2-2. 始まり
別れは、突然やってきた。
ある朝、曽祖父は自室で倒れているところを、起こしに来た使用人に発見された。
既に息はなく、傍らにはお気に入りのワイングラス。こぼれたワインが、まるで血のように絨毯にしみを作っていた。
お抱えの医者によると、病死だそうだ。使用人と一緒になって葬儀の準備に奔走しながら、ぼんやり考える。
(……あんなに、矍鑠とされていたのに?)
葬儀の最中、彼の角度からは、横に立つ父がうっすら笑っているように見えた。
「………高潔なる魂が吹雪の使徒に導かれ、エヴァキア山の頂へ到らんことを」
最後の祈りが終わり、冷たい雨の中埋葬が始まる。棺に納められ、どんどん土をかけられていく曽祖父の亡骸。
雨音に混じって、曽祖父の罵声と怒鳴り声が耳の奥で木霊する。
(……もう、怒られなくていいんだ)
馬車に戻る道で、誰かが「やっと死んだ」と呟いた。
その声が、自分でない自信は、なかった。
──そんな不孝者だから、罰が下ったのだろうか。
「今日この時をもって、この子はこの家の娘だ。そのように扱うように」
曽祖父の葬儀を終えた夜、父は一人の少女の肩を抱いて、そう告げた。
せいぜい十歳───つまりは彼とそう変わらないであろう年頃の子。黒いヴェールを脱ぎ捨て、さっさと離れに戻ろうとしていた母が、ポカンと口を開ける。
彼も思わず大声を上げた。
「は……!?どういうことですか!?」
「聞いていなかったのか? 私が真実愛するリネットの子、キャシーだ。今日からこの邸に住む」
固まってしまった母に代わり、家令と二人がかりでどうにか事情を聞き出すと、やはり、少女は父の庶子らしい。
曽祖父の死と前後して、父の「真実の愛」である娼婦が死に、一人娘が遺されたので、引き取ることにした、と。
平然とそう説明する父が、化け物のように見える。
「王城にも既にそのように届け出た。じき通知が届く」
「正気ですか!?」
その発言に、一気に血の気が引いた。
確かに、少女の髪と瞳の色は、父とよく似ている。やや灰色がかった白銀の髪に、やはり少し灰色っぽい、淡い水色の瞳。
しかし。
(夜雪色の髪も影氷色の瞳も、決して珍しい色ではない)
むしろ、サイプレス一族とその領民は、九割以上その色だ。
まして、相手の女は娼婦。父親が誰かなど、分かったものではない。
大体、母と母の実家の了承なしに庶子をもうけるなど、背信行為に他ならない。怒鳴りつけたいのを抑え、唸るように声を出す。
「……ならばせめて、父上との血縁関係を、呪術的に証明してください」
「なんだと?」
片眉を吊り上げる父。
「お前は妹を疑うというのか」
「……貴族の子として迎えるとなれば、父上一人が頷けば良いという訳ではありません。分家や付き合いのある貴族たちを納得させるだけの根拠が必要となります」
貴族は、血を重んじる。
貴方の子だと言われ、疑いもせず庶子として登録し、養子に入れた挙句、後から違うと判明すれば、途轍もない恥だ。閉鎖的で、部外者を嫌うサイプレス一族は、特にその傾向が強い。まして、対軍国への諜報活動を生業とするサイプレス一族の長たる者が、娼婦に絆されたなど。
幸いにして、鉱国には呪術がある。血や所有・所属といった繋がりを扱うその術は、親子関係を正確に鑑定することも可能だ。鉱国呪術師の総本家であるガラク家に依頼、あるいは王城の監査室か法務部に相談して、呪術師を派遣してもらえばいい。
そう告げた瞬間、父の顔がカッと赤く染まった。
「呪術鑑定など要らん! キャシーは私の娘だ!」
そう叫び、肩を突き飛ばす。
「貴様は我が最愛のリネットまでも侮辱するか!!」
「っ、父上が誰を愛そうが、サイプレス侯爵夫人は母上です! ……大体、私が生まれた時も、そうされたのでしょう!?」
彼は、一族に多い色ではない。
灰色がかった鈍い緑の瞳。癖の強いダークブラウンの髪。
「冬の一族に生まれた夏」と揶揄したのは、誰だったか。そうだな、と短く同意した父は、氷のような目で彼を見下ろした。
「偽者だったら良かったものを」
「は……?」
「ねえ、パパ」
思わず言葉を失うと、少女が口を開いた。
「その変な色の髪の子、だれ?」
すると、父はぱっと振り返って、普段より一段高い声で答えた。
「キャシーのお兄様だよ」
「ふーん。よろしくね、お兄様!」
まるで使用人に投げかけるような軽い挨拶だったが、それすら気にならなかった。
いつも不機嫌で、無関心で、素っ気なくて。
そんな父が、少女を見てとろけるように笑っている。
そう思った瞬間、ふら、と母の身体が揺れた。
「奥様!!」
侍女たちが慌てて母を支える。
思わず気を取られた彼とは対照的に、その光景を冷たく一瞥した父は、再び甘ったるい笑顔を少女に向けた。
「さあ、お部屋に行こうか」
「はーい!」
「!お待ちください!父上!!」
母は心配だが、侍女たちがついている。自室で休ませるよう言いつけて、急いで後を追った。
父の自室の前でようやく追いつき、今にも閉じそうな扉をこじ開ける。
「父上!」
わずかな隙間、鬱陶しそうな目が向けられる。一瞬気圧されそうになり、深呼吸した。
(……落ち着け)
感情的にならず、事実のみを理性的に。
相手の意を汲みながら、自分の主張と要望を簡潔に、押し付けがましくなく。
いつも言われていることじゃないか。
意を決し、顔を上げる。
「……それが父上が決めたことであれば、私たちは従うのみです。ですが……」
ぱしゃん。
一瞬、何が起こったのか、分からなかった。
気がついた時には、髪と顔から水を滴らせながら、馬鹿みたいに父の顔を見上げていた。
空のグラスを片手に持った父が、冷たく命じる。
「放り出せ」
「は」
次の瞬間、ぐっと後ろから襟を掴まれた。顔だけで振り返り、呆然と騎士の名を呼ぶ。
「ウー、ゴ?」
「……失礼します」
そのまま引き摺られて行き、誰もいなくなった玄関ホールを抜ける。そして、雪のちらつく冷たい石畳に放り出された。
光を背負った騎士は、まるで知らない大人に見えた。
扉が閉じていく。ぎょっとして立ち上がった。
「待っ……!」
「……旦那様のご命令ですので」
慌てて駆け寄るも一歩遅く、扉は目の前で閉ざされる。扉の向こう側から、がちゃり、と無慈悲な金属音が聞こえた。
(………どうして)
どうして、こんなことに。
彼はただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
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