懐古エピソード①:ミーニャ編『影と陽だまりの境界線』
迷宮中層、第五階層群――通称『原生林エリア』。
見上げるほどの巨樹が空を覆い尽くし、湿った土と魔物の死臭が入り混じるこの場所は、並の冒険者にとっては地獄でしかない。だが、猫獣人のミーニャにとって、ここはかつての「家」に似た、ただの狩り場だった。
「……シュウ。……あっち、大きな気配。……たぶん、グレート・ベア」
「ああ、わかってる。……少し待て。今、いい部位を切り出すからな」
返り血を浴びたシュウが、無造作に包丁を振るう。
周囲には、先ほどまで襲いかかってきた魔物たちの残骸が転がっていた。シュウはそれらを「敵」としてではなく、単なる「食材」として淡々と処理していく。
ミーニャは、少し離れた巨樹の根元に座り込み、その様子をじっと眺めていた。
尻尾が、落ち着きなく地面を叩く。
(……変な人間。……【魔物喰い】なんて、みんな嫌がってたのに。……私の影、怖がらない)
獣人族の中でも、影を操る希少な変異種だったミーニャは、故郷でも学園でも「不吉な影」と疎まれてきた。だから、誰にも心を開かず、迷宮の闇に溶け込むことだけが彼女の生存戦略だった。
だが、この少年は違った。
彼はミーニャの影を「便利だな」と一言で片付け、あろうことか、その影を使って「肉の熟成」を早めろなどと無茶な注文をつけてきたのだ。
「……終わったぞ。……ミーニャ、こっちへ来い」
「……ん」
呼ばれるままに歩み寄る。
シュウが差し出したのは、串に刺して炙っただけの、ごくシンプルな肉塊だった。だが、そこからは鼻腔をくすぐる、抗いがたいほど芳醇な香りが立ち上っている。
「食え。中層の連戦で、魔力が底を突きかけてるだろ」
「……バレてた」
「お前の影がさっきから震えてる。……無理しすぎだ」
指摘され、ミーニャの耳がピクリと跳ねる。
確かに、連日の強行軍で彼女の精神は限界に近かった。影を維持するには膨大な集中力が必要だ。だが、弱みを見せれば捨てられる――そんな強迫観念が、彼女を突き動かしていた。
差し出された肉を一口、噛みしめる。
「……っ! ……美味しい。……熱くて、……身体の奥が、溶けそう」
ただの魔物の肉ではない。シュウのスキルと調理によって、魔力がダイレクトに細胞へと染み渡っていく。
張り詰めていた緊張が、温かな食事によって解きほぐされていく感覚。
「……ミーニャ。……お前は、いつも一人で闇を見張りすぎだ」
シュウが、焚き火の隣に座り直す。
彼は自分の背後に広がる影を指差した。
「俺の影に入れ。そこなら俺の魔力が循環してる。外敵からも、お前自身の不安からも、俺が隠してやる」
「……シュウの、影に……?」
「ああ。そこが一番安全だ。……お前が眠っている間は、俺が全部喰ってやるから安心しろ」
ぶっきらぼうな言い方だった。
けれど、その言葉はミーニャにとって、どんな高価な魔法よりも心強かった。
恐る恐る、ミーニャはシュウの隣に歩み寄り、その背中に重なるようにして座った。
少年の影は、思っていたよりもずっと温かかった。
いつも自分を蝕んでいた「冷たい闇」とは違う、陽だまりのような安心感。
「……じゃあ。……少しだけ。……おやすみ、シュウ」
ミーニャの意識は、瞬く間に深い眠りへと落ちていった。
その際、無意識のうちに――本当に無意識のうちに、彼女の尻尾が、シュウの腰をきゅっと抱きしめるように巻き付いた。
(……離さない。……この温かい場所は、私のもの)
それが、後に学園中を騒がせる「シュウの腰の定位置」が確定した、最初の瞬間だった。
夢の中で、ミーニャの耳は幸せそうに、何度も何度もパタパタと跳ねていた。
面白いと思ったらブックマーク、評価をお願いします!




