後日談春4 花見と五人の特等席
満開の桜の下――シュウの隣の二席だけが、なぜか最前線になっていた。
聖クロイツ学園の中庭。
春の陽気に包まれた芝生の上には、大きな花見用の敷物と、色とりどりの料理が並んでいる。
唐揚げ、串焼き、山菜おこわ、魔鹿のロースト、蜂蜜団子。
さらに中央では、大鍋いっぱいのつみれ汁が湯気を立てていた。
その中心で、シュウは静かに鍋をかき混ぜている。
「……腹が減った」
「作ってる本人が最初に言うんじゃねぇよ、相棒!」
ガストンがガハハと豪快に笑いながら、巨大な鉄板を芝生に据え付けた。
鉄板の上では、魔鹿肉の脂がじゅうじゅうと音を立て、香ばしい匂いを春風に乗せて広がっていく。
その瞬間。
シュウの右隣へ、音もなくミーニャが滑り込んだ。
「……ん。ここ、わたし」
銀色の猫耳がぴくりと揺れ、ふわりとした尻尾が嬉しそうに左右へ揺れる。
当然のようにシュウの腕へ尻尾を巻きつけ、定位置を確保した。
だが次の瞬間、反対側へフィオナが優雅に腰を下ろす。
「当然でしょう? 本日の花見は王家主催……いえ、視察よ。シュウの隣は最重要監視席なの」
頬を少し赤くしながらも、あくまで王女らしい理屈を崩さない。
「あらあら、では私は正面をいただきますわ」
リィネが扇子を揺らしながら、真正面の最も近い席をすっと確保する。
その狐耳は優雅に立っているのに、豊かな尻尾だけはすでに上機嫌で揺れていた。
すかさず翡翠色の髪が視界を横切る。
「ちょ、ちょっと! そこは魔力の流れが一番安定してる観察席なんだから! 特別に私が座るの!」
エレインが割り込むように距離を詰め、耳先をぴんと立てた。
一瞬で、シュウの周囲だけ密度が跳ね上がる。
それを見ていたガストンが腹を抱えた。
「ガハハハ! 桜よりこっちのほうが満開じゃねぇか!」
春空の下、花びらが舞う。
だが一番華やかなのは、どう見てもシュウの周囲だった。
シュウは無言で鍋から魔兎肉のつみれ汁をよそい、順番に全員へ配っていく。
最初の一杯を当然のように受け取ったミーニャが、小さく息を漏らした。
「……ん。おいしい。シュウ、もっと」
もっとも自然におかわりを要求するその姿に、フィオナがすぐさま反応する。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! その前に私が毒味を――」
つみれをひと口食べた瞬間、彼女の表情がふわりとほどけた。
「……あ、あら。今日はやけに美味しいじゃない……べ、別に褒めてるわけじゃないわよ?」
「……なにこれ、美味しすぎるんだけど」
エレインが耳先をぴんと立てたまま、頬を染める。
「特別なんだからね。花見用に香草の香りまで調整してるなんて……ほんと、そういうところだけ無駄に繊細なんだから」
リィネは椀を両手で包み、目を細めた。
「……ふふ。未来視でも、この幸福感までは読めませんでしたわ」
そこへガストンが、焼き上がった串を豪快に差し出す。
「ほらよ! 花見ってのは肉だろ、肉!」
「それ全部シュウ用じゃないでしょうね!?」
「ガハハ! 相棒の胃袋は底なしだから問題ねぇ!」
シュウは串焼きを受け取り、ひと口かじってから、ふっと桜を見上げた。
ひらり、と花びらが肩に落ちる。
学園での戦い。
迷宮での死闘。
アウモデウスとの最終決戦。
あの頃は、腹を満たすことだけが生きる理由だった。
けれど今は違う。
温かい料理。
笑い声。
春の風。
そして、自分のすぐ隣にいる大切な仲間たち。
「……悪くない。こういう腹の満たされ方も」
その一言だけで、四人のヒロインの耳と尻尾が一斉に揺れた。
ミーニャがそっと肩へ寄りかかる。
「……ん。シュウ、あったかい」
負けじとフィオナが腕を組む。
「べ、別に席が狭いからこうしてるだけよ!」
エレインは耳まで真っ赤にしながら距離を詰める。
「……春風で冷えると困るもの。魔力管理のためよ」
リィネはそんな三人を眺めながら、楽しそうに扇子を揺らした。
「ふふ……では次は、お弁当交換の未来でも仕掛けましょうか」
ガストンの豪快な笑い声が、満開の桜の下に響き渡る。
春の席取り戦争は、まだ始まったばかりだった。
――その時。
桜色の精霊花が舞う中、ただ一輪だけ黒く染まった花弁が、シュウの掌に落ちた。
その瞬間、誰にも気づかれぬまま、彼の【境界線】がかすかに脈打つ。
けれど今はまだ、その意味を知る者はいない。
春の陽だまりの中、笑い声だけがどこまでも優しく続いていた。




