1-25. 潜入
決行の朝。
予定通り目を覚ましたウルスラは、ちりん、とベルを鳴らした。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、リベラ」
そう言うと、初対面の頃よりはるかに柔らかい態度になった侍女に、微笑んでみせる。
名前を覚える。挨拶をする、お礼を言う。
相手の動きや姿をよく観察して、適切な声かけをする。
言葉にしてみればごく当たり前の、しかし徹底しようとするとなかなか難しい助言の数々。それらをきっちり実行した結果、邸はウルスラにとってそこそこ居心地のいい場所になっていた。
貴族令嬢らしく、朝の身支度を手伝ってもらう。
「今日、父上と異母兄上は一族の会合だな?」
「はい」
居心地の悪さを誤魔化すように口を開くと、リベラは柔らかに肯定した。
「なら、庭を散歩してもいいだろうか? せっかく天気も良いし!」
貴族の嗜みとして、デュボワ侯爵邸には美しい庭園があった。自室の窓越しにしか見たことのないそれを、歩いてみたいと要望する。
ウルスラの監視も言いつけられているだろう彼女は、困ったように眉尻を下げた。
「お嬢様……」
「危ないところには近づかない!庭の花にも触らないから!」
そう言って、慌てて食い下がる。だめ押しで、オパールがよくやっているおねだりポーズをしてみた。
「ね?」
逡巡し……ややあって、小さく息を吐く。
「……せっかくの長期休みにずっとお部屋の中というのも、気が滅入りますものね」
そして、眉尻を下げて微笑んだ。
「午後からであれば、どうにか都合がつけられますよ。お付きはレーチェでよろしいですか?」
「ああ!」
とびきりの笑顔を向ける。
「ありがとう、リベラ!」
「いえ、こんなことしかできず、申し訳ありません。……旦那様も若様も、もう少し………」
小さなつぶやきは、聞かなかったことにした。
午前中は本を読んで過ごし、昼食を終えると、約束通りレーチェがやってきた。
慇懃に一礼し、無表情で告げる。
「上手くやりましたね」
近づき、ウルスラを動きやすいドレスに着替えさせながら、淡々と続ける。
「もう二、三、策を準備してありましたが、使わずに済みそうです」
「そうか、良かった」
ウルスラも緊張しながら応える。
───レーチェは、サイプレスがデュボワ侯爵邸に潜り込ませている影だ。
チャイブの……姉妹?同郷?らしい。
今回ウルスラが裏帳簿を探るのを、手伝ってくれる。
レーチェとともに邸内を移動し、目的の部屋───執務室に向かう。誰ともすれ違わず扉の前まで辿り着くと、レーチェが先に中に入り、異常がないことを確認した。出てくると、短く告げる。
「問題ありません。私は見張りをしております。……ご武運を」
「ああ」
その一言とともに、入れ替わりで執務室に入り込む。
目的のものは、執務室に入って左の壁一面に埋め込まれていた。
“再起の門”。
先祖が時の国王から賜った呪具。
あらかじめ登録した持ち主とその近しい血縁者以外、開けることができない、特殊な金庫。
その性質上、サイプレス家の影でも、この中は調べられていない。
(でも私なら開けられる。……中身を、調べられる)
父と異母兄は不在、父と異母兄の息のかかった使用人たちは、リベラたちとサイプレスの手の者が遠ざけている。今が好機だ。
持ち込んだナイフで指先を少し傷つけ、サイプレスから教わった手順で中央の装飾に触れる。
かちん。
どこかで何かが噛み合う音がした。中の仕掛けが動き、
(開いた……!)
