懐古エピソード②:エレイン編『不器用な旋律とエルフの耳』
迷宮中層――『古代遺跡エリア』。
かつての高度な魔法文明が遺した石造りの回廊は、魔力を吸い取る特殊な結界に覆われていた。
「……はぁ、……はぁ……。……まだ、いけるわ。この程度の魔力枯渇、……エルフの誇りにかけて、……なんてことないわよ!」
エレインは、古びた壁に背を預けながら、必死に荒い息を整えていた。
手元の魔導書は重く感じられ、翡翠色の瞳は疲労で霞んでいる。彼女はこの遺跡に眠る、魔物たちの生態を記した古文書の解読を任されていた。だが、遺跡特有の「魔力喰い」の結界が、彼女の精神をじわじわと削り取っていく。
「おい、エレイン。……無理すんなって言っただろ。耳、下がってるぞ」
「なっ……! ……見ないでよ! これは、風の精霊と交信するために、……あえて角度を調整してるだけなんだから!」
シュウの指摘に、彼女は慌てて尖った耳をピンと立て直す。
エルフにとって、耳は感情のバロメーターだ。特にエレインのような高貴な家系の者は、常に耳を水平に保ち、冷静沈着であることを叩き込まれてきた。
だが、シュウは彼女の強がりを無視して、足元の影から一つの小瓶と、丁寧に包まれた包み紙を取り出した。
「休憩だ。……遺跡の奥にいた『魔導大蜂』のロイヤルゼリーと、中層限定の『月見リンゴ』で作ったコンポートだ。魔力回復に効くぞ」
「……そんな、魔物の素材を使った得体の知れないもの……。……第一、私は今、解読で忙しいのよ……」
口では拒絶しながらも、エレインの鼻は、包みから漂う芳醇な甘い香りを捉えていた。
シュウは無言で、木製のスプーンにたっぷりとコンポートを乗せ、彼女の口元へ差し出す。
「……あーん、しろ。手が震えてて、自分で食えないだろ」
「な、ななな……ッ!? ……誰がそんな、子供みたいなこと……っ!」
顔を真っ赤にするエレイン。だが、シュウの真っ直ぐな瞳に見つめられ、抗いきれずに小さく口を開けた。
「……ん。……っ!?」
口の中に広がったのは、暴力的なまでの「甘美」だった。
リンゴの爽やかな酸味を、大蜂の蜜が濃厚に包み込み、噛むたびに純度の高い魔力が脳を突き抜けていく。
「……美味しい……。……何これ、……信じられない……」
その瞬間だった。
エレインの意志に反して、彼女の尖った耳が、パタパタパタ……ッ! と激しく上下に跳ねた。
「あ……。……い、今の、違うのよ! これは精霊が喜んでるだけで、私が嬉しいわけじゃ……!」
「……ふっ。……いいじゃねえか。お前の魔法は繊細で、いつも助かってる。……でも、その耳はもっと素直でいいと思うぞ」
シュウが、エレインの頭にポンと手を置く。
エルフにとって、頭に触れられるのは親愛の極み。本来なら激昂するはずの場面だが、エレインの耳は、彼の掌の温かさに反応して、さらに嬉しそうにパタパタとリズムを刻んでしまった。
「……もう。……勝手なことばっかり言って。……でも、……今回だけよ。特別に、力を貸してあげるんだから」
魔力が回復し、顔を赤らめながら再び魔導書に向き合うエレイン。
けれど、その耳はその後も、シュウが隣に座るたびに、周囲に翡翠色の魔力を散らしながら幸せそうに震え続けていた。
(……最低。……こんなの、計算外よ。……でも、……この音、シュウには聞こえてるのかしら)
不器用なエルフの旋律は、静かな遺跡の中に、いつまでも小さく響いていた。
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