1-12. 戦うと決めた日
───その日、ウルスラは午前の授業がまるで頭に入らなかった。
心配するクラスメイトを何とか笑顔で誤魔化し、足早に裏庭に向かう。
「ウルスラ!」
「みんな……!」
見慣れた顔を見ると、ちょっと泣きそうになった。ウルスラの顔色が悪かったせいだろう、駆け寄ってきたフィフィは、そのまま手を掴んで、みんなの元へ連れて行ってくれた。
芝生に腰を下ろすと、オパールが口火を切る。
「実家から呼び出されて、戻ってたんだよね?どうだった?」
「……ウル?」
「……行ったら、『お前の婚約者が決まった』って父と兄に言われて……」
声が震えるのが分かった。
「………相手は、ガーデロン子爵だって」
その名前を告げた瞬間、空気が凍りつく。友人たちの反応に嫌な確信を深めながら、縋るように問いかける。
「私より三十歳上で……か、加虐趣味があって、婚約者が何人も行方不明になってるって……本当……!?」
「……本当よ」
沈黙を破ったのは、イレーネだった。感情を押し殺した声で続ける。
「界隈では有名な話だわ。……私の知ってるだけで、今まで十二人の婚約者が『花嫁修行』でガーデロン家に移って、そのまま消息不明になってる」
「……!!」
目の前が真っ暗になる感覚がした。柔らかな銀髪を、ぐしゃりとかき乱すイレーネ。
「ウルスラは妾腹だけど器量良しだし、スペアで侯爵令嬢だから、もっとマシな嫁ぎ先を用意してると思ったのに……!」
がり、と爪を噛む。真っ青な顔のフィフィが、イレーネの袖を引いた。
「ど、どうしてそんな人が捕まってないの?」
「私もあまり詳しくないけど……代々北部辺境の物流を取り仕切ってきた、北部でも有数の資産家だからじゃないかしら」
イレーネの声が、酷く遠く感じる。まるで、水の中にいるようだ。
「ただでさえ軽視していい家じゃない上、あの辺りは色々と難しい地域だから……」
それを聞いたフィフィは、おろおろしながら叫んだ。
「ど、どうしよう、逃げないと!」
「逃げて、どうするの」
ヘレンが静かに否定する。
「相手は三砦が一隅、デュボワ侯爵家よ?」
「……そうね」
ソフィアはパッと扇子を広げた。
「侯爵がこのためにウルスラを引き取ったのは、明白だわ。ここを逃れたところで、また別の縁談を持ち込まれるだけ」
「一度逃げた後で連れ戻されたら……最悪だわ。家出した令嬢は価値が下がるから、扱いは確実に悪化するし、二度と逃げられなくされる可能性が高い」
次々語られる絶望的な未来に、すぅっと血の気が引いて行くのを感じる。
(どうしよう)
いくらウルスラが強くても、数の暴力と権力には勝てない。
結局自分は、消えて行った女性たちと、同じ末路を辿るしかないのだろうか。
と。
ぽすん、と肩のあたりに体温を感じた。
「お、ぱーる」
「大丈夫だよ、ウルスラ。みんなの顔、よーく見て?」
そう言われて、のろのろと顔を上げる。視線の先で、三人は未だ議論していた。
いつものように、扇子を片手に思案するソフィア。
「逃げるという選択肢を取るなら、大陸を捨てる……とまではいかなくても、砂海を超えるくらいの覚悟をするべきかしら」
「そうね」
ヘレンが頷くと、はっきりした声音で告げる。
「それなら、うちの支店が砂海にあるわ。逃走ルートの確認をしておかないと」
すると眉間に皺を刻んで、腕を組むイレーネ。
「それは最終手段でしょ。養育法違反で監査室にタレ込むのは?」
「関連法ほぼ形骸化してるから、要らない敵増やすだけよ」
「は?お偉方は何してんのよ」
淡々と反論するヘレンに、苛立った声を返す。
「じゃあ……もっと条件の良い縁談探すとか」
「ガーデロンなら、十中八九支援目当ての結婚だわ。現状、あそこより大金出せる縁談、ある?」
「なら、別の大貴族を巻き込んで……」
(………あ)
誰も、嘆いていない。……諦めていない。
ウルスラにぴったり寄り添ったオパールは、その様子を眺めながら、おっとりと口を尖らせた。
「みんな、せっかちだよね〜。ウルスラ、まだ『ああしたい!』も『こうしたい!』も言ってないのに」
そして、ウルスラの顔を見て微笑む。
「大丈夫だよ、ウルスラ。落ち着いて、まずは深呼吸!」
言われるがまま、ゆっくりと息を吸い……吐く。
少し、思考がクリアになった気がする。ウルスラの手を握ったまま、フィフィが呆れ顔で呟いた。
「というか、打開できる前提なんだ……いや、最初に逃げようとか言ったのはアタシだけど……」
「なりふり構わないなら、割と?」
まったりと肯定するオパール。もう一度深呼吸する。
友人たちは誰も止まっていない。
ならば。
(当事者の私が落ち込んだままで、どうする!)
