1-30. 簒奪者として
申し訳ありません、昨日は絶賛体調不良で死んでました……。「妹」編あと数話というところで……!
耳をくすぐったのは、誘惑するように艶かしく、甘やかな声だった。思わず顔を上げる。
「何ィ吹き込まれたか知らねェが、思ってるほどイイもんじゃないぞ、あれは」
サイプレスの槍がするりと剣をいなす。暗い緑眼と目が合った。
「いいじゃねェか、当初の予定通り中継ぎだけしていって、落ち着き次第テキトーな親戚に投げとけば。それだけ戦えて頭も悪くない、なら、どうとでも生きられるだろ?」
その目は、ずっとウルスラを翻弄してきた人物とは思えないほど、静かで。
「俺なんか可愛いくらいの化け物どもと、一生、やり合う羽目になるぞ」
───ひどく、悲しげだった。
息を呑み……思わず立ち止まる。
「そんなの、嫌だろ?」
「…………そうだな」
ウルスラは臆病だ。
一時の感情でカッとなることはあるが、基本的にはビビリで、意気地なし。あの友人たちに六年間揉まれて、依然この有様なのだから、多分もう一生変わらないだろう。
だが。
「だが私は……誰かが絶望している横で笑っていられるほど、強くもないんだ」
仮に当主代理を済ませた後、どこか遠くの地で、望み通り冒険者として生きていくことになったとしよう。
きっと、故郷の良くない話を聞くたび、気になってしまう自分がいる。そして自分だけ首尾よく逃げ仰せた事実を、後ろめたく思うのだ。
「そうなるくらいなら、最初から一緒に一喜一憂したいな。……何も知らなかった頃には、戻れない」
確かに、最初はただ、貴族の血を引く者としての義務感だった。
けれど、冒険者として貴族として、何度も領地を巡った今、ウルスラは、民の顔を知っている。
一人一人の声を、名前を、握った手の温度を、知っている。
「デュボワ侯爵領、名ばかりの父の領地」以上のものを、知っているのだ。剣を頭の横に構える。
「戻れないなら、進むしかない、選ぶしかない」
与えられた中で、一番ウルスラが後悔しなさそうな道がこれだった。それだけの話だ。
「うん、だから、まあ、なんというか、つまるところ」
飛んでくるナイフを捌きながら、言葉を探す。出てきたのは、笑ってしまうほど単純な一言だった。
「実は私は結構、領民のことが好きらしい!」
その上での打診なのだから、断る理由などない。緑眼が大きく見開かれた。
一瞬動きが止まったところに、斜めに切り込む。はっとして、すぐにまた受け流すサイプレス。
「……くだらないな」
「だが、納得できる生き方だ!」
この道を歩いて、友人たちのようにはなれないかもしれない。
けれど、彼女たちに誇れる自分ではありたいな、と思うのだ。
だからこそ、ウルスラの返事は変わらない。
「私は、私のためにこの道を選んだ。考えを改めたりなど、しない」
「……………ハッ」
槍で肩を叩く。
「わざわざ面倒な方を取るとは、理解に苦しむなァ?」
「私からすれば、お前もよく分からないのだが?」
低く構えながら問うと、サイプレスは煩わしげにウルスラを見た。
「すべての男が、お花畑如きに分かる単純野郎だとでも?」
「そうではない」
再び斬りかかりながら、ウルスラは続けた。
「お前は、なんでもできるのに」
いつも寝ていて、嫌味ばかりで、側近となる相手にも高圧的で横暴で。
けれど、剣筋から日々研鑽を積んでいるのは明白だし、取り巻きたちは子犬のように大喜びで彼の後を追っている。
加えて頭脳、武術の腕、ふとした時に垣間見える所作の美しさ。
ウルスラなどは、気にする価値もない小娘だろう。だからこそ、謙遜や卑下ではなく、客観的に見て、心の底からこう思う。
「何故私のような小物に、いちいちかかずらうんだ?」
わざわざ当主教育まで自ら請け負って、何故。
すると、その瞬間。