ほっとし、すぐに気を引き締める。肝心なのはここからだ。分厚い扉を開けると、そこには、大小さまざまな木箱や文箱、布貼りのアクセサリー箱などが雑多に積まれていた。
自分の寮の部屋の様相を思い出して、ちょっと眉を顰める。
(こういうところに血筋を感じたくはなかったな……)
仕方がないので、とりあえず一番手前の箱を開く。
最近の日付の帳簿。しかしその内容は、サイプレスからもらっている表帳簿と微妙に違う。
裏帳簿だ。
今度こそ息を吐く。
(件の大嵐があったのは、二十一年前)
不正があったであろう時期を考慮して、そっと書類を取り出す。
『ガサ入れのネタになればいいんだから、ほどほどに古くて、持ち出してもバレにくいやつにしろよ』
最近の分を持っていくと、すぐに紛失が発覚するだろう。ならば選ぶのは、古いものだ。
サイプレスの忠告を思い出しつつ、抜き取ってみた部分を確認し、ひとつ頷く。ちゃんと証拠になりそうだ。箱のそばに日記も入っていたので、ついでと言わんばかりに中を覗く。
───案の定というか、異母兄と婚約者は上手くいっていないらしい。
婚約者が異母兄を厭っているのはもちろんのこと、異母兄も、思い通りにいかない婚約にだんだん焦れていったようだ。そして最終的に、謎の方向転換をした。
曰く、「生意気な女とはさっさと婚約解消して、孕んだ女を妻にすればいい」と。
しかしそうすると、持参金の返還や慰謝料の支払いが生じる。横領した金で払えなくもないが、そうすると、しばらく豪遊できなくなる。
そこで、ウルスラをガーデロンに売ることを思いついたのだという。危うく日記を破くところだった。なんなんだ、この父子。
「私は貴様らの換金材料じゃないんだが!?」
というか、婚前交渉は普通に醜聞だ。まともな貴族令嬢が応じるはずがないだろう。日記を机に叩きつける。
しかも、「次もこの方法で稼げる」という主旨の記載もあった。いっそ呪殺されろ、こんな連中。
鼻息荒くふと箱の中を見ると、明らかに抜き取る前と厚みが変わってしまっていた。これはマズイ。奥の方から重要度の低そうな書類を探して入れ、厚みを誤魔化す。
証拠以外の全てのものを元の位置に戻して扉を閉じ、血を拭き取ると、再び金庫は閉ざされた。
書類を抱えて、そそくさと部屋を出る。
「フー……」
「……ウルスラ様」
「ッ!?」
慌ててそちらを見ると、レーチェがすぐそばに佇んでいた。
そういえば見張りを頼んでいたんだった。ほっと息を吐く。
「首尾は?」
「……ああ、これだ」
「確かに」
受け取ると、素早く帳簿を確認するレーチェ。そして満足げに頷くと、スカートの中に書類をしまいこむ。
「十分です。目標を達成した以上、長居は無用。さっさと庭に移動して、適当に回ってから部屋に戻りましょう」
「ああ」
曲がり角まで早足で移動し、そっと周囲を窺う。
ここは、本来ウルスラが通ることのない廊下だ。出入りを見られては困る。
安堵のため息を吐いて、一歩踏み出す。と。
「ウルスラお嬢様?」
ぎくりと背筋を伸ばす。
振り向くと、見慣れない一団がこちらを見ていた。
先頭には、赤髪の美しい妙齢のご婦人。ウルスラを呼んだのは男の声だったので、隣にいるお付きの男性だろう。首を傾げる。
「……? 失礼、どなたかな」
今日は来客の予定はないと聞いている。首を傾げると、貴婦人は優雅に微笑んだ。
「初対面でしたね。初めまして、私はブリアナ・ユッテ・ペチュリー=デュボワ」
そして、美しいカーテシーを見せた。
「デュボワ侯爵夫人、と言った方が伝わるかしら。ご機嫌よう、ウルスラさん」
「ああ!」
デュボワ侯爵夫人は、サイプレス一族のペチュリー伯爵家の令嬢だ。髪は見事な赤髪だが、瞳はサイプレスの取り巻きたちに似た、わずかに灰色がかった淡い水色。生家からの援助と共に嫁いできて、息子───ウルスラから見た異母兄を産んだ。
しかし、我が子を義両親に取られた挙句、夫と義両親の暴言・暴力。
(愛想を尽かした現在は、敷地内の離れで生活している……と。まとめるとそんなところだったか?)
何故、今日に限って本邸に。ああ、父と異母兄がいないからか。ともあれ、何もありませんでしたよ、という笑顔で挨拶をする。
「私の名付け親殿か、ご挨拶が遅れて申し訳ない」
ピシリと、右拳を左胸に当てて礼をする。
「ウルスラ・ユッテ・デュボワです」
「こんなところで、何をしていたの?」
ぎくりとするも、笑みは崩さない。
(………大丈夫)
言い訳は、準備してある。あとは堂々と話せばいいだけだ。
「実は庭に行く途中、髪飾りの宝石が取れて、こちらに転がってしまいまして……取りに行っていました」
そう言って、頭に着けている髪飾りの辺りを指差し、あらかじめ外しておいた真珠を見せる。
「婚約者のガーデロン子爵からいただいたものなので、失くしたくなくて……。だ、ダメだったでしょうか……?」
あえて罪悪感を隠さずに問いかけると、デュボワ侯爵夫人は真っ赤な唇でそっと言葉を紡いだ。
「……ウルスラさん、貴方……」
背後のレーチェが、微かに殺気を放つ。
静まり返った廊下。緊張を押し隠して微笑み続けると、彼女はそっと言葉を落とした。
「…………いえ、なんでもないわ。……気をつけなさいね」
お読みいただき、ありがとうございました。




