懐古第四話:【灯火】境界線の秘密の食堂 ― 鉄板の上の魔物
演習場を後にしたシュウの体は、もはや自分のものとは思えないほど重かった。
全身の打ち身が熱を持ち、泥と混じった血が乾いて肌を突っ張らせる。学園の豪華な寮へ戻る気力など、とうの昔に失せていた。
向かったのは、学園の敷地の最端。
誰も寄り付かない廃棄物集積場の一角にある、ガストンの鍛冶工房だ。
「……おう、帰ったか」
扉を開けると、凄まじい熱気と火花の匂いが鼻を突いた。
炉の前に陣取ったガストンが、上半身裸のまま、巨大な鎚を振り下ろしている。彼はシュウのボロボロな姿を一瞥したが、同情の言葉は一言も発さなかった。
「……ああ。……盾、ボロボロにしちゃったよ。ごめん」
シュウが力なく、ひしゃげた鉄の盾を床に置く。
「……バカ野郎。盾が凹んだ分だけ、お前の骨が折れずに済んだんだ。仕事をした証拠じゃねえか」
ガストンは鎚を置くと、タオルで顔の汗を拭い、工房の隅にある小さな木箱へ歩み寄った。
「ほら、座れ。……飯だ」
そこには、豪華な学食とは程遠い、黒パンの塊と、正体不明の「肉」が焼かれた鉄板が置かれていた。
シュウが不思議そうに肉を見つめると、ガストンは不敵に笑った。
「昨日、裏山で捕まえた『剛毛野猪』の下っ端だ。……お前の【魔物喰い】、魔物の肉なら何でもいいんだろ? 学園のスカした料理より、こいつの方がお前の血肉になるはずだ」
シュウは、震える手でその肉を掴んだ。
野生の、獣臭い、しかし暴力的なまでに生命力に溢れた匂い。
一口噛み締めると、口の中に濃厚な魔力を含んだ脂が広がる。
「……っ……美味い」
「ガハハ! だろ? 俺が特注の鉄板で、余分な魔力を逃がさねえように焼き上げたんだ」
泥水を啜らされ、屈辱に塗れた一日の終わりに、自分のためだけに用意された「魔物の肉」。
それを喰らうたびに、アルトリウスに奪われた熱が、体の芯からじわじわと再生していくのを感じた。
「……ガストン。俺、決めたよ。あいつらが『ゴミ』だって捨てるものを、全部俺が喰らってやる。魔物も、屈辱も、……全部だ」
「おう、いい心意気だ。お前が喰らう分だけ、俺が最高の『器』を打ってやる。……誰も届かねえ境界線の向こう側まで、一緒に行こうぜ、相棒」
窓の外では、学園の華やかな灯りが遠くに揺れている。
しかし、この煤けた工房の、たった一つのランプの光の下で、二人は確かに笑っていた。
誰にも祝福されない、けれど誰にも汚されない、二人だけの「勝利の晩餐」。
シュウの瞳に、昼間の絶望はもうなかった。
あるのは、次なる獲物を狙う捕食者の、静かな光だけだった。




