1-2. 怖い
話し合いの後、子どもが引きずられるように連れてこられたのは、邸の敷地の隅にある物置小屋だった。
突き飛ばされるように中に入った直後、背後で扉が閉ざされる。驚いて扉に駆け寄り、扉の外に顔を覗かせた瞬間、手にばしりと痛みが走った。
見上げると、いやあな笑顔を浮かべた兵士が、二人。
「角に当てたら三点な」
子どもの目に、長い槍が写った。ゾッとして、慌てて小屋の中に戻る。
仕方がないので、箱をどかして場所を作り、埃除けの布にくるまって横になった。
(これから、どうなっちゃうんだろ………)
隙を見ては角を叩こうとする扉番に怯えながら、小屋の中を片付け、ようやくそれなりのスペースを確保した頃。子どもが放り込まれた物置小屋に、上品なご婦人がやってきた。
曰く、「貴族令嬢として相応しい教養を身につけてもらう」とのこと。
何のことやら、ちんぷんかんぷんである。
───鉱国における平民の識字率は、高いとは言いづらい。
人手の少ない地域では、子どもも貴重な労働力だ。勉強している暇などない。周囲もそうやって大人になった者ばかりなのだから、必然的に教えられる人材もいない。商家ならまだしも、地方の農村では契約書が読めずに騙されたなどという話は、珍しくもなんともないのである。娼館でも、そうやって売られた娼婦は大勢いた。
ついこの間まで貧しい平民だった子どもも、然り。勉強はまず、文字の読み書きからだった。
「こんなことから始めないといけないだなんて! わたくし、角猿の躾をするためにここに来たのではなくてよ!!」
半日教えた結果、子どもが簡単な文章も読めないことに気がついたご婦人は、金切り声でそう叫んだ。ぷりぷり怒って出て行く背中を眺めながら、「貴族も平民みたいに怒るんだな」などとどうでも良いことを考える。
しかし、辞職は認められなかったらしく、翌日から怒涛の詰め込みが始まった。
「そうではありません!!」
「何度言ったら覚えるのです!!」
そう怒鳴られても、ついこの前まで平民だった子どもに、学問の価値も意味も分からない。今自分が何をやっているかも、全く分からない。
何故文字の羅列を覚えるのか。
何故数字をこねくり回すのか。
聞いても教えてもらえない、むしろその分叱られる。
しかし、やらねば鞭が飛んでくる。出来が悪ければ食事も抜かれる。
泣きながら、毎日必死で机代わりの木箱に齧り付いた。
幸か不幸か、子どもは頭が良かったらしい。
一年後、王都にある学園とやらの入学試験に合格し、学園に通うことになった。学園の寮に向かう前日、父は子どもを執務室に呼び出して言った。
「いいか? 貴様はウルスラ・ユッテ・デュボワ、デュボワ侯爵第一令嬢だ」
そしてつかつかと歩み寄り、子ども──ウルスラの額の角を乱暴に掴む。
「いいか、学園で我が家の名を貶めてみろ。この邪魔くさい角、へし折ってやるからな」
恫喝され、泣きながらなんとか頷いた。
貴族に引き取られても、ウルスラの生活は何も変わらない。
それどころか、父や異母兄、使用人という脅威が増えただけだった。
王立ザンドライト学園。
我が国───アロイジア鉱国に生きる全ての貴族子女は、この学園に通う義務がある……らしい。
生まれた時、あるいはウルスラのように届け出が出された時に与えられた貴族籍は、あくまで仮のもの。学園の入学試験と卒業試験をクリアしないと、貴族として認められず、その権利を振るうことは許されない。
そんな話を思い出しながら、ウルスラは学舎を見上げてため息を吐いた。
(行きたくないなあ……)
そう思いながら、今日も重い足を機械的に動かす。
───入学したはいいものの、ウルスラは受験に必要な最低限の座学以外、何も教わってこなかった。
当然、貴族としてのマナーも言葉遣いも、全くできない。平民時代の振る舞いそのままだ。
貴族の子どもからすれば、マナーも何もない令嬢など論外。近づきたくもないだろう。平民からすれば、侯爵令嬢など恐れ多い。
おまけに庶子で、娼婦の娘で、異人種。身だしなみもまるでなっていない。自分はどちらにとっても関わり合いになりたくない存在なのだと気付いたのは、入学から二ヶ月経ってからのことだった。
「ほらご覧になって、あちらが噂の……」
「まあ!娼婦の娘が在籍しているとは、本当でしたのね!穢らわしい……」
「蛮族を通わせるとは、侯爵家は何を考えてるんだ?」
中傷に晒されるたび、消えてなくなりたくなる。
授業自体は、一言一句漏らさない心づもりで聞き、教師に縋り付けば、なんとか追いつくことはできた。
しかしウルスラは知らなかったが、一部の貴族……特に高位貴族は、学園へは社交のために通う。
授業でやる程度の内容は、各家で教わっているのだ。平民でも、学園に入れるほどの教育を受けられる者であれば、一年の授業の内容程度さほど苦にならない。
ウルスラが躓く場所で悩むような者は、ここには一人もいないのだ。
教師たちや質問をしたい他の生徒に厄介者扱いされるのも、無理はない。
しかし、父たちはこれ以上ウルスラのために金も時間も労力もかける気はないようだった。手紙で相談しても返事すらない。正直、読まれているのかも怪しい。
「クラスメイトに教えてもらいなさい」
そう言われても、そもそもウルスラと話してくれるクラスメイトがいない。声をかけるまでもなく、皆逃げていく。
だから、嫌な顔をされようと、教師に縋るしかない。
心が、少しずつ削れていく。
案の定、一年の前期の試験の出来は散々で。
再び呼び出された父の執務室で、叱責を受ける。
「いいか!?貴様のすべきことは、学園をつつがなく卒業することだ! 留年なんぞ、もってのほかだからな!!」
執務室を出て物置に戻る途中、異母兄とその側近らしき集団と出くわした。慌てて端に移動する。
すれ違いざま、異母兄の側近がウルスラの進行方向に、ぱ、と足を出した。
「あっ」
転びかけたが、持ち前の運動神経でなんとか持ち堪える。背後からちっと短い舌打ちが聞こえた。
振り返ると、異母兄が蔑んだ目でこちらを見ていた。
「無様を晒すなよ、角女」
慌てて頭を下げ、走って逃げる。
視線が怖い、空気が怖い。
悪意が怖い、分からないことが怖い。
居ていい場所が無いのが───怖くてたまらない。
(どうして)
どうして、こんな思いをしなくちゃいけないんだろう?
そんな、鬱々とした気持ちで通い続けていた、ある日のことだった。
お読みいただき、ありがとうございました。




