1-1. 始まり
新連載です。よろしくお願いします。
自分本位で弱虫な、彼女の話。
「今日この時をもって、コレはこの家の娘だ。そのように扱うように」
───そう言われた日のことを、今でも、覚えている。
オリディニ大陸東、鉱業で栄えた王国、アロイジア鉱国。
そのアロイジア鉱国は北部辺境、デュボワ侯爵領。
“彼女” は、物心ついた頃には娼館にいた。
母親は知らない。娼館でも売れっ子の娼婦らしいということは、知っている。
父親は知らない。娼館の客なんだろうな、ということは、なんとなく分かる。
さりとて、特に知りたいと思ったことはない。
太陽より先に起きて、ふらふらしながら井戸の水を汲み、洗濯・掃除。そうして一日中慌ただしく働き、硬いパンとスープを食べて、急いで寝る。
その繰り返しこそが、日常。洗濯物を破いたり、うっかり客に怪我をさせたりして、食事抜きにならないか。今夜のスープに、肉が入っているかいないか。そちらの方が、よっぽど大事なことだ。
その日も、洗濯物を抱えて廊下を歩いていると、女将の声が聞こえてきた。
「便利だねえ、アレは」
機嫌の良さそうな声に、ちょっと胸が弾む。
(おかし、もらえるかも)
足音を殺してそっと扉に近づき、聞き耳を立てると、男の声が問いかける。
「アレってどれだい」
「そりゃアンタ、赤毛のちびのことに決まってるじゃないか」
ぴた、と。子供の動きが止まった。
ああ、アレね、と応じる声。
「角族らしく力持ちで、雑用にもってこいだし、目鼻立ちもはっきりしてるよな」
「もう二、三年したら、お客を取らせようかねえ」
「ありゃべっぴんになるぜえ」
ねっとりした男の声が続く。
「俺がいただきたいくらい……イテッ」
「バカ言うんじゃないよ!初物は高くつくんだから!」
「わあってるよ。産ませて良かったな」
……再び足音を殺し、足早にその場を去る。
「おきゃく」のことは、どうにも好きになれなかった。
お菓子をくれる人もいたけれど、皆一様にべたべたしてくるし、じろじろ見てきて、なんとなく気持ち悪い。
今日も、洗濯物を運んでいる最中に廊下で目が合いかけ、慌てて逃げてきたばかりだ。水を張った桶に汚れたシーツを漬け、ため息を吐く。
(……いやだな)
大人になったら、あの気持ち悪い人たちの相手をしないといけないのだろうか。いつも怖い顔で怒鳴りつけてきて、しかし裏ではこっそり泣いているお姉さんたちみたいに、自分もなってしまうのだろうか。
桶の中、水面に映った自分の姿を見つめる。
赤い毛玉みたいな頭に、額から緑色の角が一本。
痛いほど冷たい水も、お腹が空いてたまらない夜も。
(いや、だけど)
どうやったら避けられるか、分からない。
転機は、その年の冬に来た。
子どものいる洗濯場に、一人の女がやってきたのだ。
「ねえ、ここにガキいるでしょ。出して」
恐らく、娼館の娼婦だろう。何もかも寒々しい色の洗濯場にそぐわない、身体の線を強調した派手なドレス。肉厚で、真っ赤な唇。長いまつ毛に、彫りの深いかんばせ。
今まで会った誰よりも美しく、でもとても意地の悪そうな口元をした、怖い女の人。
そしてその豊かな黒髪からは、自分と同じ色の角が二本、そそり立っていた。
あ、と声を出す。
(もしかして)
そう思った瞬間、女と目が合った。美しい顔がくしゃりと歪む。
「え、アレなの? 汚ったな……。まあいいわ、ついてらっしゃい」
「え」
戸惑っていると、女の後ろにいた男が舌打ちをして、子どもの腕を掴んだ。
咄嗟に振り払おうとし……ハッとする。
(「おきゃく」にケガさせたら、ごはんぬきになっちゃう)
子どもは、角族と呼ばれる人種だ。
その名の通り、頭に一〜三本の角が生えていて、成長すれば男女問わず長身で大柄。怪力の持ち主で、子どもでも、十歳程度でヒト族成人男性の腕力に並ぶ。
今ここで力づくで手を振り払えば、男に怪我をさせてしまうかもしれない。
(この人は「おきゃく」?あばれちゃ、ダメ?)
