もいない存在に。
強い人間に、なるのだ。
多くの高位貴族がそうであるように、彼の周囲には多くの人が近づいてきた。
大半は分家から送り込まれた一族の者だったが、彼らは「家から言われたからいるだけ」という態度を隠さなかった。借り上げた学園のサロンで、思い思いの遊びに興じる夜雪色の髪と影氷色の目の集団を眺める。
(……知らない顔ばかりだな)
彼はサイプレス家の嫡子だ。最近はともかく、数年前までは、分家の令息・令嬢たちとそれなりに交流があった。
同年代なら側近や婚約者候補になるので、顔を合わせた相手は全員、覚えている自信がある。
しかし、彼ら彼女らとは学園で初めて顔を合わせた。内心、ため息を吐く。
(……各家で持て余している子どもか)
スペア未満の、第三子以降の子。
落ち目のサイプレスにつける子など、その程度で十分ということか。もしくは、次期当主の座から引き摺り下ろすに値する、瑕疵を作らせようとしているのか。
「どちらもあり得そうなのが嫌だな」
「?」
そばに控えていたチャイブが首を傾げた。なんでもないと手を振る。
すると、大柄な男子生徒が近づいて来た。
「若様」
やはり分家の子息だ。最初に一口だけ飲んで放置し、すっかりぬるくなった紅茶に目を向ける。
「淹れ直しましょう。お下げしますね」
彼はちらとそちらを見……ため息を吐いた。
「……少し待て」
そう言って、カップを鷲掴みにする。
───バシャ!
「!」
紅茶を正面から浴びた男子生徒が、ぱっと顔を覆った。わずかに紅茶の残っているカップを、空中でプラプラさせる。
「午後は弟の方か。毎日毎日入れ替わり立ち替わり、よくやるなァ?」
そう声をかけられた男子生徒の指の間から覗いたのは、半分溶け落ちた顔だった。
「……あは」
薄く笑んだ口元、愉しそうに歪んだ淡い水色の瞳と目が合う。
「気づかれちゃった」
変装していた少年───アーティチョーク姉弟の弟は、跳ねるようにテーブルに身を乗り出した。
「今日の変装、何点でした!?」
「四十八点」
カップをソーサーに戻す。
「人がツラと体格だけで他者を判断すると思ってるなら、甘い。所作に気を使え」
「えー、せっかく身長盛ったのにー」
口を尖らせながら、靴の裏からヒールを剥がし取る。これをやるために、わざわざ水で落ちやすい変装道具を使っているのだから、理解に苦しむ。
「で、本物は」
「オレガノ男爵令息でしたら、ご実家の呼び出しで今日はお休みだそうでーす!」
「またか」
聞かれたことに答えると、顔の右半分だけ変装の解けた状態でテラスを出ていくアーティチョーク弟。あんな顔で出て行ったら、また大騒ぎになる。
眉を顰めつつ、適当な取り巻きに命じて後を追わせる。
「で?」
「え?」
傍らに控えていたチャイブが、ぱちりと瞬きした。ソーサーをつまんで、カップごと掲げてみせる。
「この紅茶を淹れたのは誰だ」
「はい、俺で……どぅわっ!?」
手を挙げた男子生徒の顔面を、がっしと鷲掴みにする。
「やっぱりお前か。ずいぶんと刺激的な味付けをしてくれたもんだなァ? ジギタリス」
一口飲んで、すぐに分かった。指に力をこめて吐き捨てる。
「毎度毎度毎度毎度、他人の茶だの菓子だの飯だのに、一服盛りやがって」
「内容が緩い下剤でなけりゃ、とっくに無礼打ちだぞ? アァ?」
「味のいいアクセントになるかと思いまして!いででででで!!」
確かに何も知らなければジャムのような風味だが、そういう問題じゃない。思わずぼやく。
「こいつ、毎回この調子だが、頭おかしいのか? それとも、ジギタリス家の教育が異常なのか?」
「前者でございます、若様」
「だろォな」
だから厄介者扱いされて王都に追い払われたというのに、懲りない奴だ。
悲鳴を無視してチャイブに声をかける。
「テメェもだ、チャイブ。従者の真似事するンなら、毒味までキチッとやれ」
「申し訳ありません」
慇懃に頭を下げるチャイブ。ぺい、と投げ捨てるように手を離す。
「それから、オレガノが戻って来たら、こちらに顔を出せと伝えろ」
現時点で、オレガノはもう何度も生家からの要請で学園を休んでいる。ただでさえ授業に追いつけていないのに、これでは留年しかねない。
すると、サロンに美貌の女子生徒が顔を出した。午前中登校してこなかったその姿に、眉を顰める。
「また午前様か?ローズマリー」
「あら、サイプレス侯爵令息。本日も麗しいお姿ですこと」
女子生徒───ローズマリーはそう言って彼の隣に腰掛けると、大腿に手を置き、耳に息を吹きかけるように囁く。
「低能どもに煩わされてお可哀想に。わたくしが慰めて差し上げましょうか?」
「香水臭い、離れろ」
すると、チャイブが珍しく胡散臭い笑みを引っ込めて苦言を呈した。
「ローズマリー、その汚らしいモノを若様に近づけるな。申し訳ありません、若様」
「ハア!?誰の何が汚らしいって!?」
言い合いを始める二人。
会うたび別人に変装しておちょくってくる、男装と女装の姉弟。
自作の罠やら毒やら仕掛けてばかりの毒狂い。
色仕掛けをしてくる伯爵令嬢、欠席しがちで進級の危うい男爵令息。
「問題児しかいねえのか、うちの一族は?」
「問題児一族の問題児、つまり生え抜きということでございますね」
「やかましい」
極め付けが胡散臭い伯爵令息だ。ローズマリーを追い払い、ため息を吐く。
(忙しいのに)
ともかく、どういう背景であれ自分の管理下で問題を起こされては困る。
バカをすれば引きずってでも謝らせに行き、サボりたがるのを授業に出させ、追い付けないようであれば勉強を見てやる。
「若様は、ずいぶん面倒見が良くていらっしゃいますね。あんな取るに足らない者どもにまで」
チャイブが皮肉を飛ばすが、知ったことではない。取り巻きの課題を採点してやりながら、適当にあしらう。
「こっちにもこっちの都合ってモンがあるんでな」
「サイプレス侯爵令息と関わり始めてから成績が落ちた」「素行が悪くなった」などと言いがかりをつけられてはたまらない。「それは失礼しました」と大袈裟に肩をすくめるチャイブ。
学園での一日が終わり、王都の邸に帰る。
自室に戻り、真っ先に目に飛び込んできたのは、机の上に積まれた書類の山だった。肩から鞄がずり落ちる。
「………」
鞄をソファに放り込む。
確認すると、関連性のないめちゃくちゃな順番で積まれているのが分かった。深く……深く、ため息を吐く。
「………まずは書類の整理からか……」
当初、学園には父へのポーズでだけ通って、あとは王都の邸で執務に集中するつもりだった。
だが、チャイブがいる上、分家の学生たちはあの有様。放置するわけにもいかない。
窓の外、橙色から群青へ変わりゆく空を眺める。
(………今夜は徹夜だな)
お読みいただき、ありがとうございました。




