因果断ち、境界の向こう側
十層の空洞は、まるで巨大な心臓の中にいるようだった。
壁が脈動し、赤黒い魔力が血管のように走り、空気そのものが生き物のように蠢いている。その中心に――闇堕ちしたアルトリウスが立っていた。
白銀の鎧は黒く腐食し、聖剣は赤黒い瘴気を吐き、瞳はもう人の色をしていなかった。
「……シュウ。お前が……俺の未来を奪った」
声は低く、濁っている。怒りというより、何かが完全に抜け落ちた声だった。
「アルトリウス! 正気に戻りなさい!!」
フィオナが叫ぶ。だが彼はフィオナを見ても、エレインを見ても、ミーニャを見ても、何の感情も浮かべなかった。ただシュウだけを見ていた。
「お前を殺せば……俺は”本物の英雄”になれる……アウモデウス様が……そう言った……」
「……完全に因果を喰われていますわ」
リィネが扇を握りしめる。
「……魔力量が私の三倍以上……?」
エレインが顔を青くする。ガストンが歯を食いしばった。「ガハハ……笑えねぇな……!」
シュウは包丁を構えた。
「……来い」
アルトリウスの身体が黒い光に包まれた瞬間、シュウの視界から姿が消えた。
【闇堕ちスキル:堕落聖剣】
気づいた時には、赤黒い聖剣が首元に迫っていた。
ギィィィン――
包丁で受け止めた。腕が痺れ、骨が軋む。今までのどの魔物よりも重い。どのボスよりも速い。アルトリウスは英雄の才能に悪魔の因果を上乗せされた怪物だった。
「どうした……? お前の包丁は……そんなものか……?」
笑い声が、空洞に響く。完全に壊れた笑いだった。
押し返そうとした瞬間、吹き飛ばされた。岩壁に叩きつけられ、肺の空気が抜ける。
「シュウ!!」
「来るなぁぁぁぁぁ!!」
アルトリウスが咆哮し、黒い衝撃波が放たれる。フィオナも、エレインも、ミーニャも、リィネも、全員が吹き飛ばされた。
「……因果そのものを叩きつけてる……!」
シュウはゆっくりと立ち上がる。腕が震え、骨が軋み、視界が揺れる。だが。
「……人は……喰わない」
アルトリウスの顔が歪んだ。
「だからお前は弱いんだよォォォォ!!」
突進が来る。速すぎる。ギリギリで受け止め、火花が散り、足元の岩が砕ける。
「お前は……“怪物”のくせに……なぜ人間のフリをする……!」
「……俺は……人間だ」
「違う!! お前は……俺の未来を奪った”怪物”だ!!」
聖剣が黒く脈動する。
【堕落聖剣:因果断ち(カース・スラッシュ)】
空間そのものが裂けた。避けきれず、肩から胸にかけて深く斬られる。血が飛び散る。
「シュウ!!」
「……大丈夫だ」
立っていた。だが傷は深い。再生が追いつかないほどの、因果の傷だった。
アルトリウスがゆっくりと歩み寄る。
「終わりだ……シュウ……お前の未来は……ここで終わる……」
「ダメ――その一撃は、“未来を断つ”攻撃……!」
「防御結界!!」「王威!!」「……シュウ、守る!!」
三人の声が重なった。だが間に合わなかった。
アルトリウスの剣が振り下ろされた瞬間、空間が黒く染まった。
【因果断ち:未来消失】
シュウの身体が、黒い衝撃波に飲み込まれた。
――暗い。
音がない。重力がない。上下も左右も、何もない。
ただ、黒だけがある。
(……ここは)
シュウは自分の手を見た。包丁を握ったまま、手は動く。体も動く。だが、どこにも立っていない。
その時、胸の奥で何かが反応した。
【スキル:境界線――反応中】
じわりと、境界が広がる感覚。人と魔物の狭間。生と死の狭間。因果の内側と外側の狭間。シュウのスキルは、ずっとその”境”に立つことを本質としていた。
だから。
(……ここは、俺の庭だ)
【スキル:魔物喰い(プレデター)――覚醒準備】
黒の中に、赤い光が滲み出す。因果断ちが切り裂いた”未来の残滓”だった。シュウはそれを、ただ静かに見つめた。
(……喰えるな)
外から、声が届く。
「シュウ!!」
ミーニャの声だった。
シュウは包丁を握り直した。境界の向こうで、仲間たちの魔力が揺れている。アルトリウスの因果が、さらに膨らもうとしている。
それだけで、十分だった。
(……戻るぞ)
黒い衝撃波の中から、シュウが歩いて出てきた。
傷はある。血も出ている。だが、立っている。
「……な」
アルトリウスが初めて、動揺を顔に出した。
「なぜ……立っている……? 因果断ちは……未来ごと消すはずだ……!」
「……俺には境界がある」
シュウは静かに言う。
「未来がなくても、今ここに立てる。それだけだ」
包丁の刃が、赤い光をわずかに帯びていた。