迷っているうちに建物から出て、馬車に放り込まれる。扉が閉じられた直後、女将の叫び声が聞こえてきた。
「ローズ!ソレをどこに連れていく気だい!」
座席の下で、びくりと身をすくませる。
「アタシが許したのは、あんたの身請けまでだよ!返しな!!」
「うるさいわねえ。アタシが産んだんだから、どうしようがアタシの勝手でしょ〜?」
ゆったりと、髪でもいじっているような声が応じる。
「出産費用を出したのはこっちだよ!!」
「それだってアタシらから奪った金だろうが!!」
女の声が突如豹変して、きん、と耳に響いた。咄嗟に、耳を塞いで蹲る。
(なんで)
何が起こってるの。怖い。
金切り声の応酬は、馬車が動き出すまで続いた。
馬車に揺られてたどり着いたのは、街では見たことがないほど大きな邸だった。
今度は女に手を引かれ、引き摺られるように中に入る。応接室で三人を待ち受けていたのは、貴族とおぼしき大人たちだった。
緊迫した空気。戸惑っていると、砂色の髪の女が一歩、前に出てきた。
「それでは、鑑定を始めます」
すると、ローブを身に纏った大人が子どもの手を取り、指先に針を刺した。
「いたっ……」
「……」
血の流れる指を、テーブルに用意してあった紙に押し付けられる。反対側にはどこか自分と似た色合いの男が立ち、やはり指に針を刺して、紙に押し付けた。砂色の髪の女が、す、と紙の上に手をかざす。
「そのまま。……『枝葉よ、伸びろ。その血を辿りて、茨を成せ』」
指の下から、ずるりと血色の蔓が現れた。思わず悲鳴を上げる。
紙の上に這い出てきた蔓は、反対側にいる男の指から伸びてきた蔓と結びつき、溶け合うように一本の蔓になった。頷く砂色の髪の女。
「間違いありません。そちらのお嬢さんとヘイモ・ガラ・デュボワは、親子関係にあります」
その瞬間、諦めのような呆れのような、弛緩した空気が流れた。お構いなしにばさばさと書類を広げる、砂色の髪の女。
「つきましては、こちらの呪術鑑定書にサインを……」
そういえば、彼女だけなんとなく顔立ちが応接室の面々と違う。他所の人間なのかもしれない。そんなことをぼんやり考えていると、ふと気がついた。
(おやこ……ってことは、あのひと、あたしのおとうさんってことだよね?)
ぱ、と顔を上げると、テーブルの向かいにいる男と目が合った。
その目の温度に、芽生えかけた感情は凍りついて、砕ける。
「……」
「デュボワ侯爵」
服の裾をぎゅっと握ると、砂色の髪の女が男に呼びかけた。
「庶子登録票の提出は可及的速やかにお願いします。場合によっては、養子縁組届の提出も必要です。書類はこちらで……」
「……認めないということは、出来んのですか」
紙を睨みつけながら、男──父が呟く。砂色の髪の女は、呆れきった声音で応じた。
「できませんよ? デュボワ侯爵ともあろう御方が、血統法についてご存知ないはずがないでしょう?」
とん、と指先で書類を叩く。
「どのみち、鑑定したという記録と結果は王城に残ります。届けを出さなければ、処罰ののち強制認知されるだけです。貴族として、ご自身の行動の責任くらいきちんと取っていただきたい」
「…………」
父が渋々サインをし、砂色の髪の女とその仲間たちが応接室から出ていくと、子どもをここへ連れて来た男女が一歩前に出た。
「それで、お約束のものは?」
父は舌打ちして、控えていた燕尾服の男に視線をやった。燕尾服の男が、女に小さな革袋を渡す。
それを笑顔で受け取ると、二人はぱっと抱き合った。
「マーキス!これで貴方と一緒になれるわ!」
「そうだね、ローズ。今日は二人の記念日だ。シャンパンでも買って帰ろう」
そう言って、子どもには目もくれず出て行く。
扉が閉じるのを、呆然と見届ける。背後で吐き捨てるような声がした。
「娼婦を孕ませるなんて」
肩を跳ねさせ振り返ると、すっかり閑散とした応接室で、くすんだ赤髪の青年が靴先で床を蹴飛ばしたところだった。
「挙句、王城呪術師まで呼ばれるとは。何をしているんですか、父上」
「俺は知らんぞ。良い女がいると聞いたから、行って抱いただけだ」
父上。父。
では、彼は自分の兄なのか。いや、母親が違うだろうから、異母兄か。混乱真っ只中の頭で考える。
その間にも、話は続く。
「おおかた、これを狙って避妊薬を飲まなかったのだろう。見たか?あの勝ち誇ったような顔を。まったく、忌々しい」
ふん、と鼻を鳴らすと、息子に視線を戻す。
「大体、お前のせいでもあるんだぞ。さっさと婚約者をモノにしておけば、こんな毛玉など不要だったのに」
「仕方がないでしょう。父上たちがあの能無しの手綱を握れなかったから、向こうが警戒してるんです。もっと上手くやってくれないと」
はるか頭上で交わされる、父と異母兄の会話。そのやりとりの意味は、子どもにはまるで分からない。
しかし、聞き進めるにつれ、頭の深いところで警鐘が鳴る。
(………やだ)
思わず一歩後退ると、とん、と背中に何か当たった。振り返ると、冷たい目でこちらを見下ろす燕尾服の男。
二人はそれに気がつくと、忌々しげに眉根を寄せた。父が口を開く。
「今日この時をもって、コレはこの家の娘だ。……そのように扱うように」
───こうして、子どもは「デュボワ侯爵令嬢」になったのだった。
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