後日談春3 春の夜会・新入生歓迎晩餐会
聖クロイツ学園に春が訪れる。
桜にも似た淡い桃色の精霊花が中庭を彩り、新入生たちの期待と不安を優しく包み込む季節。
その夜、学園中の注目を集める一大行事が催されていた。
新入生歓迎晩餐会――。
だが今年は例年と違う。
会場となったのは大講堂でも貴族科の夜会場でもない。
学園最端、かつて廃棄物集積場だった場所。
今や誰もが憧れる学園最高峰の名店。
看板には、包丁と龍牙を交差させた紋章。
――『境界線の晩餐』。
完全貸切となった店内には、新入生、教師陣、貴族科の上級生、果ては学園理事会の面々まで集っていた。
「す、すごい……ここが噂の……」
「世界を救った英雄が料理人をしている店……」
「本当に平民出身なんですの?」
新入生たちがざわめく中、店の中央階段を一人の少女がゆっくりと降りてくる。
金糸のような髪を揺らし、給仕服を気品で王族衣装に変えてしまう少女――フィオナだ。
「静粛に」
その一言で、ざわめきは波が引くように消えた。
「今宵は聖クロイツ学園の未来を祝う夜会です。王族科、貴族科、一般科の隔たりはありません」
フィオナはトレイを胸元で優雅に構え、凛と告げる。
「この店において、皆等しく“シュウの料理を味わう客人”です。存分に味わい、学び、そして誇りなさい」
「は、はいっ!」
新入生たちの背筋が一斉に伸びる。
そこへ、厨房から豪快な笑い声が響いた。
「ガハハ! 緊張してっと料理が冷めちまうぞ新入りども!」
ガストンが巨大な鉄板を片手で持ち上げ、焼き上がった肉を豪快に並べていく。
霜降り岩猪の脂が魔導オーブンの熱で弾け、香ばしい香りが一気に店内へ広がった。
「ひっ……!? な、なんですのこの香り……!」
貴族科の新入生が思わず席を立つ。
その横を、影がすっと走り抜けた。
「……ん」
銀色の猫耳。
銀の尻尾。
ミーニャが音もなく現れ、シュウの腕に尻尾を巻きつけながら食材籠を差し出す。
「……春草。……一番柔らかいところ、採ってきた」
「……助かる」
シュウが短く礼を言うと、ミーニャの耳がぴくぴくと嬉しそうに跳ねた。
その姿を見ていた獣人の新入生少女が頬を染める。
「あ、あの……シュウ先輩って、優しいんですね……」
「……ん」
ミーニャの瞳がすっと細まる。
次の瞬間、尻尾がするりとシュウの腕へ絡みついた。
「……シュウ、私の」
「ひゃっ……」
「で、出た……本命の圧……!」
新入生席から小さなどよめきが漏れる。
カウンター席では、琥珀色の髪を揺らした狐耳の少女が優雅にグラスを傾けていた。
リィネだ。
深紅の魔果実酒を静かに揺らしながら、彼女は扇子の向こうで微笑む。
聖クロイツ学園では十五歳で成人とされ、夜会作法と酒席礼法を学ぶ。
この店では料理に合わせた魔果実酒の試飲もまた正式な研究実習の一環だった。
「……ふふ。理事長代理様、あちらの席順を少しだけ変えた方が、平民科への偏見も綺麗に崩れますわ」
「な、なるほど……!」
気づけば店内の席順、会話、視線、そのすべてがリィネの扇の上で踊っていた。
そして厨房奥。
翡翠色の魔力がふわりと舞い上がる。
「見ていなさい、新入生。これがシュウの料理を支える魔法制御よ」
エレインが指先を滑らせるたび、スープ皿が空中に浮かび、炎が一定温度で肉を炙り、香草の香りが最も美しく広がる高さで拡散されていく。
「す、すごい……」
「料理が空に……!」
最後にデザート皿へ氷の花弁が咲いた瞬間、店内から感嘆の吐息が漏れた。
そのすべての中心に、シュウが立っていた。
黒髪の少年は無駄のない動きで包丁を走らせる。
龍鱗を砕いた粉末。
精霊花の蜜。
霜降り岩猪。
湖龍の白身。
幻桜兎の燻製。
迷宮最深部でしか得られない素材が、彼の手によって一つの物語へと変わっていく。
やがて、全員の前に皿が置かれた。
「今夜の歓迎メニューだ」
春竜花鳥の祝福フルコース。
前菜、スープ、魚、肉、氷菓。
すべてが春の息吹と迷宮の力を宿していた。
「……食え」
シュウは静かに言う。
「未来を生き残る力になる」
その言葉と共に、新入生たちは一斉に料理へ手を伸ばした。
一口。
たったそれだけで、空気が変わる。
「――っ!!」
「お、おいしい……!」
「なにこれ……身体の奥から力が……!」
貴族科の新入生の一人が、震える声を漏らす。
「平民の料理人など、所詮は話題作りだと思っていましたわ……ですが……」
彼女はスプーンを持つ手を止めたまま呆然と呟く。
「これが……平民……?」
教師陣ですら息を呑み、理事会の老人たちが無言で頷いていた。
その時だった。
店の片隅、一人だけ料理に手をつけていない少年がいることにシュウは気づく。
灰色の髪。
痩せた体。
そして、飢えた獣のような目。
かつて魔境で独り生きていた頃の、自分と同じ瞳。
シュウは皿を一つ手に取り、その少年の前へ置いた。
「……食え」
「……え」
「腹が減ってる顔だ」
少年の喉が鳴る。
恐る恐るスプーンを運び、一口食べた瞬間――その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
だが少年の胸元には、誰にも見えない黒い紋様が一瞬だけ浮かび、すぐに制服の下へ沈んでいった。
「……あったかい……」
店内の喧騒の中で、その小さな声だけが不思議と静かに響く。
シュウは何も言わず、ただ少年の前にパンを追加した。
それを見ていたヒロインたちは、どこか優しい目で微笑む。
世界を救った英雄。
最強の捕食者。
そして今は、誰かの飢えを満たす料理人。
春の夜会は、笑顔と香りに満ちたまま更けていく。
新しい才能を迎え、古い境界線を越えながら。
――『境界線の晩餐』の春は、まだ始まったばかりだった。




