懐古第二話:【火花】泥だらけの拳― 炉の底の咆哮
魔導鑑定室の重厚な石の扉が、背後で重々しく閉まった。
漏れ聞こえるバルガス教官の冷笑と、アルトリウスの優雅な靴音。そのすべてが、シュウの鼓動を刺す棘のように感じられた。
「……はは、……そうか。全部、ゴミ、か……」
シュウは、指先に残ったレポートのインク汚れを呆然と見つめ、力なく廊下を歩き出した。
視界が霞む。足元が、まるで見知らぬ泥沼にでも踏み込んだかのように重い。
これまで積み上げてきた努力、魔物を喰らい、その魔力を己の血肉に変えるために耐え抜いてきた屈辱――そのすべてが、たった一つの「鑑定結果」で否定されたのだ。
「……あ」
曲がり角で、何かにぶつかった。
まるで巨大な鉄の壁に激突したかのような衝撃。シュウの細い体は、力なく後ろに弾き飛ばされ、冷たい廊下に尻餅をついた。
「……おい、シュウ。……前を見て歩けってんだ。それとも、あの教官に脳みそまで鑑定でもされたか?」
聞き慣れた、野太く、そしてどこか安心させる声。
見上げると、そこには赤褐色の髪を逆立たせ、煤と油にまみれた作業着を着た大男が立っていた。
学園の落ちこぼれ鍛冶師、ガストンだ。
「……ああ、ガストンか。……悪い。今、ちょっと、考え事をしてて……」
「考え事だぁ? 幽霊みたいなツラしやがって。……おい、その手は何だ。なんでそんなに震えてやがる」
ガストンの鋭い眼光が、シュウの握りしめた拳を射抜く。
「……なんでもないよ。ただ、俺のスキルは……学園には必要ないって言われただけだ。……【魔物喰い】なんて、やっぱり人間として欠陥品だったんだよ」
シュウが、無理に作った歪な笑みを浮かべた、その瞬間だった。
――ドォォォンッ!!
雷鳴のような轟音が廊下に響き渡った。
ガストンが、傍らの石壁を素手で殴りつけたのだ。
「――ふざけんじゃねえぞッ!!」
咆哮。
あまりの音圧に、シュウの呼吸が止まる。
ガストンの拳からは血が滲み、殴られた石壁には微かにひび割れが走っていた。
彼は、獲物を捕らえる猛獣のような形相でシュウの胸ぐらを掴み上げると、無理やり至近距離で視線を合わせさせた。
「誰が欠陥品だ! 誰がゴミだ! ……あのクソ教官共か? それとも、あの聖剣を鼻にかけた野郎か!?」
「……ガストン、離せ……」
「離さねえよ! ……いいかシュウ、思い出せ。あいつら……あのアルトリウスの取り巻きどもは、俺が打った包丁を『ただの鉄屑だ』って笑いやがった。実戦の役にも立たねえ、ナマクラだってな!」
ガストンの瞳には、大火力の炉のような純粋な、そして激しい怒りが燃えていた。
「だが、お前だけは違った。……俺が打ったあの無骨な包丁を手に取って、『こいつは最高のバランスだ。俺のスキルに、一番合ってる』って……笑ってくれたじゃねえか! 俺の技術を、ゴミじゃないって言ってくれたのは、お前だけなんだよ!」
「…………」
「お前の【魔物喰い】がゴミだってなら、それ専用の道具を打ってる俺もゴミってことか? ああ!? 答えろ、相棒!」
ガストンの叫びが、シュウの胸の奥に澱んでいた「冷たい絶望」を、強引に熱で溶かしていく。
掴まれた胸ぐらから伝わる、ガストンの手の震え。それは恐怖ではなく、友を侮辱されたことへの、抑えきれない義憤の震えだった。
「……悪かった。……お前の技術を、ゴミだなんて、一度も思ったことはない」
シュウの口から、ようやく本当の言葉がこぼれた。
「……ガストン。……俺、まだ、諦めたくないんだ。あいつらに何を言われても……俺の『境界』を、越えてみたい」
ガストンは、ふっと表情を緩め、掴んでいた手を離した。
そして、血の滲んだ自分の拳を、シュウの肩にドスンと置いた。
「……だったら、そのツラを上げろ。……ゴミがどうとか、欠陥がどうとか、そんな物差しは俺たちが叩き折ってやる。いいか、シュウ。明日だ。明日の野外演習……俺が夜通しで叩き直した、最高の『盾』と『包丁』を持ってけ」
ガストンは、ニカッと歯を見せて不敵に笑った。
「あいつらの自慢の聖剣より、俺たちの鉄屑の方が『美味い』ってことを、証明してやろうぜ」
「……ああ。……やってやるよ、ガストン」
シュウは、自分の拳を握り直した。
まだ力は弱いが、そこには確かに、消えない火が灯っていた。
二人の少年は、薄暗い廊下で、固く拳を合わせた。
それは、学園という檻の中で、後に世界を喰らい尽くすことになる「捕食者」と「職人」が、真に結ばれた瞬間だった。




