1-15. サイプレス侯爵令息
長めです。嫌な奴が出てきます。
数日後。
ウルスラは、人を待っていた。
柱廊から雨の降りしきる中庭を眺めていると、背後から靴音。
「………お前かァ、俺に用があるってのは」
低く、甘ったるい声。
振り返ると、少し離れたところに一人の男子生徒がいた。
「デュボワの、庶子」
癖のあるダークブラウンの髪。鈍い色の緑眼。
野生みのある、彫りの深い美貌。細身だが、やや着崩した制服越しでも分かるほど筋肉質で、整ったスタイルは十代にして妖艶さすら感じさせる。
しかし、薄い笑みを浮かべた口元は、どこか軽薄だった。心臓の上あたりに拳を当て、騎士の礼を返す。
「ご足労、感謝する。……サイプレス侯爵令息」
ダークブラウンの髪の生徒──ウルスラの交渉相手は、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
この対面にあたり、ウルスラは話し方を変え、振る舞いを変えた。
どう足掻いたところで、中身が追いつくには時間がかかる。
(ならばせめて、形だけでもどうにか取り繕いたい)
凛として、誇り高く。
堂々として、力強く。
強い人間に、なるのだ。
決意を新たにしていると、サイプレスは薄く笑み、耳にまとわりつくような声で言った。
「一人で来いっつうからよォ、きゃんきゃんうるせえ奴ら、全員置いて来てやったぜ。感謝しろよな?」
「そ」
「んで?」
ウルスラが口を開きかけた瞬間、被せるように口を開く。
「用件は」
鈍い色の緑眼が、きろりとこちらを睥睨した。
「つまらねェ内容だったら承知しねぇぞ」
先ほどまでとは打って変わって、恫喝するような声。悟られぬよう、そっと深呼吸した。
(……やりづらいな)
顔はずっと笑っているのに、声の調子だけがコロコロ変わる。
「……先日、父が私とガーデロン子爵の婚約を結んだ」
怯みそうになる自分に喝を入れ、改めて口を開いた。
「私は、その婚約を無くしたいと思っている」
「ふぅん」
薄笑いのまま、つまらなさそうに髪の毛をいじるサイプレス。
「……そのためにデュボワ家の内情を調査したい。協力、してくれないか」
そして再度、今度は先ほどよりも深く、頭を下げた。
「貴殿らの力が必要なんだ。……頼む」
「……それで?」
「その後、どうするんだ?」
「え?」
思いもよらない返事に、変な声が出た。チッと短く舌打ちする。
「これだから平民上がりが。いいか? 要するにテメェは、婚約破棄に使えるネタを知りたいッてんだろ?」
頷くと、大袈裟な仕草で肩をすくめるサイプレス。
「どうせあの屑どものことだ、叩けばそりゃァ、ホコリは出るだろうよ。それで?」
人差し指をウルスラに突きつける。
「お前が叩いて出てきたホコリで、デュボワが揺らぐような事態になったら、その時はどうする?」
……息を呑んだ。
「デュボワ家は三砦が一隅……国境防衛の要の一つだ。そこが揺らぐということは、国の安全が揺らぐということだ」
「……」
「一番可能性が高いのは、後継者問題だな。現デュボワ侯爵の子は二人だけ、お前とあのクズだ。クズがどうにかなれば、後継者の席は当然空く」
そう言うと、指折り数え始める。
「侯爵の兄と弟はデュボワ一族の有力分家に婿入りしてる、どっちも子だくさんだ。武門なら当然必要な、剣の腕も全員いい」
そもそもデュボワ自体、野心の強い一族だ。跡取り争いが起こる可能性は極めて高い。
そうなれば、領地にも影響が及ぶだろう。
「それともアレか? テメェが上手いこと逃げられりゃ、国も家もどうでもいいと? さすが、何もしてこなかったみそっかすは無責任でいいなァ?」
「………その時は」
考えながら、口を開いた。
「私が、デュボワ家を継ごう」
ウルスラは、庶子とはいえ現当主の実の娘だ。戸籍上も養子になっていて、成人もしている。一番正当な立場だと言えよう。爵位継承の条件である学園の卒業資格……は、どうにかしよう。飛び級もある。
だからもし後継者問題が発生した場合は、ウルスラが一時的に当主になって、事態の収拾に努める。その後は、状況次第で他の親族に渡すなりなんなりすればいい。短期間取り繕うくらいなら、どうにかなるはずだ。
「そうすれば多少は……」
考えをまとめて、顔を上げた次の瞬間。
ガン!!