───キン、と澄んだ音が響き渡った。
「……喋りすぎたな」
ウルスラの剣を跳ね上げたサイプレスは、そう言ってとん、と槍の先を膝で蹴り上げる。
「今日は『こっち』の話し合いだってのに、無粋な真似ェしちまった」
そして再び薄笑いを浮かべ、槍を構え直す。
「まァ許せ。代わりにとことん付き合ってやるからよ」
「……?おお!」
「そうだな!分かり合うにはこれが一番だ!笑顔!髪型!拳!」
「ハ?何の話だよ?」
……頭の上で、鳥が鳴いている。
地面に突っ伏したウルスラに、声がかけられた。
「オーイ」
「生きてるかァ?」
「生きてる……」
サイプレスの問いに応じると、じゃりり、と、いやあな感覚が口の中に広がった。砂が口に入ったらしい。
が、吐き出す気力がない。サイプレスがその場にしゃがみ込んだ気配がした。
「いきなりぶっ倒れたから、驚いたぜ。角族は馬鹿力の反面体力が無いって、本当だったんだなァ」
「なんの……これしき………」
「無理すんなって」
いつも通りケラケラ笑ったサイプレスは、ウルスラの目の前に、果実水の入ったグラスを置いた。視界の端に、見覚えのある革靴が見える。どうやら、チャイブに持って来させたらしい。すっかり存在を忘れていた。
どうにか起き上がるも全てが億劫で、砂ごと水を飲む。果実の酸味と柑橘の香りは爽快だったが、胃が刺激されたせいか、腹のあたりからきゅるるー……と情けない音がした。
「お腹空いた……」
「……燃費も悪いんだったな、そういえば」
生き辛そうな連中だとぼやきつつ、食事の手配を命じるサイプレス。
チャイブから受け取ったタオルでがしがしと頭を拭きながら、建物の方へ歩いていく。
「俺ァ出かける。食い終わったら、馬車でさっきの場所まで送らせる。予定変更で出た不利益は、後日書面にまとめて請求しろ。それでこの件はチャラだ、いいな?」
「分かった」
ようやく調子が戻ってきて立ち上がりかけたその時、サイプレスがぽつりと呟いた。
「……今まで、散々言って悪かったな」
前を向いたまま、続ける。
「ありゃただの八つ当たりだ、忘れろ」
「忘れない!」
そう言ってパッと顔を上げる。怪訝な顔をするサイプレスに、慌てて言い繕う。
「あ……いや、そういう意味じゃないんだ。ただ……すごいなって」
勉強していてよく分かる。
民を、国を守ることが、どれほど難しいか。どれほどの知識が、経験が、努力が必要か。
進めば進むだけ、なんとなくで見ていた世界の輪郭が、はっきり見えてきて。その複雑さと残酷さに、絶望して。
それでも何かを選び取らなければならない重圧が、常に肩にのしかかっている。
「……『これ』を幼少期から続けていた貴殿らは、本当にすごい」
戦っている間も感じた。あれは、死に物狂いで努力した人間の剣だ。
「突貫工事の私とは、訳が違う。そうであるように育てられた存在……なるほど、納得だ」
きっと、ウルスラがちっぽけなことに悩んでいた間にも、血の滲むような努力を重ねてきたはずなのだ。サイプレスも、……異母兄も。
「経緯や理由はどうであれ、私はその努力をドブに投げ捨てようとしている。非難されて当然だ」
「……」
「自分のやろうとしていることの意味と覚悟を忘れたら、それこそただの盗人に成り下がる。だから、忘れない」
ウルスラは、奪う。
ウルスラ自身のために、奪うのだ。
そこまで考えて、にぱっと笑ってみせた。
「だが、謝罪は受け入れる。ありがとう、気にするな!」
「……そーかい」
再び前を向いたサイプレスは、ひら、と片手を振った。
「なら、せいぜい踏ん張れよ、デュボワ」
「……!……ああ!」
ウルスラ・ユッテ・デュボワ
HP:C 攻撃力:S+
防御:A 素早さ:B
→怪力・頑丈だが、持久力とスピードにやや難があるイメージ。
お読みいただき、ありがとうございました。




