2-3. 引き返し不可
あの後。
どうにか鍵のかかっていない窓を探して室内に戻ったが、案の定、酷い風邪を引いた。
そのまま三日寝込み、ようやく起き上がれるようになった彼は、家令のヨーナスからとんでもないことを聞かされた。
「母上が出ていく!?」
「正確には『追い出される』ですが……『今日中に出ていけ』と」
グラスを片手に、思わず大声を出す。
痛む喉を指先でなでていると、ヨーナスはさらに続けた。
「旦那様は奥様と離縁されるそうです。離婚届も既に提出してしまわれたとかで……」
「ああもう、なんてバカなことを……!」
ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしるように抱え込む。
───貴族ならば珍しくもないことだが、父と母は政略結婚だ。遡ること十四年前、サイプレス領を中心とした北部辺境一帯に、大嵐が直撃した。
元々、吹雪は多くあれど嵐はさほど来ない土地であり、対策が不十分だったのが災いした。加えて、サイプレス家とその分家が治める領地は、その大半が切り立った山岳地帯。
それに伴って天候も荒れやすく、一年の四分の三が吹雪の冬だ。
一族の長であるサイプレス家の領地は、特に険しい地で、天候も荒い。復興は周囲から遅れに遅れ、まだ数年はかかる見込みである。
(先祖は、地形と天候を利用して、攻め込んできた敵の偵察や奇襲、暗殺を行っていたらしいが……)
災害復興には最悪の条件だ。かつて先祖を守った天然の砦は、今や人や資材を阻む壁となって、復興を阻んでいた。
そもそもが、人が暮らすのに適していない土地なのだ。平時から領主であるサイプレス家が “お務め” の報酬で養っている状態であり、復興の財源など、望むべくもない。
それを補うために結ばれたのが、父と母の婚約だったのだ。母が離縁を言い出すのならまだしも、父の勝手で追い出すなんて、許されるはずがない。
(だというのに、何をしているんだ、父上は!?)
慌ててベッドから飛び降り……動きを止める。
(……今の父上は、明らかにおかしい)
あんな風に感情を露わにする人ではなかったのに、連れてきた少女にベタベタしたり、激昂したり。
元々円滑な意思疎通ができていた訳ではないが、今はそれに加えて、何をするか分からない不気味さがある。
暴力・武力の行使を厭わない様子でもあった。病み上がりで鈍い頭を必死で回す。
(皆を守らねば)
だが、父の命令一つで寒空に放り出されるような自分に、母や使用人たちを守る力は………。…………。
悩んだ末、彼はこう結論を出した。
「……やむを得ん。母上に累が及ぶ前に、生家のソード子爵家で保護していただこう」
不義理もいいところだが、もうとっくに事態は、取り返しのつかないところまで来てしまっている。
せめて、母……大恩あるソード家のご令嬢の身の安全くらいは、どうにか確保せねばなるまい。着替えつつ、ソード子爵家へ送る謝罪と説明の手紙の内容を推敲していると、侍女から続報が入った。
伝言を受け取ったヨーナスが、眉を下げて口を開く。
「奥様ですが……馬車も馬も無しに出て行かれると……」
「はあ!?ありえないだろうっ?」
ソード子爵家は、デュボワ一族の貴族。サイプレスとは別派閥であり、領地も遠く離れている。徒歩では到底辿り着けない距離だ。
それどころか、お嬢様育ちの母の足では、馬車を拾える街まで行けるかも怪しい。母が生家から連れてきた侍女たちだって、そこまで体力に自信はないだろう。
「旦那様から馬車の使用許可が下りなかったそうで……」
「分かった、僕の名で許可を出す。急ぎ準備をしてくれ」
仕上げにジャケットを羽織り、廊下に飛び出す。
「僕はそれまで、母上を引き留めてくる!」
「かしこまりました」
そうして彼は、裏門から出て行こうとする母たちを、ギリギリで捕まえた。
「母上!」
泣き腫らした目がこちらを見る。その様子を痛々しく思いつつ、力不足を詫びる。
「このようなことになり、申し訳ありません。今馬車を手配していますので、どうか落ち着くまで子爵家、でっ……?」
そう言いかけた、次の瞬間。
ぱしっ、と、鋭い音がして、頬に痛みが走った。
「……でよ」
「え?」
「ふざけないでよ!!」
……後から考えれば。
夫の裏切りに呆然自失とする自分を置いて、父親を追いかけて行き、それっきり、三日も顔を見せず。
なのに、自分が追い出される時になってようやく顔を見せ、「出て行け」と言わんばかりに馬車の手配。
母にとっては、その事実だけで、十分だったのだろう。母は呆然とする彼の目をまっすぐ見て、矢継ぎ早に責め立てる。
「どうせお前も、あの男と一緒になって私を笑っていたんでしょう!」
「違……母上」
「この親不孝者!」
手を伸ばすも、振り払われた。わっと両手で顔を覆う母。
「あんな……あんな男の子なんて、産むんじゃなかった!そうすれば、あの男はリネットとかいう娼婦に後継ぎを産ませ、私はさっさと解放されていたはずなのに……!」
「お嬢様……」
母の侍女が、そっとその肩をなでる。指先が冷えていくのを感じた。
なんとなく、気がついていた。
母が自分を疎んでいることに。
母の望んだ結婚でないことは、知っていた。災害の傷跡で苦しむ領地のため、曽祖父が侯爵家の権威を振り翳し、無理やり取りつけたということも。
それなのに、父が恩人であるはずの母を嫌い、托卵の疑いまでかけたことも。そんな父に、母が良い感情を持つはずがないということも。
その血を引く自分のことも、好きではないのではないかということも。
でもまさか、こんな形で突きつけられるなんて。
「お前たちなんて、呪われてしまえッ!!」
母だった人は、それが捨て台詞だと言わんばかりに、門外に飛び出した。こちらを睨んでいた侍女たちも、それに追従する。
「奥様!お待ちください!!」
ヨーナスの声で我に返り、慌てて指示を出す。
「母上を追いかけろ、馬車を拾うか宿を取るために、領都に向かうはずだ!」
「それと、馬車の準備を急げ。僕はソード家へ説明と謝罪の手紙を書く!」
そう命じて、自室への階段を駆け上がる。
『産むんじゃなかった』
そんな言葉が、頭の中をぐるぐる回りながら。
お読みいただき、ありがとうございました。