頬を挟むようにパン!と両手で叩いて、気合を注入する。
それを見ていたオパールは、静かに笑ってこう問いかけた。
「結婚、いつだって言ってた?」
「へ!? ……確か、学園卒業したらって」
「オッケー!」
そして、侃々諤々議論している三人に声をかける。
「ねね、多少は猶予あるっぽいよ?」
「だからもうちょっと落ち着いて話そ?」
「あら、そうなの?」
振り返ったソフィアが、扇子の裏でホッと息を吐いた。
「不幸中の幸いね」
「じゃあもうちょっと腰据えて作戦会議しましょうか」
「そうね」
すると、フィフィがはっきりと口を尖らせた。
「まずは、ウルスラがどうしたいか聞こうよ!話はそっからっしょ!」
「口調……いえ、ごめんなさい、そうよね」
咎められて、ソフィアが畳んだ扇子で額を押さえた。
「なんとかしなくちゃと思ったら、つい」
「悪癖だわ、改めないと」
イレーネも、今にも舌打ちしそうな苦い顔をした。いつも通り、朗らかに応じるオパール。
「ギリギリの現場に居過ぎた弊害だね!むぎゅぅ」
オパールの言う通り、共感より先に対応を求められる現場にいる友人たちらしい反応である。オパールとフィフィがいてくれて良かった。二人を強めにハグしておく。
「ウル」
呼びかけられて、はっと顔を上げた。
“彼女”は、静かに口を開く。
「ウルはどこにでも行けるし、なんでもできるよ。国語の鉱国語以外に、教国語、共和国語、軍国語も喋れる。平民として街で暮らせるだけの知識や技術もあるし、長旅や野営もできる。魔物討伐なら大体どこでも需要があるから、食べるにも困らない。もちろん、この国に留まって、侯爵令嬢としての権利を主張することもできる」
そう言うと、周囲に目配せし、再びウルスラの方を向く。
「私たちも、多少は助けてあげられる」
うん、と頷き合う友人たち。
「でも、自分の未来を他人に預けないなら、戦う意志が必要なの。まずは、剣を取らないと。どんな凡戦も勝てはしない」
「……!」
「ウル」
一言一言、噛み締めるように問いかける。
「ウルは、どうしたい?」
「……私は」
初めて父と異母兄に会った時の、鬱陶しそうな眼差し。
ウルスラに婚約を伝えた時の、厭らしい笑み。
ふつふつと、怒りがこみ上げる。
「……………何もせずに逃げるだなんて、できない。……したく、ない」
そして、はっきりと宣言した。
「戦う、戦うよ、戦いたい!」
「大人しくあの二人の思い通りなんて、絶対嫌!!」
「よっしゃ、やろう!」
フィフィがグッと拳を構えた。
「クソ親父とクソ兄貴、ぶん殴ろう!!」
「フィフィ」
「殴ったらダメでしょうが!!」
イレーネがいつものように怒鳴る。
「それでウルスラがとっ捕まったらどうするの!! 安全に離れるのが最優先でしょうが!!」
「そうね、殴りつつ離れましょう」
「イレーネ、ヘレン」
「殴りつつ離れるって……?」と内心首を傾げたが、とりあえず聞かなかったことにした。ヘレンの言葉に苦笑したソフィアも、こちらを振り返って微笑む。
「もちろん私も手伝うわ、ウルスラ。最悪でも、国外逃亡の手配くらいはしてあげられるはず」
「ソフィア……!」
「オパールもさんせーい!」
そう言って、オパールが寄りかかるように肩をぶつけた。
穏やかに続ける。
「そりゃ自分さえ良ければ何をしてもいい!っていうのは、困るけどさ?私たち、貴族以前に人だもん。自分を蔑ろにしたら、確実に歪みが出るよ。『こんなに尽くしてあげたのに!』とか『自分も我慢したんだから、お前たちも我慢しろ!』って絶対思っちゃうって」
そして、ふ、と哀しげに微笑んだ。
「お互いの幸せを願えるだけの距離は、取った方がいいよ。……でないといつか、追いつかれて転ぶだけ」
明るいオパールには珍しい、儚げな表情に目を瞠る。しかし彼女はすぐにそれを引っ込めて、笑って拳を掲げた。
「というわけで、オパールも参戦決定です!ガンバロー!」
「オパール……!」
ぱっと振り返って、両手でウルスラの手を握る。
「幸せになろうね!私たち!」
「……うん!!」
お読みいただき、ありがとうございました。