───サイプレスの拳が、壁を殴打した。
突然の暴挙に思わず硬直すると、サイプレスはこちらを見て人懐っこい笑みを浮かべた。
「……ああ!悪いな、小蝿がうるさくて」
雨で薄暗い中、場違いなほど明るい声で嘯く。そして、小さく首を傾げた。
「で?」
嗤った口元、笑ってない目。
「誰が、何を、やるって?」
……吹き込んだ雨が、足元に打ちつける。
飛び散った飛沫が、ウルスラの靴下を濡らしていった。答えられずにいると、それよりもさらに底冷えする声で切り出した。
「……お前には分からないだろうが」
ゆらりと一歩、踏み出す。
「貴族という生き物は、生まれる前からそうであるよう計画された存在だ。血筋、生まれる年、時期、役割、歩むべき人生……。何もかも全て計算され、あるべき姿であるよう努力し続け、それでやっとスタートラインに立てる」
身の凍るような激情が、柱廊を染め上げた。
「お前ら平民上がりとは、生まれからして違うんだよ」
向けられたのは、暗く深い怒りを孕んだ目だった。
ウルスラが気圧されているその間にも、サイプレスは続けた。
「一挙手一投足が民の、家の、未来を左右する重責がお前に分かるか? 何の義務も責任も負ったことのない、お気楽な庶子の分際で」
淡々と、しかし呪うように告げる。
「娼婦の娘がたまたま貴族になれたから、勘違いしたか? 権利と義務を履き違えた愚民が」
そう言うと、ウェーブのかかった前髪をかき上げ吐き捨てた。
「平民なら平民らしく、野に帰れ。でなければ、青き血を持つ者として黙って家に尽くせ。お花畑の庶子風情が、舐めたことを吐かすな」
「大体、そんなことをして、こちらにどんな利があると?」
「……………もし、この話がうまくいけば」
未だうるさい心臓の音を深呼吸で抑えながら、ゆっくり答える。
「ガーデロン子爵の婚約者の席が空くぞ」
その瞬間、サイプレスの怒気が弱まった。
わずかに眉根を寄せ、訝しげな表情になる。灰色がかった緑眼が、はっきりとウルスラを見た。
その変化に手応えを感じつつ、慎重に言葉を重ねる。
「そちらは、すぐにでも大金が必要な状態と聞いた。……婚約とそれに伴う金銭的支援がなくなれば、ガーデロン子爵も新たな投資をしやすいのではないか?」
「金品を巻き上げた」という噂は、そこから来ている。
ならば、そこを突かない手はない。返事を待っていると、サイプレスはハッと鼻で笑った。
「……知った口を」
顔を上げた彼は、もう薄笑いの仮面を付け直した後だった。ガシガシと頭を掻く。
「まあ、確かに? 『枠』が空くだけでも、悪くない話だなァ?」
サイプレスは一瞬考え込むように中庭の方を見ると、再びウルスラに視線を戻した。
「条件がある。まず、ガーデロンには先に話を通しておけ」
「ガーデロン子爵に?」
予想外の名前が上がった。思わず聞き返すと、サイプレスは小さく肩をすくめる。
「話は分かる方だぞ、あのオッサン。場はこっちで適当に整えてやるからよ」
「噂のような変態ではない、と……?」
「いや、変態ではある」
即答だった。変態なんだ、と内心肩を落とすウルスラ。
「話が通ってんのと通ってないのとじゃ、今後の流れが違うだろ。パパ〜ッと適当に合意取っとけよ」
「適当に!?」とツッコまなかった自分を褒めたい。
しかし確かに、あちらの考えは確認しておきたいところ。サイプレス側で場を整えてくれるというのなら、願ったり叶ったりだろう。了承の意を伝えると、サイプレスが二本目の指を立てる。
「二つ目。成績を上げろ」
「うぇ!?
「なァに意外そうな声出してやがる。テメェが言い出したことだろ、『どうにかする』ってな」
短く、しかしはっきりと告げる。
「どうにかできると、証明してみせろ。そうでなくとも無能なお花畑と手を組むなんて、ゾッとする」
「せめて、学園の成績だけでも上げろ。具体的には、総合成績で上から三分の一以内だ」
「……分かった」
ギルドの仕事を減らすか無くすかして、勉強時間を増やせば達成できる……と思う。ウルスラが必死に今後の学習計画を立ててると、サイプレスは軽く顎をなでた。
「ま、とりあえずこんなところだな。話は以上か?」
そう言うと、さっさと踵を返し、軽く手を振る。
「連絡手段は追って知らせる。解散だ、解散」
「待った!……本当にそれだけでいいのか?」
さっさと来た道を帰ろうとするサイプレスを、ウルスラは慌てて呼び止めた。
別に要求がこれで済むとは思っていないが、あっさりしすぎではないのか。すると、サイプレスは半分振り返って嘲笑した。
「どーせ今のお前に、差し出せる物なんかねェだろ」
「……ッ」
「自惚れてんなよ、お花畑」
制服の背中が見えなくなった後、長いため息を吐く。
「……とりあえずは成功、か」
あまり……というか、まるで良く思われていない様子ではあったが。腰に手を当て考える。
(何か恨まれるようなことをしたか……? それとも庶子だから?デュボワだから?)
とりあえず、当主発言で決定的に逆鱗に触れてしまったらしいことだけは、理解できた。生まればかりはウルスラには如何ともし難いので、発言内容には気をつけよう。
(決して、軽い気持ちで言ったわけではないんだが……)
不安は残るが、収穫ゼロよりずっといい。顔を上げると、視界が白く光った。
直後に轟音、雷だ。
近くに落ちたのかもしれない。そう思って、黒雲の立ちこめる空を見上げる。
(……そういえば)
雷が縁起が良い地域もあると、友人が言っていた気がする。
「吉兆だと良いのだが」
お読みいただき、ありがとうございました。




