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後日談春6 王女の視察と春市デート

 王都の朝は、春の花の香りとともに始まる。


 聖クロイツ学園の正門前で、シュウは珍しく少しだけ早く呼び出されていた。


 目の前には、白と金を基調にした春用ドレスを纏ったフィオナが立っている。

 王女らしい気品に、春の柔らかさを映した花飾り。

 朝日に照らされた金髪が、まるで王都そのものの輝きのように見えた。


「……おはよう」


 シュウが短く言うと、フィオナは一瞬だけ目を逸らし、それから咳払いをひとつ。


「お、おはよう。言っておくけど今日はデートじゃないわよ」

 胸を張る。

「王都春市の視察よ。王族として市場経済と民の生活を把握するのは当然の義務なんだから」


「……そうか」


「そ、それであなたは護衛兼、荷物持ち兼……その、料理人として市場の質を見てもらうだけなんだから!」


 言い訳が少しずつ増えていく。


 けれど結局、二人で王都へ向かって歩き出す姿は、どう見ても恋人同士の外出だった。



 年に一度の《王都春市》は、王都中が春色に染まる大祭だ。


 石畳の大通りには花の飾り布が揺れ、屋台には焼き菓子、香草茶、精霊細工、魔物素材、春限定の魔道具がずらりと並ぶ。


 その賑わいの中を、フィオナはどこか嬉しそうに歩いていた。


「ここは王家御用達の香草茶店よ。春にしか採れない若芽を使ってるの」

「……詳しいな」

「当然でしょう? わ、私は王女なんだから」


 そう言いながらも、店先で小さな花型の焼き菓子を見つけると、目がほんの少しだけ輝いた。


 シュウは無言でそれを二つ買い、片方を差し出す。


「……食うか」

「っ……!」

 フィオナが目を丸くする。

「……い、いいの?」

「……腹が減ったんだろ」


 顔を真っ赤にしながら、フィオナは焼き菓子を受け取った。


「べ、別にあなたが気を遣わなくても、王女として毒味するだけなんだから!」


 ひと口。


 春花の蜜と香草の甘い香りがふわりと広がる。


「……おいしい」

 思わず素直な声が漏れたあと、慌てて顔を背ける。

「ま、まあ悪くないわね!」


 その様子を見て、シュウは小さく息を吐いた。


「……悪くない」


 フィオナの頬がまた赤くなる。



 昼を過ぎた頃、二人は王都中央の噴水広場へ辿り着いた。


 春の陽射しを受けた水飛沫がきらきらと輝き、子どもたちの笑い声が響く。


 その中で、フィオナは自然に足を止めた。


「……こうして歩くの、初めてね」


「……そうだな」


「学園ではいつも誰かいるもの」

 少しだけ俯く。

「今日は、その……静かでいいわね」


 王女ではない、ひとりの少女の声だった。


 シュウは噴水の縁に腰を下ろし、買ったばかりの串焼きを差し出す。


「……ほら」

「え?」

「……毒味だろ」


 フィオナは一瞬ぽかんとしたあと、吹き出した。


「……もう、それ言えば私が喜ぶと思ってるでしょ」


 けれど嬉しそうに一口かじる。


「……おいしい」


 その笑顔は、王女の仮面を外した年相応の少女そのものだった。



 夕暮れ。


 二人は王都を見渡せる高台の展望広場へやって来ていた。


 春市の灯りが街のあちこちにともり始め、王都が黄金色に染まっていく。


 フィオナはその景色を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「……ねえシュウ」


「……ん?」


「卒業しても、あなたはこの国にいてくれるの?」


 王女としてではなく、フィオナ個人としての問い。


 春風が彼女の金髪を揺らした。


 少しだけ沈黙してから、シュウは王都の灯りを見下ろしたまま答える。


「……お前が腹を空かせるなら、どこにいても作りに来る」


 一瞬、時間が止まった。


 フィオナの瞳が大きく揺れる。


「……ば、ばか」

 耳まで真っ赤に染めながら、そっとシュウの腕に寄り添った。

「……そんなの、ずるいじゃない」


 その距離は、学園のどの時よりも近かった。



 その時だった。


 夕焼け雲の彼方に、一筋だけ黒い線が走る。


 鳥でも雲でもない。


 まるで空の向こう側に、別の境界線が刻まれたような違和感。


 シュウの【境界線】が胸の奥でかすかに脈打つ。


 だが次の瞬間には、春市の花火が夜空に咲き、その黒い線をかき消してしまった。


「……綺麗」


 フィオナが小さく呟く。


 花火の光が、彼女の横顔を優しく照らしていた。


「……ああ」


 今はまだ、この穏やかな時間を守りたい。


 そう思いながら、シュウは隣の温もりを静かに受け入れた。


 こうして春は、王女との甘い余韻を残して終わりを迎える。


 次に訪れるのは、熱と解放の季節――夏。


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